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第12話 

 「あきらは心のほうがアレなんだね、きっと」

 アキラのつぶやきは、おれに語りかけているようでありつつも、ひとりごと、いや、むしろ彼女自身への言い聞かせにも感じられた、

 「わたしは逆。ちょっと、体のほうがアレなのよ」


 困ったような表情をしてから、冷めきって見透かしていて困りつつも喜んでいるような顔だった。その複雑さを理解できる。むしろ単純明快すぎたならば、おれは理解も共感もしなかっただろう。まぶしすぎる太陽に手をかざしても目をあけているのがつらいとき、流れてくる雲があれば陽射しを遮らなくて済むようになる。雨は憂鬱そのものだったが天気雨は大好きだ。狐の嫁入りのエピソードをすぐに思い出すし、多少の痛みこそあれ幼なじみと同じ傘で下校した日のことを忘れられない。嬉しい出来事には悔しい想いが重なっていることが多いし、苦しい出来事の連続が突然なぜかひっくりかえってきらめめきだしたこともある。めんどくさいことって多いよ、そのめんどくさいことをしないで済む環境もあるにはあるのだろうけれども、おれは自分に与えられた環境を唯一と思い込むことにしてしまった。理由は、いまひとつよくわからない。わからないけれど、自分なりの覚悟だったと思う。幼くても幼いなりに遺伝子ゆえなのか胎教のおかげなのか、けっこういろいろと知っていたし、やってのけてみせた。

 運がいい?

 そうかもしれない。


 でも言うだろう、運も実力のうち、と。

 だから「運がいい」ことを、おれは謙虚に受け止めることにしている。誇りすぎないように、いやしまないように。そして、つまんない人間になっていくのを自覚できなかった。おそらく、おれは「いい子」を演じていたのだろう。しかも、それができた。才能があったんだと思う、「いい子」を演じるという。しかもそれが「親孝行」だと思っていた。どこでどういう流れなのかわからないが思い込んでしまっていたんだ。今ならわかる、両親には申し訳ないことをしてしまったと。いい子なんて、かわいげがない。子どもが子どもだからこそのかわいらしさがあるとすれば、その最もカワイイ時代を提供しなかったことになる。おれが親孝行だと思い込んでしまったがゆえに、無自覚に親不孝を重ねたというわけだ。

 なので、両親からの命令がいかに理不尽りふじんであろうとも従ったし、受けれたし、その結果としていちばん大切にしたいと考えていた友人たちを裏切ることを平気でやってのけてしまった。

 おれは、そんなおれを許せない。でも許したい。許す方法ってないのかな。おれが天罰をくらえばいいのかな。その思考は観覧車のようにグルグルまわって、外から見てると「乗りたいなあ」と思えるし、実際に乗ってみれば乗ってみたで「すげえ!景色最高」とか興奮している、でも廻らなくなったとたんの寂獏じゃくまくと言ったらもう…なんなの、おれ。


 複雑さと単純さは同居できるけれど、相容あいいれられるとはかぎらない。だから、アキラが見せる表情の微妙な変化は、おれを刺激した。

 「あのさ」おれは意を決して告げる「アキラって、ひとの心が読めるんだっけ?」質問しているが疑問ではない、だから彼女の反応を待たずに続けてしまう、「おれは見えるものは見えるけど、見えてる文章ですら読めなかったりするんだよ?」自分で話していて矛盾だと思いつつ「本は好きだよ。北風と太陽も、緑の扉も何度も読んでるし、まったく飽きない。でも、読めないんだ。作者がどういう気持ちで書いたのか、とか、みんながどう感じるのか、フツウはどうなのか、っていう、いろいろを読み取れない。汲み取れないというのかな」もはや意味不明の叫びになりつつあるなと自覚できたけれど「いま、いったいどんなふうに、おれの心を読んだのさ」

 「ええ」アキラは深く息を吐いた、その直後に胸をふくらませながら息を吸っていく、「あきらは、やさしい。知ってる。でもすごく厳しい。わかる。やさしさと厳しさが表裏一体じゃなくて、せめぎあって対立しているふう。で、いつもいつも、お互いがお互いに、わかってくれよ、せめて聞いてくれよ、と訴えあってるの」

 驚いた。

 わかる、すごく。

 でも、わかんないし、わけわかんない。

 けど、なぜかわかるというか、響いてきた。なるほどね。で、どう読んだのさ。


 「あきらの心は疲れ切ってしまってて、たっぷり休んだほうがいいはずなのに不眠症なの」

 「それってどういう?」状況なのかな。

 「心は疲れてて回復の見込みがない、でも体は健康で元気そのもの。だから眠れないし。眠れない時間を思考グルグルについやしてる」

 アキラはそう答えながら、ふと、どことなくさみしそうに息を吐いてから「わたしは逆ね」とつぶやいた、

 「わたしの心は元気そのもの。でも体が悲鳴をあげている。喜んでるのに嬉しそうにできないし、悲しいのに涙が出ない。演技そのものが、できなくなった。なんていうか、感情がワクワクしててもね、体がもうなんにも反射してくれない。体育も無理、握力テストそのものをブッチしたわ」

 だからか。

 おれの目には、なんとなくなくもややかにも見えるのに、なぜか気づくとやさしく接してもらえている。気持ちと体に乖離かいりがあるのだとすれば、とても納得のいく話だった。

 ということは、おれの場合…彼女の言うように、体が元気だけれども心が。


 「わたし、伯母おばにここでの結界けっかいを、生き生きとしているひとは問答無用で拒絶してくださいってお願いしたの」

 「決壊けっかいか」おれは問いかける「なにをこわしたかったのさ?」

 「こわしたいんじゃなくて、逆。つくりたかったの。やすらげる場所を、がんばらなくても許してもらえる空間を」

 アキラの瞳孔どうこう光彩こうさいが虹めいて、思わずふらりとしてしまった。いっそ、よろけたふりのまま彼女の肩に顎をのせてしまいたい。

 「そういえば背、のびたね」おれは思いついたように「以前は、これほどじゃなかったような」とつぶやく「まあ、小さい感じではなかったけれど?」

 すると、ゆっくり歩み寄ってきて、え、まさか抱きしめてくれるのか、と意味不明に考えた次の瞬間、

 「えい」

 と選手宣誓せんせいのような声とともに、でしっとられた。でしっ、と足が足をペシッた。

 なにすんだよ?

 思ったけれど、くちにしない。痛くもなければ、かゆくもなかった。けれども、もしかしたら、とても真面目に全力でっぱぐってきたんじゃないのかなってさ。

 「これが全力?」いてて悲しくなる。

 「だよ!」でしっ、でしっ、ペシッ。

 「そっか」

 「そーだ」でしっ。

 アキラが鼻からス~っと息を吐き、憤怒ふんぬって表情の顔をする。かわいいな、おい。

 「あのさ、あきらってさ」おれの胸あたりを直視して告げてくる「前に言ってたよね、ひとを見た目とくに身長の高さや体格の細さ太さで判断するのって、いやだって」ついにパンチを繰り出してきて、おれの下腹部を直撃してくる「なのにそういうこと言う?」

 どの直撃も、まったく痛くない。

 「わたし、言ったよね。小さい女の子がいいって。カワイイカワイイしてもらいたいの。大きくなったらイヤなの。うっとうしがられるの、ほんとうにイヤ」

 「きみのお父さんの価値観は、あきらめなよ」おれはうろ覚えの知識と記憶で語りかける「きみのお父さんは、背の高い女性が好みじゃないみたいだったけど、親の好みなんか気にしなくたっていいんだよ」

 しゃべっていて無責任だなと思った。それに、彼女のお父さんの価値観を持ち出したけれど、彼女自身が『小さいままがいい、小さい女の子でいたい、ううん、いまよりもっと小さくなりたいの』と望んでいるのを聞いているのだから、なんていうか的外まとはずれ。

 そして思い出す。

 むかし昔その昔おれが言ったセリフ『大丈夫だよ心配するな、おまえが背高くなってもそれ以上におれが高くなるから』

 そういう話じゃないんだよな。だったよな。『わたしはあんたと恋人になるつもりも、ましてや結婚する気もねぇ』だったっけな。


 「わかってる」アキラが足と手の動きを止めた「わかってるってば、そんなこと」


 自分で自分に言い聞かせているようでもあったけれど、顔を見あげて叫ぶように「からだが勝手に育ってると思ってた。でも違った。むしろ逆。わたし、まともな人間でさえないのよ」

 「いまの発言は撤回てっかいしろよ」おれは低い声でつぶやいた、ひとりごとだ「言っていいこととそうじゃないことくらい、わかんだろ?」

 「わかる。けど」弱音を吐きそうな声、「えい」と小さく放ったパンチでおれの秘孔ひこういた。ツボかもしれない。おれは声をらしたまでは自覚できたが、まさか嘔吐おうとまでするとは思わなかった。自分が自分でないような感覚だ。

 「あ」アキラが少し身をひいて「ごめん」と言った。

 「ごめんて、なにに対して」おれはく。

 「その、まさかそんな、はいっちゃうとは思わなくて」

 「んなことは、どうでもいい。それよりさっきのだ。撤回!」おれは要求する。

 「ごめんなさい?」疑問形だけど、まあいいだろう。

 「う…ごっ」

 ちゃんと発音しているつもりだったのに、おれは言葉にならない声で再び嘔吐おうとで自己嫌悪になった。


  「さっきの発言は撤回てっかいします。ごめんなさいでした」

 そう言いながら、ひどくにごくもった分厚ぶあついグラスを渡される。水か。ありがとう。おれは、くちをゆすぐことにした。

 「あ、言うの忘れた。それ海水」

 おれがペッと吹き出しているときにそう言われて、なるほど塩水というわけかと理解する。美味しくないが、わるくもないぞ。がらがらぺっとするのが目的だし、それに、と自分で自分に言い訳していると、

 「あ。伯母おばが言ってたんだ。その海水は、くちにいれるなよ、って菌が」

 ブーと吐けば霧吹き。コンクリートの壁に。

 「あるから…って…まじごめんて」彼女がボソる。うれしそうだな。

 「気にするな」おれは言う「そんな菌なんて、このあたりの海水浴場じゃよくある話。それに」

 「それに?」

 「わかんね」

 「えー。それ困る。なんか言ってよ」

 「わかんね」

 「えー」





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