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第37話 理想郷

 エイラムとアリシアは息を殺し、木影から一体のオークの様子を伺っていた。


 オークは戦斧を握りしめながらゆっくりとした足取りで、のそのそと歩き、鎧を擦り鳴らす。


 何かを感じ取ったのか、その歩みを止めた。


 エイラムはアリシアに人差し指で物音を立てないようにと合図を出したあと、目を細めて、相手の動きを伺う。


 まだはっきりとはわからないが、相当の強さを表す魔力が体から溢れ出ているのがわかった。


(――――あいつも相当ヤバいな……)


 さっきまで魔王軍の将軍ロウコウと戦ったばかりで、逃げてきたのに、ロウコウと同等、もしくはそれ以上の魔力を持つ魔物と遭遇するとはつくづくついていないと思ってしまう。


 それともここへ来ることをあらかじめ予測していたのか。それとも、転移魔法をそのままここへ来るように誘導されたのか。それはわからなかったが、ここで戦えば確実に殺されることはわかる。


 目の前にいるオークもまた、魔王ロランの配下の一人なのではないか、とエイラムは睨んだ。気づけば、頬に冷や汗が流れ、全身に鳥肌が立っていた。


 エイラムは多くの魔物と対峙したことがある。


 死んだ人間の魂が彷徨い、あるべき場所へ帰ることなく、この世に未練を残し、やがて怨念となって現れる幽鬼と対峙した時よりも、目の前にいる毛むくじゃらのオークの方がよっぽど恐ろしい。


 はかりし得ない強さを感じ、今すぐに逃げろ、と本能がそう言っている。手が震え、足も竦んでいる。


 エイラムは視線をアリシアにチラリと向けた。アリシアもオークの魔力の強さを感じているようで、顔を引き攣らせていた。


 どうするんですかこれ? と目で訴えかけるように見てくる。それに対して、エイラムはオークを一瞥した後、またジェスチャーで合図を送る。


 合図の内容は『先手必勝』というものだった。


 正気?という顔をしたが、もう一度、同じ合図を出す。それにアリシアは渋々ながらも従う。


 魔物である以上、こちら側の話を一切聞き入れてくれるはずがない。


 エイラムたちがそうだったからだ。


 命乞いをする魔物に正義の裁きだといい、剣を振るってきた。


 魔物は悪。この世界から一掃されなければならない、それがフェレン聖教会の教えた。それにエイラムは従ってきた。


 であれば、魔物たちも同様、フェレン聖騎士は自分たちを狩る憎き存在であり、永遠の敵。


 狩るか、狩られるか。


 今、エイラムたちは確実に狩られる側にいる。


 しかし、だからといって何もせず、やられるわけにはいかない。


 ここから移動することで、確実に相手に位置を捕捉されるわかりきっている。


 逃げ切れる自信はないし、また転移魔法を使うのも危険すぎる。


 であれば、相手が気づいていない間に相手を殺すしかない。


 それがこの場を潜り抜けるためのエイラムが出した答えだった。それはアリシアも同じ気持ちであった。彼女はエイラムに対して静かにうなずき返す。


 音を立てぬように注意しながら両側面に分かれて、挟撃を狙う。


 だが、その時――オークが口を開いた。


「よせ。お前たちとは戦いたくない」


 野太い声だった。二人は驚愕し目を見開く。オークが言葉を喋ったことにではない。二人が驚いたのはその声だった。


 聞き覚えのある声にエイラムはまじまじと見つめた。オークの姿とソリアの街でであった宿屋の店主とそっくりだったのだ。そこで、ようやく奇妙な気配の正体に気づく。


「オド、なのか?」


 エイラムの質問にオークはしばらく黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。


「あぁ。そうだ」


 ソリアの街で出会ったときと同じように、その顔には苦悩が浮かんでいた。しかし、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。


「魔物だったんだな。やはり」

「流石はフェレン聖騎士だ。よく気づいたものだ」


 エイラムは葦の中からゆっくりと出ると、剣を抜いた。アリシアもそれに倣うように剣を抜く。オドは両方へ一瞥したあと、視線を落とした。


「一つ、聞かせてほしい」

「なんだ?」

「お前たちはソリアの街を襲ったのか?」

「俺たちは襲ってはいない」

「だが、その痕跡はあった」

「それは帝国軍の仕業だ」

「帝国軍だと?」


 最近、帝国の動きが活発化していることはエイラムも知っている。それもシルビアという女将軍の影響によって、各地域で、戦線が拡大されていた。


 ソリアの街も反帝国を掲げているのは知っていたが、それは都合のいい嘘だと思った。質問を続ける。


 「では、住民の半分以上は魔物とすり替わっている。違うか?」


 オドは口をつぐむ。それは事実だったからだ。


 エイラムはオドの反応を見て確信する。だが、疑問があった。生き残った住民たちからは恐怖がなかった。むしろ、魔物たちの存在を隠そうとしていた。


 駐屯するマーガレット率いるフェレン聖騎士たちもそうだ。街の異変に気づかないはずがない。


「何を企んでいる? 洗脳か?」


 それにオドは呆れたように首を左右に振る。


「洗脳か。面白い。だが、違う。お前たちフェレン聖騎士には理解できまい。我らが至高なる主のお考えなど」

「なに?」

「ソリアの街は我らが偉大なる魔王様によって、人間と魔物が共に共存できる街へと作り変えられたのだ」


 エイラムは言葉を失う。魔物と人間の共存。思考が止まる。オドが何を言っているのか全く理解できなかった。殺すか、殺されるか、恨み恨まれる相並ばない存在。それはずっと前から決まっていること。


 醜悪で、凶暴で、人を殺す生き物。それが魔物なのだ。


 エイラムが固まっている間にも話は続く。


 オドは淡々と続ける。


「――魔族と人間は長い間争っている。どちらか一方が滅びるまでこの血で血を洗う戦いは終わらないだろう。我々が憎みあい、殺し合いを続けている限り、平和は訪れることはない。しかし、我らが偉大なる魔王様はお前らのいう神とは違う。争いを止めるため、争いなき世界、真の平和のために戦おうとされていおられる。そのためには、人と魔物との溝を埋める必要がある。だからソリアの街をお救いになり、そして、街を一から作り直した。人と魔物が手を取り合える理想郷を作るためにな」


 その言葉にエイラムは怒りを覚えた。人と魔物の間に愛があるとでも言いたいのか。そんなことはあり得ない。あっていいわけがない。


 そんな夢物語に付き合うつもりはなかった。でなければ、これまで戦ってきた目的がすべてなくなってしまう。正義のためにと口にして、何人もの命を奪ってきたというのに。


 だが、同時に疑問もあった。本当に可能なのではないか、と。ソリアの街では、魔物と人間が入り混じっていた。恐怖はなく、笑い声が絶えない穏な日常があった。


 もし、そんなことができるなら、そんな世界を作れるならば、それこそ……。


 アリシアへ視線を向ける。眉尾を寄せて、複雑な表情を浮かべていた。きっと彼女も同じ気持ちなのだろう。


 オドからは戦意はまったく見られなかった。ただ、静かにこちらを見つめてくるだけ。お互いに見つめあったまま時間が過ぎる。沈黙を破ったのはアリシアだった。

 彼女は剣を収めると、一歩前に出た。


 エイラムは驚く。まさか戦う意志を放棄するとは思わなかったからだ。


 しかし、彼女の口から出てきた言葉はさらに驚きに満ちたものだった。


「オドさんの言うこと、私は信じたい」


 その一言にエイラムは耳を疑った。


 何を考えているんだ、とエイラムの戸惑いをよそに、アリシアは言葉を続ける。


 その瞳には迷いではなく、後悔するような瞳だった。


「……私は魔物をたくさん、殺してきた。そこには小さな子供もいた。オークもゴブリンもオーガもみんなそれぞれ顔も違っていて、個性があって、家族がいる。それを私たちフェレン聖騎士は一方的に襲って、命を奪った」


 アリシアは目を伏せる。エイラムは何も言えなかった。エイラムも薄々は気が付いていた。魔物にも男もいれば女もいる。年齢だって十歳くらいの子供だっていた。しかし、それでもエイラムは魔物だと割り切ろうとした。だが、目の前にいるオドはどうだろうか。


 彼は人間よりも平和について考えているではないか。野蛮なのはどちらなのか。一方的に悪だと決めつけて、滅ぼそうとしている。魔物の住む村を焼き払い、子供を惨殺し、罪を犯すことすらもできない赤子も殺した。


「それが正しいことなんだ、と自分に言い聞かせてたけど、ソリアの街で見た光景には嘘はなかった。それが答えなんじゃないかなって」


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