ロランは執務室に入り、椅子に腰を下ろした。
長い帰路で、体中が痛かった。
視線を執務机に向ける。
たくさんの書類がタワーになって、天井まで届いていた。
もはや机上に置ききれずに床にまで置かれているのだから、その高さたるや相当なものだ。
この書類に目を通してサインをするだけで、いったいどれほどの時間を要するのか。
想像するだに恐ろしい。
シュトルハイム城ではこんなことは一切なかった。そもそも書類が溜まるほど仕事がなかったのだ。
だがここでは違う。
常に何しかしらの問題が起き、商人たちからの物資の仕入れや管理も滞りがちになっている。
その上、今度は戦争の準備まで行わなければいけない。
しばらく、何も考えたくないと思ったロランは書類の山から視線を外す。
それと同時に執務室の扉がノックされた。
「どうぞ」と返事をするとそこにはメイド服をきたリベルが恭しく頭を下げていた。
彼女を見るのは数日ぶりだ。
なんだかんだで、いつも傍に控えてくれていたのだが、ソリアの街をオークキングのオドと共に任せていた。
彼女はロランの言いつけ通り、街の復興に尽力してくれたようだ。
おかげで街は以前の活気を取り戻しつつある。
街の住民たちもかなりの数が戻ってきているようで、新規の住民までいるほどだった。
近くの農村からきた人々は口を揃えて言う。
魔王ロランが治めるソリアの街へ行けば、安全が保障されると。
そう噂されているらしく、最近では周辺の村からも移住希望者が来ているという。
日々、盗賊や野良の魔物、傭兵崩れなどからの被害に悩まされている人々にとって、ソリアの街は希望の地なのだ。
そして、嬉しい報告があった。
なんとソリアの街で街を自分たちで守るためにと自警団が結成されたという。
それもただの自警団ではない。
元冒険者や傭兵、帝国軍の脱走兵なども集まり、その中にはワーグナー獣人傭兵団が誇る最強メンバーたちもいるそうだ。
ワーグナー獣人傭兵団はその名の通り、魔物界では有名な傭兵団で狼人族を中心とした戦闘集団だ。
巨大な手足に分厚い毛皮、どんな攻撃にもびくともしない。鋭利な爪は鋼鉄の鎧すら軽々と切り裂く。
そんな彼らが味方だと思うととても心強い。
リベルは両手に持っていたトレーの上にあるアップルパイと紅茶の入ったコップをテーブルに置く。
紅茶とアップルパイは作り立てのようで、白い湯気が立っていた。
ロランはそれを見つめながら、よだれを垂らす。
アップルパイは料理の得意なレオに作ってもらったもので、パイ生地はサクサクとした食感で、その中にハチミツにひたひたになった甘い林檎が入っている。
一口食べるだけで、全身に染みわたる。疲れが一気に吹き飛んだ気がした。
幸せそうな顔をするロランを見て、リベルは微笑むと同時に嫉妬心を抱いていた。
ロランをここまで幸せにしているもの。そ
れは間違いなく自分ではなく、レオが作ったアップルパイだったからだ。
「我が主様」
「ん? なんだい?」
口端にパイ生地のカスをつけたまま顔を上げる主に、リベルは用意していたあるものを机の上に置く。
「こちらもぜひ、ご賞味くださいませ」
アップルパイとは別に用意していたリベルが机の上へと置く。
ロランはその物体をまじまじと見つめた。
一見するとレオが作ったアップルパイと同じ形をしているのだが、色が明らかに違っていた。
緑色と黒い色をした謎の物がパイ生地に練り込まれていて、しかも表面には茶色い何かが塗られている。
「……これは?」
「軍隊アリとハレアカキノコ、それにイモリの粉末を混ぜ合わせたデザートでございます」
「軍隊アリ……ってあの軍隊アリ?」
軍隊アリとは魔物の一種で、1メートルはある巨大なアリで、主に肉を主食として食べている。
魔物扱いにはなっているが、意思疎通ができないことから、家畜と同様の扱いを受けている。
時にはペットとして、飼っている魔物もいるほどだ。
リベルは自信満々に説明を始めた。
「こちらは軍隊アリの腹部と濃縮エキスをパイ生地に塗ったものです。それとハレアカキノコには強力な毒素が含まれ、さらにイモリの粉末は魔力を増幅させる効果があるそうです!」
「……僕を殺す気なの?」
「我が主様、ご冗談を。さぁ、冷めない内にお召し上がり下さいませ」
リベルは満面の笑みを浮かべ、フォークを差し出す。
この笑顔を前にして断れる人間がいるだろうか。
ロランは恐る恐るフォークを手に取り、緑色の物体を口に運んだ。
べちゃりとした感触と強烈な苦み。同時に舌を刺激する激痛。
あまりの不味さに吐きそうになるも、必死にこらえて飲み込む。
魔族でもあるロランにとっては確かに全てが栄養素だ。しかし、この料理はあまりにも酷すぎた。
喉に引っかかったような感覚、噛むごとに異物があるような違和感を覚え、舌触りも最悪。
それでもなんとか食べ切った。
涙目になりながらも、感想を聞こうとしている。
「いかがでしたか、我が主様? とても美味でしたか?」
それにロランは小さく頷く。口を抑えながら。今にも吐き出したいほどだが、彼女が悲しむ姿は見たくなかった。
「あの下等生物が作ったアップルパイよりもはるかに私めが作ったデザートの方が素晴らしいですよね!?」
リベルの言葉にもう一度首肯する。
すると彼女は嬉々として空なった皿を下げていく。
「では、わたしめは仕事に戻りますので失礼します。あ、おかわりもありますので、いつでも言ってくださいね」
リベルはそういうと深々とお辞儀した後、部屋を後にした。
「うぷっ」
吐きそうになったが、なんとか堪えた。よくよく考えれば、魔物たちが普段食べている食事はそんなものだった。
人間が作る料理の味を知ってしまったロランにとっては、とてもじゃないが二度と食べたくない味だったが、彼女にとってみれば極上の味なのだ。
そう考えると、彼女のために我慢しようと思った。
「………口直しにレオの果実ジュースが飲みたい……」
ロランは大きくため息をついたあと、書類を片付けることにした。