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第35話 依陽

「あらためまして蘭様。私は依陽。仲良くしてくださいましね」


 そう言ってふんわりとほほ笑んだのは、調査二日目に訪れた紗陽殿しゃようでんの主、依陽様だ。

 昨日の清蓮様のところと違って桃色一色ではないその部屋に、私は安堵の息をついた。


「よろしくお願いします、依陽様」

 花よりも緑色の植物が多く印象的な庭園が窓の外によく見える。

 室内の調度品もどれも落ち着きのある色合いで、華美ではなく、どちらかというと質素、とうのが適していると言える。

 何というか……清蓮様と大違い……。


 私は差し出されたお茶をずずっと啜ると、景天様が一口飲んでから何かに気づいたように茶器の中のお茶をじっと見つめ眉間の皺を深くした。


「これは……薬茶、だな?」

「薬茶?」

 景天様の言葉に私が首をかしげると、依陽様は嬉しそうにふわりとほほ笑んだ。


「さすが景天様。一口飲んですぐにお気づきになるだなんて。その通り、このお茶は異国より取り寄せた薬茶ですわ。効能は精神の安定。心に落ち着きをもたらしてくれますわ」

 確かに鼻にすっと抜けるようなさわやかな後味のおかげか、なんだか心が軽くなったように感じられる。


「薬茶、お詳しいんですね」

「ふふ。生家は医業を生業としていましたから、幼い頃から医学に触れてまいりましたの。中でも薬茶は大変興味深く、家の中の書物は全て読破したほどですわ。ここにある植物のほとんどが、薬茶に仕える植物なのですわよ」


 精神安定の薬茶……。しかも異国の……。


「!! もしかしてこれ、果ての国彩サイの?」

「まぁっ!! よくご存じですわね!! その通り、彩の国の縁茶えんちゃですわ。あまり知られていないというのに、蘭様は医学の心得が?」

「あ、いえ……。私、本を読むのが好きだったので、それこそ家じゅうの本を読み漁って──それこそ家中の本を読み漁っていたんです。その中に薬茶についての記述がなされているものもありました。実際に飲んだのは初めてですけれど」


 薬茶の材料は基本とても高価なものだ。

 一般の家ではまず飲むことはない。

 生活に余裕のあった商家であった時ですら飲むことはなかった。


 増してこの茶葉は遠い異国のもの。

 そう簡単に手に入れられるような代物ではない。


「素晴らしいですわ!! 蘭様は学のあるお方なのですわね!!」

「は、はは。まぁ……それほどでも」

「ほぉ? 学ねぇ……」

 景天様、そんなにじっとりとした目で見ないでほしい。

 学があるのかどうかはともかく、本を読むのが好きなのは事実なのだから。


「あの、依陽様は、亡くなられた妃嬪の方々とは仲は──」

「仲が良い、というものは、この後宮ではありえませんわ。誰しもが自分の敵である。それがこの後宮ですもの」

「!!」


 まさに魔窟……。

 だけどきっと、この人も紅蘭様とはうまくいっていたんだろうな。


「敵、ではありますが──彼女らの検死は、全て私が務めておりますわ」

「っ!? 依陽様が検死を、ですか!?」


 妃嬪の検視を、同じ妃嬪が行うだなんてそんなこと……。

 そもそも、死因というのはどういう見立てなのだろうか。

 謎の死としか聞いてないし……これはいい機会かもしれない。


「あの……。4人の亡くなられた妃嬪の皆様は、どのような死因で?」

 私が恐る恐る尋ねると、その場の空気がピリリと張り詰めたのが分かった。


「……4人の妃嬪は、それぞれ中毒症状が出ていましたわ。紫がかった唇。瞳の白濁。口元に泡。それらは全て、何らかの毒の症状と同じでしたわね」

「!!」


 毒、殺……。

 4人とも?

 じゃぁやっぱり、呪いなんかじゃなく、誰かが意図的に毒を……?


「ですが、食事は毒味がおりますし、一人の妃嬪につき5人ついていた毒味役は、皆ぴんぴんしていたのです。召し上がっていたお茶も、毒のようなにおいや色はしていなかった。何より、食事を作るのも配膳するのも、すべて二人一組で行われていて、何か入れようものならばすぐに告発されることになるのです。私達妃嬪も、食事に近づいている者はいませんでしたし、直前に茶会をする者もいなかったのです」


 経口毒は即効性のものと遅効性のものがあるというが、妃嬪達の中も悪く、近々で妃嬪同士の茶会もなかったとなると、確かに妃嬪の線は薄れる。


 給仕も二人一組の監視体制があるのならば、やはり毒を仕込むのは難しい。

 恐らくそのあたりもしっかりと調査されているのだろうし、それでおかしなことがないのならば、やっぱり亡霊の仕業……?


 だけど検死をしたのが犯人ならば──死因はいくらでも誤魔化すことができる。

 私がちらりと依陽様を見上げると、その涼やかな瞳と視線が重なった。


「私なら、死因を誤魔化すことも可能。そう思われましたわよね?」

「!!」

 意表を突かれたその言葉に、私は思わず口をキュッと引き結んだ。


「ですが残念ながら、検死は私の他にも宮廷医が付き添っておりましたから、誤魔化しようがありませんわ。宮廷医の見立ても、私の見立てと同じく中毒とのことでした」


 こちらも相互確認済、か……。

 これはいよいよ亡霊の線が濃いような気がしてきたぞ。


「二人一組、その二人が同じく嘘をついているとしたら──?」

 景天様の鋭い瞳が依陽様を射抜く。


 ピリリと張り詰めた空気がその場を覆い、私はただ成り行きを見守る。

 そして──。


「ぷっ……っははははははっ!!」

「!?」

 突然堰を切ったように笑い始めた依陽様に、私、そして景天様も唖然として彼女を見つめた。


「そう、確かにその通りですわね!! っははは!! では、私もまだ容疑者、ということですわね!!」

 心底楽しそうに笑った後、依陽様はその美しい涼やかな瞳を細めてから続けた。


「賢い方は大好きですわ。あなた方お二人の推理、楽しみにしておりますわね」






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