謁見の間、その玉座に皇帝陛下。
そして傍で前皇帝陛下の妃嬪達が控えている。
私達がそこに集まったのは、正午のことだった。
豪華な面々が一堂に会し、何とも言えないピリピリとした空気が漂う中、私は景天様と永寿様と共に、その緊張感あふれる戦場へと飛び込んだ。
「柳蘭。此度の件、真相を見抜いたとのことだが、まことか?」
皇帝陛下の感情の伴わないその声に、私は首を垂れ「まことにございます」と粛々と答えた。
大丈夫だ。
今朝、景天様に頼んでいた証拠もそろった。
すべてうまくいくはずだ。
「まず、この度の連続して妃嬪が無くなっているというこの事件ですが……亡霊などではない。生きた人によるものです」
「!!」
「生きた人、ですって!? い、一体誰ですの!? その殺人鬼は!!」
声を上げる麗璃様。
他の妃嬪もそれぞれ戸惑いの表情を浮かべて動揺を隠せない様子だ。
それでも皇帝陛下の表情だけは変わらない。
「犯人は生きた人であり、それは景天様のお母様である麗羽様、そして皇帝陛下の妻である蓉雪、様をも手にかけています」
「蓉雪の?」
私の言葉に、ここに来て初めて皇帝陛下の表情に変化があった。
明らかな困惑。
静かな怒り。
だがそれも一瞬で、すぐにまた無に還ってしまった。
「それで? いったい何が?」
「はい。……皆さんは、『死の緑』というものをご存知でしょうか?」
私の問いかけに、妃濱も、そして皇帝陛下、景天様、永寿様も訝しげに首をかしげる。
「蓉雪様の部屋で屑籠の中からくしゃくしゃに丸められた紙くずを発見しました。
それには、1枚目に“苦しさ”、“咳”、“身体の重さ”、“意識混濁”と書かれ、2枚目には一部が黒く塗りつぶされ、“色”、“ニオイ”、“全集2”、“泡”、“香”と書かれていました。──これがそれです」
姉様の部屋から拝借した二枚の紙を伸ばして、その場の全員に見せるように掲げる。
「こちらが蓉雪様の身に起きた症状。そしてこちらが、蓉雪様が自ら考察していた軌跡。これらの症状と特徴から、この殺人事件は『死の緑』に含まれるヒ素による毒殺であると考えられます」
「っ、ヒ素、だと……?」
「はい。『死の緑』は、その顔料にヒ素を含有していて、特徴としてはその美しい緑色と、それに似合わないネズミの死骸のような臭い。姉……蓉雪様の部屋の壁に顔を近づけると、ひどいネズミの死臭のような臭いがしました。あの部屋に塗りめぐらされた緑が、その『死の緑』だったのです」
説明しながら、一人一人の表情を見ていく。
誰もかれもが青ざめ、信じられないと言った表情でこちらを見ている。
だけど彼女だけは、きっと他の人とは違う理由でそんな顔をしているのだということは、容易に想像がつく。
「異国ではこの『死の緑』を使った衣服が一時期流行したそうで、たくさんの死者を出したと言います。遠い国の出来事故、この国にその情報は入っていませんが異国の事象に精通するあるお方の書いた書物に、そのことが記されています。この“全集2”は、その書のことです。そしてその一部に塗られた文字は、恐らく──“緑”」
「!? なんだと──!? では蓉雪は、それに気づいて……っ!!」
初めてひどい動揺を見せた皇帝陛下に、私は表情を硬くして頷いた。
「麗羽様も、その次にこの部屋を使った妃嬪もこの『死の緑』によるものでしょう」
「ですが、亡くなったのはこの部屋を使っていた妃嬪だけではございませんわ。他の方はこんな部屋──」
「えぇ、依陽様。だから『死の緑』は──この部屋の他にも使われていたのです」
「!? 他にも、ですって!? そんな危険な部屋が他にもあるといいますの!?」
麗璃様の甲高い声が響く。
「部屋、ではありません。皆様、もっていらっしゃる方も多いのではないですか? 早々に割られた麗璃様を除いて──」
私の言葉に、清蓮様、依陽様、明々様が麗璃様に視線を向け、やがて震える口でその名を口にした。
「まさか…………紅蘭、様……?」
清蓮様のつぶやきに、私はゆっくりと頷く。
「はい。何人かが紅蘭様から頂いていたというあの茶器にも『死の緑』が塗り込まれています。その臭いで気づかれない程度に、薄く、ですが」
「っ……で、でも、あれを頂いていない方も死んでいますのよ? それはどういう──」
「絵画」
「え?」
景天様に調べてもらっていた部分。
私の仮説を裏付けるものは、全てそこだ。
「一番新しく亡くなった妃嬪の部屋が、まだ未整理の立ち入り禁止の部屋として残っていました。そこに、『死の緑』を使った絵画が飾られていました」
「!!」
景天様に頼んで最近亡くなった妃嬪の部屋の絵画を持ち出してもらったのは、美しい緑が使われた絵画だった。
その色はまさしくあの部屋と同じ色で──。
「絵画? では後宮御用達の商人が?」
「いいえ。あれは後宮で描かれたものです。一人の、妃嬪によって」
「!!」
「後宮で!? では──犯人は……妃嬪ですの?」
騒然とする中で落ち着き払った妃嬪が一人。
私は
「何でこんなことを? ────明々様」
「なっ!? 明々様が!?」
誰もが驚きの声を上げ、彼女を信じられないと言った様子で見た。
それでも明々様は、特に表情を変えることなく、粛然として静かに言った。
「よく、お分かりになられましたわね。あの緑が、『死の緑』だと……」
「私、本を読むのが好きなんです。国内外のもの問わず。思い出すのに時間はかかってしまいましたけど」
「……なるほど。知の力、というわけですか……。えぇ、半分は、私が殺しましたわ」
「!!」
半分は、とつけられた言葉に、誰もが理解する。
その、目をそむけたくなる真実を──。
「明々、話せ。なぜ次々と妃嬪を?」
皇帝陛下の硬い声が、明々様に向かう。
「……私は、皇后になるためにここに来たから、でございます」
「皇后に?」
淡々と繰り出された言葉に、皇帝陛下が眉を顰めると、明々様は顔色を変えることなくゆっくりと頷いた。
「華蓮で、ただ静かに暮らしていたのです。……ですが、前皇帝陛下に見染められ、この国に嫁ぎました。大切な場所も、家族も、恋人も捨てて……」
「!?」
「恋……人……?」
飛び出した言葉に、私は息を呑む。
「結婚の約束をしていました。ですが、他国の皇帝陛下の申し出を断ることもできず、国や父の期待に背くこともできず……。全てを失ってまで嫁いだからには、私は、皇后にならねばならなかった。それが、私が国に残してきた、あの人への責任だと……」
期待と責任を背負っているからこその行動。
それだけ追い詰めたことを、もう前皇帝が知ることはない。
そして華蓮の汪も、明々様のご家族も……。
「紅蘭様の妃嬪への感情に気がづいたのは、あの茶器を頂いた時です。色を扱う私には、色を薄めていてもすぐにわかりました。遠き異国のあの事件は、父とも話題に上がりましたから。紅蘭様が麗羽様に明け渡されたあの部屋が『死の緑』を薄めずに塗られているのだと知った時、その本気の狂気に、私は茶器を土に埋めました。私は何かの時の為に、紅蘭様に『絵画の色に使いたいから』と、あの顔料を取り寄せてもらえるように願い出ました。紅蘭様は、私が使って自滅するなら好都合とでも思ったのでしょう。すぐにあれを取り寄せてくださいました。そしてそれからすぐ紅蘭様がご逝去され、皇帝陛下もすぐにご逝去され、あれだけ多くいた妃濱は大きく減りました。私は好機だと思ったのです。そして『あれ』で描いた絵画を、茶器を贈られていない妃嬪に送りました。より近くで、妃嬪が絵画を見るように、そして『あれ』の臭いを消すように、香の香りも付けて」
そして紅蘭様、明々様の手により、連続殺人事件が起こった、というわけか。
「そんな……紅蘭様が……!? で、では私もいずれ……」
「その心配はありません」
顔を青くして震える清蓮様に私が否定の言葉を続ける。
「あれは日々使い続けることで強い毒が蓄積されます。清蓮様は特別な時にしか出されていなかったということですし、今のところ大丈夫かと」
私の言葉に安堵の息を漏らす清蓮様だけれど、次の明々様の言葉で再び表情を凍らせた。
「ですが……子を生す可能性は、低くなる」
「!!」
「おそらく紅蘭様は、妃嬪に関してはそれほど強く殺意を抱いてはいませんでしたわ。皇帝にはある程度妃嬪はあるものだと、理解もされていた。だからあの『死の部屋』を、麗羽様以外が使うことを禁じたのです。……まぁ、紅蘭様の死後、前皇帝陛下があの部屋を解放してしまい、結果一人の妃嬪が犠牲になりましたけれど……。紅蘭様にとって、前皇帝の寵愛深かった麗羽様だけは、許せなかったのでしょう。だけど、前皇帝のお子を、ご自分の子意外存在する事も許せなくて、『死の緑』を薄めた茶器を譲り渡した。おそらく、紅蘭様の茶会で出されていたお茶も、避妊や堕胎に効果のあるものだったでしょうね」
だから前皇帝にはあれだけの妃嬪がいながらお子が2人しかいなかった。
あの部屋にいながらも景天様を身籠り無事産み落としたことは奇跡と言えるだろう。
「明々様。あなたの本当の望みは……違いますよね?」
「……」
気づいてしまった、明々様の本当の気持ち。
一つの真実に隠された、もう一つの真実。
「全てを投げ出して嫁いだ責任の裏で、あなたはどこかで、自分を終わらせることを願っていた。あの絵画で私に色のことを教えたのは、その足掛かりにするためだったのでしょう? 紅蘭様の関与をにおわせ、自分と一連の殺人を紐づけるため。だって、色が無くて描きかけのままなのだというだけでよかったのですもの」
親切丁寧に紅蘭様の緑を欲していたとまで私に教える必要はなかった。
だって、紅蘭様の贈与記録を調べれば──すぐにその緑が明々様の手に既にわたっていたことは知られてしまうのだから。
景天様がすぐに記録は調べてくれたが、予想通りだった。
「……そうね。私は──還りたかったのかもしれない。あの村に……。あの人の住む、あの大切な場所に──」
そう言って明々様は、どこかここではない、遠くを見つめて笑った。
「……明々夫人を、牢へ」
静かに皇帝陛下が兵に命じ、抵抗する様子もなく明々様は連行され、後宮連続殺人事件は幕を閉じた。
浮き彫りになった、どろどろとした真実を残して──。