ずっと、私には何も与えられなかった。
大切にしていたものさえ容易く奪われ、お前はグズだノロマだとなじられるばかりの日々。
ただ愛されたかっただけで。
ただみんなと同じようにしてもらいたかっただけで。
……どうしたら認めてもらえるのだろう?
………どうしたら、私は赦されるのだろう?
ずっと、そんなことばかり考えてきた。
いまはちょっぴり、幸せだ。
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「――みんなの目の色が変わった、あの瞬間をいまでも強く覚えています」
コンビニ前。志久真の隣でそう振り返るホルンは、遠い目をしながら過去の記憶を遡る。第十二期生の横暴によって年功序列制の格差が可視化され、ホルンという末妹が誰よりも下の存在になってしまったとき。
何よりも恐ろしいと感じたのは、それまで仲良くしていたはずの歳の近い十三期生らの裏切りだった。
当時学舎の裏で、〝姉〟の顔になってしまった〝元同期〟にホルンの体は軽く突き飛ばされる。
背の高い三人ほどがぐるりと取り囲んで、尻餅を着き、怯えるホルンの姿を冷酷な眼差しで見下した。
『ずっと気に食わなかったのよ。誰よりも年下なのに、偉そうに』
『え、えらっ、えらそう? そんなっ、私、そんなつもりない、そんなことしてないよ……』
『口答えしてんじゃないわよ!』
『っ……!』
その豹変っぷりが、ホルンには理解できなかった。
昨日までは楽しく語らっていたはずの間柄だ。少なくとも純真無垢なホルンはそう信じていたが、この態度の変化を見てしまえば、『みんな実は私に不満があったのだ』と思い込まざるを得なかった。
嫌われていると気付いてしまうことが恐ろしい日々だった。
『ねェ、センパイたちに聞いたんだけどサァ、姉って妹に何してもいいらしいの。日々の雑用とか、身の回りの世話とか。アッハ、傑作じゃない?? あんた、私の小間使いけってーい!』
『そ、そんな。わ、私、やることがあるのに……』
弱々しく返す言葉すらかき消すように、ケラケラと嘲笑じみた高笑いが三重奏になってホルンの精神を追い詰める。
『え、なに。あんたいま何か言った?』
『ひっ』
髪を掴まれて、強制的を前を向かされることもあった。
目の前には猛禽類のような目つきでホルンを痛めつけることしか考えていない〝姉〟の姿があって、それがたまらなく怖くて、涙を我慢できなかった。
『な、なんでもないです……』
『ん〜っ、いい子でちゅねホルンちゃん〜?』
小馬鹿にしているとしか感じられない言葉遣い。
見下しているのがありありと分かる態度で、〝姉〟たちはホルンに次々と雑用を命じていく。
『アレやって』
『ソレやって』
『コレやって』
『えっえっ……』
できなければ何が待っているかなんて、およそ想像のつく通りのこと。
『ったく。もっと効率よく働けよグズ』
『もたもたもたもた、さっきからサァ……。見ててイライラするんだけど。何考えてんの?』
『ノロマぁ! 鈍臭ホルン〜! あははっ!』
雑に投げかけられる幼稚な悪口でさえ、ホルンの心を疲弊させ、追い詰めるのに十分な効果を発揮した。
ホルンにそのような態度を取るのは、決して最初に豹変した姿を見せた三人だけではなかった。
この場にいる全員から、うっすらと見下げられているのが分かる。
誰も助けてはくれないし、むしろそれを当然のように思う。
それどころか、『文句を言われるのはホルンが言った通りのことをしないからじゃない。当たり前でしょ』と糾弾される。
それが到底、一人のうら若き乙女にこなせるタスクの量でなくとも、だ。
ホルンの人生は、常に逆境の中にあった。
疲弊し、やつれ、擦り切れる精神。
自己肯定感など養えるはずもない……。
「――当時の私は、人間不信に陥っていました。それまでは優しかったはずの姉妹が、私を奴隷のような目で見てくるようになったんですから」
一人の時間があれば簡単に塞ぎ込んで、息を殺して、背を丸めて、誰にも見つからないはずの場所で蹲って時間をやり過ごした。
そこにめざとくやってきたのが、ゲルだった。
「当時の私は、彼女の慰めの言葉を受け入れられなかったんです」
『大丈夫っすか? ホルン』
最初に投げかけられた言葉。
答えることなんてできなかった。
もしも救いを求めて顔を上げれば、それは嘘だったと種明かしされる。ここに至るまでの日々で、ホルンは姉たちにそのような仕打ちを何度も受けた。
期待をさせて、絶望に叩き落とす。
……ゲルも、それをしてきたんだと思い込んだ。
『うち、馬鹿だし無視されてるから何かを変えるとか呼びかけるってことができないっすけど、ホルンの話を聞いてあげることはできるっす』
信じるな。絶対に信じるな。心を開いちゃダメだ。嘘だと決めつけるべきだ。
ホルンは必死に自分の本心から目を逸らし続ける。本当は早く助けてほしい。泣きつきたかった。話を聞いて欲しかった。
ゲルの言葉は飛びつきたくなる甘い餌だったけれど、〝これもきっと嘘なんだ〟という先入観を捨てきれられなくて。
ホルンはそれがたまらなく恐ろしくて、自己防衛のために塞ぎ込んだ。
人を信じられなくなることがこんなにも苦しいのかと胸が張り裂けそうだった。
『寄り添ってあげたいっす。何を隠そう、うちも思うところあったんすよ! 一緒に悪口とか吐き出して、スッキリしないっすか??』
被害妄想ばかりが駆け巡る。
きっと私が悪口を一度でも言えば、あるいは彼女の悪口にわずかでも頷いてしまえば、きっとすぐさま姉にそのことが共有されてイジメの材料にされると思った。
これ以上傷つかないでいるためには、孤独でいることしかホルンに道はなかった。
「……そして、それは間違っていませんでした」
たまらず走って逃げてしまった。結局、本当か嘘か分からないゲルの言葉を無視したまま置き去りにしてしまったことに罪悪感を感じ出していた頃。
ゲルはすでにカーラとつるみ出していて、本性を表したようにホルンを攻撃しはじめた。
「いまでも、正解が分からないです。あの子は私が無視したことを根に持っている。だけど私は、どうすればよかった? 否定することも肯定することもできない」
「……ゲルが言うには、一応、その言葉は本心だったらしい」
「でも結果は彼女は私をいじめたじゃないですか! 私はっ、ただ傷つきたくなかった……!」
長年溜め込んでいた苦しみを打ち明けて、悲壮的に泣き叫ぶホルン。持ち前の想像力でその気持ちが痛いほど理解できる志久真は、苦い顔をして彼女に歩み寄り、雪に濡れる体を抱き締める。
「うあぁああっ……っ」
ホルンは、志久真の胸元にしがみつきながらわんわんと泣きじゃくり続けた。
彼女の孤独に志久真は寄り添う。
両者の視点で辿る〝過去〟を知って、もう修復されようのない溝の深さを思い知った。
ゲルが、自分の居場所を見出すためにホルンを目の敵にしたのは簡単には許せないが……。
もしも運命のいたずらがなく、二人が過不足ない言葉で互いを語り合えていたら、いまとは違う二人の関係性ももしかしたらあったのかもしれない。