某月某日。
重い呪いの念に巻き付けられながら、
「
士匄は強い力で押さえつけられ、体を、特に足を固定される。押さえつけてくるのが人なのかそうでないのか、わからぬ。ぎ、と喉奥から呻くように奇声をあげた。
刖とは脚を斬る欠損刑である。
「う、嘘でしょう、あ、」
あまりの惨劇を目の当たりにし、
士匄の脚に刃が食い込み、ぶちぶちと筋肉の繊維をちぎりながら
「がああああああああああああああああっ」
全て落ち、
「うそ、うそです、なに、こ、れ」
響きわたる士匄の叫び声に趙武は首を振りながら、両耳を手で押さえた。
さて、一旦話をさかのぼる。いったいなぜこんな惨劇になったのかと話を巻き戻す、よくあるアレである――……。
■□■
――つまらん話が舞い込んできやがった……
「いやあこれまた父上も面白いことを仰る。わたしに、わざわざ! 新たな
二十代半ば、整った顔にどこか野性味を漂わせた青年である。その笑みはからかいまじりで、父親に対して無礼極まりない。
黄砂を連れた強い風が外で舞っている。庭には桃の花がほころんでいたが、砂を避けるように主人の邸は扉を固く閉じていた。
士匄は
若さゆえと他人は見るだろう。が、これこそが士匄という青年の生来の気質なのだ。
父親である士燮は目元をぴくりと動かしながら、低く唸るように改めて命じた。
「
自分が行くのはめんどくさい!
我の強い若者である、ありありと顔に出てしまった。
厳父と言って良い士爕は苦々しくにらむ。どうも、この息子は耐えると言うことを知らぬ。
「親に対する意をお許しを。わたしがわざわざ行うことでもありますまい。邑ひとつ、
堪え忍ぶということをバカバカしいと思っている士匄は、ずけずけとストレートに言い切った。
親に対する謙譲もくそもない言葉遣いである。なおかつ、場所が遠いからわざわざ行きたくないという本音を隠そうともしない。
「匄。私は常に言っている。戒めを持て、常に慎みを思え、苦難に耐え、祖を尊べ。それがなんだ。親の命に頷かぬ。次に家長が決めたことにケチをつける。最後に親の真意を勝手に推測する。そのような振舞いは終わりよくない。………汝は我が家を滅ぼす気か」
「父上に付して具申の願いと、ご挨拶いたしましたまで」
士匄が深々と、しかしわざとらしく拝礼する。常識家かつ厳格な士燮は、怒りのあまりめまいを起こしかけたが、何とか持ち直した。
持ち前の忍耐力と自制心を発揮して士燮は怒声をおしこめる。静かに重い声で
「
と返した。
士匄の言うとおり、この邑は大国の
形骸化した周王朝の貴族が西方の軍事大国、晋によしみを結ぼうと近づいてきたわけだ。
確かに、その経緯は責を持つ士爕が知ればよく、小僧ごときは知らぬで良いことではある。
「父上。わたしは
流れるような所作で拝礼する様も、顔を上げてまっすぐ視線を合わせる怜悧な表情も、士燮すら思わず見惚れるほどの完璧な嗣子ぶりだった。朗々と正論を語り、清々しいほどである。
が。 口を挟む隙を与えないのも士匄である。
「わたしは無知蒙昧、出来の悪い嗣子だ。もしどなたかに尋ねられたなら『父上が弱腰にも周の貴族ごときの押し売りに負け、まぬけにも賄賂と気づかずしょうもない邑を喜んでいただきました』などと、妄言吐きかねません。不孝な息子をお許しください」
続けて嘯いた言葉は、父親に対するものとしてあるまじきものと言って良い。殴られると分かった上で甘えきった憎まれ口である。
当然なされた士燮の殴打を素直に受けた後、士匄は何事もなかったかのように姿勢を正した。
士燮はため息を付いた。士匄の言う通りである。周の貴族からむりやり押し付けられた賄賂であった。
「私は断った。我らは
そう。士爕は敢然と断ったのである。慎み深く私欲の無さが有名な、いわば賢臣である。周の貴族が秘密裏に賄賂を送ってきたことも苦々しいというのに、それが
「しかし、食いつかれた。というところでしょうか」
士爕を揶揄することなく、口を出した士匄に、士爕は苦い顔を向けたが頷いた。問題の貴族は諦めなかった。
士の一族は正道を歩み欲が無い。しかし、きっちり領地は広げている。
本当に無欲であれば大きな威勢など持ちようが無い、というわけだ。このあたり、周は衰えても王都であり、その貴族たちも老練さがある。晋は質実剛健な国でこの手のいやらしさがない。
何度も粘られているうちに、士爕は折れた。
「食いつかれすぎた。これは父の不覚、浅さであった。
士燮が首を振りながら嘆いた後、士匄をひたりと見据えて戒めの言葉を紡ぐ。
「無い腹を探られかねん。我が君と卿たちは
この時期、晋には大きな争いは無いが、君主と卿らの間で政治権の綱引きが静かに続いている。小さな傷が大きな乱を起こす可能性もおおいにあった。
それをにおわせながら、士爕が深い声で再度、行け、と命じてきた。ただ賄賂を受け取るだけではなく、もっと重い物を背負え、と言われた気がして、士匄は承りました、と拝礼した。
とまあ、その時は父上ごもっとも、と思ってしまったんだよなあ
と、士匄は国都より離れた邑を見た。受け取りの邑である。空が黄砂で汚れ、強い風が衣をはためかせる。うんざりした士匄は舌打ちをした。
「このようなこと、
が、邑の門を抜け歓待されたあたりで考え直す。士爕は受け渡しだけを命じたが、これは周の貴族とコネを作るチャンスでもあった。
士爕が心底嫌がった発想である。
力を失ったとはいえ周の余光は使い勝手が良い。士匄は俄然機嫌がよくなった。
付き従っている家臣たちは特に驚かない。この若者は頭の回転が速く勘が鋭すぎるせいか、感情が生のままで出る場合が多い。
しかも、極めて楽観的であり、己の良い方向へ物事を解釈する。きっと今回もそれであろうと思ったのだ。
引き渡しの
「この度は我が
貴族が儀に則って生け贄である羊の血を唇に塗って言った。そうして、同じ文言が書かれた竹簡を渡してくる。
「この度、邑の祀りを承り恐悦至極に存じます。わたしの祖は
互いの祖を文字と言葉で確かめ合い、天へ約定を
その時である。
「ここは、我が地である!」
みすぼらしく、
よくよく見れば染めていない
年の頃はわからない。老人のようにも見え、疲れ果てた壮年のようにも思えた。
「このものは」
士匄はするどい声で聞いた。周の貴族は困惑した顔をする。
「時々来てはこのようなことを叫ぶ狂人です。我らもほとほと困っている。
軽く目配せすると、士匄は傍に控えている己の家臣に
「斬れ」
と端的に言った。家臣どもは逡巡せずにみなでなで斬った。
士匄がしなかったのは、帯剣していないからである。この当時、剣は
男はあっさりと斬られた。薄汚れた麻衣に血が広がっていく。
そこからの士匄は常軌を逸していた。その死骸を邑の外へ持ちだそうとした家臣どもに
「生け贄と一緒に放り込め」
と言ったのである。神聖な儀に不浄不祥な狂人の死体など、と家臣たちもさすがに抗弁し、周人たちも息を飲んだ。
業を煮やした士匄は、その汚らしい死体を奪い引きずりながら運ぶと、坑の中に蹴り落とした。どう、と底に落ちた死体の上に生け贄を降ろさせ、玉璧を置く。
「古来、人の贄こそが最も
鼻を鳴らし、埋められていく地を見ながら士匄は嘯いた。その声音は自信と傲岸に満ちている。
この男は頭の回転早く、弁が立つ。その自信により前に踏み出す力は強い。
が、どうしようもないほどの我の強さがあり、結果、傲岸としかいえない態度をとる。
家臣どもは蒼白になりその様子を伺った。これはさすがに、主である士爕に言上せねばならぬであろう、とも思った。
「父上には言うな。あの方は少々心配性。めんどくさい」
士匄はだれた仕草をしながら家臣たちを睨み付ける。
この
ただ、彼のルールから逸脱した者は
法を犯した
と責められ、下手すれば罰をくらう。
結局、この自儘な嗣子の前に、家臣たちは黙るしかなかった。その様子を見た士匄が傲慢な仕草をしたかといえば、そうでもない。
「しかし、お前たちの働きは良き。素早く、鮮やかであった。今日は邑にて宴席であるが、おまえ達も侍って良い。思う存分肉を食え」
心底労る顔で、士匄は家臣どもへ無邪気に笑んだ。
彼らは下役であり、肉などめったにありつけぬ。お心遣いありがとうございます、と丁寧に、喜色を隠さず拝礼した。
士匄は傲岸であるが、傲慢ではない。このようなところで、妙なかわいげがあった。
さて、宴席もその際の儀礼も省略する。士匄はこの周の貴族に個人的な友誼を結ぶと――半ば強引にせまったのである――無事役目を終えて帰った。
帰る最中、襤褸の男を斬った家臣どもが川に落ちたり落石で潰されたり食中毒で死んだりとしたが、士匄は運が悪い奴らだなあ、という程度で何も思わなかった。
人が死ぬにつれ少々の瘴気も漂い、
しかし、己には関係ないと思い込んた。恐ろしいほどの自己肯定と楽観主義である。
そもそも死んだのは運の悪い下僕どもある。彼らは士燮の部下である。つまり、父への不詳であろう。士匄は勝手にそう断じたのだ。
ゆえになんだかんだと父を尊敬する士匄は不詳を祓うよう薦めた。このあたり、当時の事故や病気などの不幸は、天の采配や陰陽の乱れという考えが強いのだ。
士匄にとって、まあめんどくさい仕事が終わって一段落、であったが、数日経って体が重い、頭が痛い、などの症状が出だした。理由は明白であった。
「今日も、祓え」
士氏に仕える
「このところ、毎日ではございませぬか。体質とはいえ、何か不祥なことをなされたのでは」
言われ、士匄は考えるが心当たりがない。
「わからん。続くようなら先達に相談もしよう。とりあえず出る。父より後に出仕すれば、殴られかねん」
年功序列、謙譲と孝、そして己への戒めに厳しい父親である。
子は親より先に宮城に出て控えることが肝要。
年功序列、謙譲と孝、そして己への戒めに厳しい父親である。
子は親より先に宮城に出て控えることが肝要。
士匄は、それは正しいながらも少々堅苦しいと思いながら、首をコキコキと鳴らしたあと、うんざりした顔で家を出た。
若い
今、士匄は趙武を教導する立場となり、二人で行動することが多い。
「ちょっと。
范叔とは士匄の字である。それはともかく、士匄は憑いた雑霊を手で祓う仕草をしながら、
「祓っては憑いてくる。これでも道すがらかなりどけたのだ。宮城に入ればさすがに増えぬが、これ以上落ちん」
最も早く控えていた
ここ数日、士匄は雑多な幽霊に取り憑かれる毎日である。元々、憑かれやすい体質であるため、いつものことと当初は軽く見ていたが、こうも多く寄ってくるのは異常であった。
さほど霊感はない趙武や韓無忌にもわかるほどである。まあ、この時代はこのような超常現象が多数記録されており、何の作用かわかることも多かったようだ。
「何か心当たりは無いのですか? 対処療法に祓うだけでは意味がありません。きちんと原因を究明したほうが良いです。私も見ていて不快です」
見た目によらず、趙武ははっきりと言った。これは趙武が非礼無遠慮というわけではない。そのくらい、士匄の状況が周囲にも迷惑なのである。
凶に触れれば凶になる。それが古代の考え方でもある。今であれば感染症を振りまくに等しい。
「知らん。はっきり言おう。呪われる心当たりなど、多すぎてわからん。呪うようなものどもは卑しくたいがい逆恨みをする。我が家、わたし含めそのようなことはあるであろう」
士匄は苦虫を噛み潰したような顔をして、言った。
さて。読者のかたはお察しであろう。原因は先日の、冒涜的ともいえる儀式である。が、この真相に彼らが気づくまで、しばしお待ち頂きたい。