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東京都心は人口の密集地帯であり、ビジネスや文化の中心地でもある。
そのため、人々の「情念」や「欲望」といった強い感情が集まりやすい。
ダンジョン生成の理論の中で言われているように、こうした感情が建物や土地に染みつくことでダンジョンの発生が促進されるという説が有力視されている。
しかし東京都心に存在するダンジョンの多くは「どんぐりの背比べ」と言えるほどに難易度に大きな差がなく、探索者にとっては同じような試練ばかりを繰り返す場所となってしまう。
高難度のダンジョンに挑戦したいと考えるならば、地方へ足を運ぶ必要が出てくるのだ。
地方には東京都心よりも難易度の高いダンジョンが散在しており、過酷な探索を生き甲斐とする一部の探索者などは地方行脚が欠かせないという。
ともかくも片倉はそういった事情で都内のダンジョンを避けた。
単独探索を試みる以上、挑むべきは自らの限界を試すような高難度のダンジョンだ。
だが、丙-3や丙-2クラスのダンジョンでは、自身が求める「試練」を得るには不十分であると判断した。
ちなみにトー横ダンジョンはあれから認定が上方修正されて、丙-1ダンジョンとなっている。
丙-1認定のダンジョンは初級者の壁とされ、これをチームで安定して攻略出来る事が中級探索者だとされている。
ゆえに──
「挑むならせめて丙-1だな」
そう考えた片倉は、埼玉県は深谷市にあるカザリア研究所廃墟へと向かう事に決めたのだった。
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埼玉県深谷市に位置する「カザリア研究所廃墟」は、かつて日本政府が設立した極秘の医療施設だった。
これはダンジョン時代黎明期の負の遺産だ。
カザリア研究所はダンジョンの資源を安定して得るために、人として本来あるべき枠を大きく越えなければならなくなった為に作られた。
この研究所の目的はPSI能力の人為的な覚醒である。
研究所では、数多くの被験者に対して過酷な実験が繰り返された。
薬物や特殊な機器を使って脳や精神に刺激を与え、超常的な力を引き出そうとしたのだ。
実験の結果、多くの被験者は肉体的・精神的に崩壊し、暴走した。
これにより研究所は制御不能となり、政府は急遽施設を閉鎖。
数多くの犠牲者を出しながらも、この場所は歴史から抹消されたかに思えた。
しかし、やがてこの研究所は廃墟と化し、そして自然とダンジョンへと姿を変えた。
片倉がこの場所を選んだ理由は、過去に一度、このダンジョンを仲間たちと共に攻略した経験があったからだ。
しかし、その時の挑戦はあくまでチームでのものだった。
今度は違う。
片倉は自ら一人でこのダンジョンに挑むつもりだ。
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片倉は瞬時に頭を傾げ、顔面に飛び込んできた火球を紙一重で避けた。
熱風が頬を焦がし、鋭い痛みが走る。
しかしそんな痛みは無視し、即座に反撃に移った。
手に握った刃渡り60センチのブレードを一閃させ、目の前の"それ"の首を切り落とす。
"それ"は、かつてのカザリア研究所で行われた実験の成れの果てだ。
片倉の前に倒れた"それ"の姿は、かつて人間だったことをわずかに思わせるものだった。
肉体は水死体の様に膨れ上がり、皮膚は灰色に変色し、ひび割れた部分からは黒い血がにじみ出ていた。
顔は歪み、瞳は曇った白い光を放っている。
両腕は長く引き伸ばされ、異様に肥大化した手の指先からは鋭い爪が生えていた。
背中にはかつて研究所で行われた実験の痕跡を示す機械の部品が無造作に埋め込まれており、配線が露出している箇所からはまだ微弱な電気が火花を散らしている。
下手に人間の面影を残しているせいで、よりグロテスクな側面が目立ってしまっていた。
今でも研究所内を彷徨い、様々なPSI能力を駆使して襲いかかってくるヒトガタの怪物。
当時の被験者そのものなのか、あるいはダンジョンがその情念を読み取って創り出した幻影なのかは未だに謎のままである。
片倉はモンスターが確実に死んだ事を確認し、周囲を見渡す。
かつて仲間たちと共にこのカザリア研究所廃墟に挑んだときと変わらない光景。
研究所のエントランスは、時が止まったかのように荒れはて、壁には無数のひび割れと黒い焦げ跡が残っている。
片倉は倒した"それ"の背中に埋め込まれた機械を確認すると、手早くその装置を壊し、内部から小さなチップを慎重に抜き取った。
チップは手のひらに収まるほどの大きさで、これがこのカザリア研究所廃墟ダンジョンの主な戦利品だ。
このチップはダンジョン協会によって高額で買い取られており、サイズや状態によってその価値は150万円から500万円程度にまで上る。
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エントランスから次のフロアへは渡り廊下を挟まねばならない。
その廊下で片倉の目に飛び込んできたのは、渡り廊下で壁に向かって何度も頭をぶつけている白衣姿の少女だった。
肩まで伸びた黒髪、薄幸そうな顔立ち。
横顔を見る限りでは美少女と言ってもいいだろう。
──飛び掛かるには遠すぎるな
片倉は僅かに片足を後方へ引き下げ、
少女が片倉に気付き、ゆっくりと振り返る。
そして少女が口を開き、話しかけようとしたその瞬間──片倉は投げナイフを投擲した。
狙いは喉だ。
しかしナイフは宙空でぴたりと止まった。
見えない力に阻まれたのだ。
少女と片倉の視線が重なる。
次の瞬間、片倉の体が空中に弾き飛ばされた。
時速60キロで走る軽トラックに轢かれるに等しい衝撃が片倉に襲い掛かるがしかし。
──ダメージはない
とはいえ、PSI能力のおかげで近寄れなさそうだ。
「少し工夫をするか」
片倉が腰を沈め、低い姿勢を取る。
──視線が合った瞬間に攻撃が来たということは
片倉は、眼前の少女が対象を認識しなければ能力の発動ができないと当たりをつけた。
そして壁に向かって飛び、その壁を蹴って反対側の壁を蹴ったかと思いきや、次は天井へ。
これを無作為、無軌道に繰り返すことで念動の射線を切る──それが片倉が言う所の工夫であった。
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このご時世になってもまだ探索者という
片倉はまさに生きた嵐であった。
床、壁、天井を蹴りつつ、らせん状に少女に迫る様は横倒しにした竜巻を思わせる。
少女は片倉を視界に捉える事が出来ず──
迎撃叶わず、少女は片倉の強烈な蹴りを首に受ける事になった。
首は片倉のつま先で蹴り千切られて、頭は後方へ吹き飛び、胴体のみがその場に倒れる。
着地した片倉は少女の方を向き直り、暫く警戒の姿勢を崩さなかった。
しかし一向に起き上がらないのを見て、ようやく戦闘態勢を時、ゆっくりと少女のほうへ歩み寄っていき、死体の傍らにかがみ込む。
何をしているのか言えば、 "戦利品" を物色しているのだ。
衣服を剥ぎ取り、生体ですらも必要とあらば
「チップは頭の方か。脊椎は……置き換えられている。引き抜いて持って帰るか」
薄暗い研究所の通路に、グチャグチャという耳を覆いたくなるような音が響き渡った。
今回の単独探索の目的は "攻略" だ。
"攻略" とは、ダンジョンから一定評価以上の戦利品を持ち帰る事を意味する。
いくらモンスターとはいえ、人間の外見をしているモノを解体するというのはいい気分がしないという向きもあるにはあるがしかし、探索者もある程度場数をこなしてくると、このくらいでは何とも思わない様になってくる。
人は人で、モンスターはモンスターだという割り切りが出来る様になってくるのだ。
だが生物としての強度で人を超え、その感性までもが人間離れしてしまえば、それは果たして人と言えるかどうか。