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第39話【単独探索③】

 ◆


 探索を続けていた片倉だが、奇妙なことに気づいた。


 一言で言ってしまえばモンスターとの遭遇率が高すぎるのだ。


 かつてチームとともに挑んだ時にはここまで多くのモンスターとは遭遇していない。


 通路の一本一本、部屋の一つ一つを探索するたびに、何かしらのモンスターと遭遇する。


 それも先ほどの少女然としたモンスターの様に、一工夫しなければ倒せないような相手が多い。


 それにしたところで、モンスターそれぞれの強さも明らかに違う。


 少女モンスターの念動も、本来ならばプロ野球選手のフルスイング程度の衝撃が数多く襲ってくると言ったところだった筈が、片倉が受けた衝撃といえば軽トラックの衝突に等しいようなものだった。


 これでは丙-1認定されている探索者ではあるいは不覚を取る事もあるだろう。


 ──『逆の事をすると連中は喜ぶ。逆ってのはつまり、なんて言ったらいいのかな、挑戦ってやつでさぁね。限界に挑戦するだとか、リスクを冒すだとか……そういった事をね。そしたら何が起きるかっていうとね、ギリギリのラインを攻めてくるっていうのかな。こっちが死ぬか死なないかわからないような、そんなやばい状況をぶち込んでくる』


 片倉の脳裏に以蔵の言葉が蘇った。


「と、なると」


 片倉は目を細め、眼前のドアを睨みつける。


 ドアにはプレートがかけられており、そこには「所長室」と記されていた。


 片倉は息を止め、扉の向こう側に漂う異様な気配を感じ取った。


 重い圧だ。


 それはかつて鉱山で対峙したあの蛙の怪物の時と似た、全身を締め付けるような圧力であった。


 ドアの周辺の空気が濁り、まるで触れただけで皮膚がただれる様な瘴気と化している。


 これは異常だった。


 本来この院長室にはモンスターが存在するはずがないとされていたからだ。


 院長室はいわゆる宝物庫の様な場所で、様々な検体や標本、そして希少な研究資料が無造作に並べられている場所だ。


 かつて片倉が仲間たちと訪れた際、それらの戦利品は高額で取引された。


 しかし──。


 今の片倉が感じているこの圧は、ただ事ではない。


 強者の気配、死の予感。


 片倉はナイフの柄を握りしめ、指先に力を込めた。


 単独探索というリスクが、この異常な事態を招いたのかもしれない。


「……試されているってわけか」


 一歩、ゆっくりと足を踏み出す。


 片倉は覚悟を決めた表情で所長室のドアノブに手をかけ──ずに、いきなり前蹴りを放って蹴り開けた。


 ◆


 ドアが室内へ向けて吹き飛ばされる。


 片倉が粗暴なわけではなく、これが探索者の作法なのだ。


 お行儀よくドアを開けるのも悪くはないが、そのドア自体が噛みついてきたり、ドア向こうの何者かに襲われたりされる可能性がある。


 所長室内はかつて彼が訪れた時と変わらず、無造作に並べられた研究資料と標本がそのまま残されていた。


 だが、何よりも大きい違いは──デスクに座る人影だ。


 髪は長く艶やかで、眼鏡の奥から鋭い瞳が覗く女。


 白衣を身にまとったその姿は人間そのものに見える。


 片倉は警戒を緩めずに距離をとったまま、その人物を注視した。


 有無を言わさぬ先制攻撃がベストだと分かってはいたが、女にはそれをさせないだけの圧がある。


「やあ」


 女はまるで日常会話をするかのように、自然な調子で話しかけてきた。


「君は人間かい?」


 片倉は答えない。


 問答に応える事それ自体が攻撃のトリガーとなるモンスターも存在するからだ。


 無言の片倉に、女は自嘲するような笑みを向ける。


 そして、ゆっくりとデスクから身を起こしながら「私はどうやら、もう人間ではなくなってしまったらしい」と言った。


 ──、だと? 


 ダンジョンが生成される際、その場に居た生物や建造物、あるいは情念などがモンスターとして変質してしまう事がある。


 しかしひとたび変質してしまえば意識も肉体も元のままではいられないというのが常識だ。


 だのに、女は十分な意識を残している様に見える。


「私はかつてこのカザリア研究所の所長を務めていた早見玲子だ」


 早見玲子──その名前は片倉も知っていた。


 かつてこの研究所で非人道的な実験を繰り返し、千人を超える一般人と百名以上の探索者を犠牲にしたマッドサイエンティスト。


 無数の生命を弄び、数えきれないほどの罪を重ねた女。


 ──早見玲子は死んだ筈だ


 カザリア研究所の閉鎖に伴い、早見玲子は国家探索者のチームに殺害された。


 彼女が実験体を使って閉鎖に抵抗した為である。


 早見はもう一度笑った。しかしその笑みは皮肉めいていて冷たい。


「君が思ってる通りだ。私は殺されたはずだったよね。でも私はこうして、まだこの場所にいる」


 早見の口調は穏やかだったが片倉はじり、と僅かに後退りした。


 口調と雰囲気がまるで真逆だったからだ。


 片倉はこの研究所に漂う厄の粒子が、眼前の女に収束していくかのような感覚を覚えた。


 脳裏に描かれるのはグラス、そして水。


 最初は空だったグラスに、次第に水が満ちていく。


 そして空想の水がグラスの縁に届くその前に、片倉は飛びこんだ。



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