■その249 サンタさんのフライング■
ウッド調のこざっぱりとした喫茶店の店内の一番奥、オレンジ色のライトで淡く照らされた絵は、青と白の芸術です。見る人によって、『空』にも『海』にも『花』にも姿を変えるその絵は、見た人の気持ちを穏やかにしてくれました。
それは主が、両親と伯父さん夫婦を思って描いたもので、コンクールで入賞して賞金まで貰えました。
「
「恥ずかしいよ」
お風呂上がりの主と、忘年会のお片付けを終わらせた
「凄いな。この1枚の絵が元で、新しい仕事が生まれた」
「私は、描いただけだよ?」
「この絵がなければ、坂本さんがブライダルの仕事に手を出そうとも、思わなかったんじゃないか?」
「… それは分からないけれど、正直、嬉しいな」
にっこり微笑む主のホッペを、三鷹さんの大きな手が優しくなてました。
「顔に、疲れが出てる」
「いつも皆、美味しい美味しいって食べてくれるから、今日も頑張っちゃった。三鷹さん、今夜のご飯のお味、いかがでした?」
大きな手のひらがホッペを、筋張った長い指が主の耳や首筋を撫でます。
「旨かった。文句のつけようがない」
主は少しくすぐったくて、でも、気持ちも良くって、もっと撫でて貰いたくって、自分からホッペを少し動かしていました。その心地よさからか、一日の疲れが出始めたのか、主の瞳は少しトロン… とし始めています。
「皆、
「皆、桜雨に出迎えて貰うと、安心するんだ。俺もだ。すごくホッとして、力が抜けて、リラックスできる」
「そうかぁ… 私でも皆の役に立ってるんだね。良かった」
ホッとした声も、少し眠そうです。主、心のどこかで、自分の居場所に不安があったんですね。皆、それぞれに目標を持って、それに向けて動いているから…
「居てくれないと、皆が困る。俺は、駄目になるぞ」
三鷹さんは、洗いたてのフワフワした主の髪に顔を埋めて、その少し甘い香りを楽しみます。
「… うん、じゃぁ、どこにも行かない」
撫でて撫でて、っておねだりする秋君みたいに、主も三鷹さんの胸元で軽く頭を振ります。
「そうしてくれ。でも、鍵を使うタイミングは、少し早いんじゃないか?」
三鷹さんは、主の背中を優しく撫でながら、前髪の上からオデコに唇をあてました。唇を完全に離さないよう、そこでコソコソお話を続けます。三鷹さんちの鍵を使うのは卒業してから… って、貰った時に言われましたもんね。
「フライングだな」
三鷹さん、声が少し嬉しそうです。
「ち、違うわ。サンタさんがクリスマスプレゼントを持って行ってくれるって言ったから、鍵を貸したのよ。私じゃなくて、サンタさん」
「そうか、サンタさんか」
少し慌てる主に、三鷹さんは小さく笑って、主の目元に唇を移動させました。
「み… 三鷹さん…」
オデコ、両方の
そして…
「俺のこれは、フライングだな」
主の唇の横、触れるか触れないかの所で三鷹さんはそう言うと、その唇は喉をハミと挟みました。ポン! って、主のお顔が、首元まで一気に真っ赤になりました。
「確かに、サンタは届けてくれた。クロバーを持ったカエルの一輪挿しと、真っ赤な一輪の薔薇。だから、依頼主にお礼をしたいんだが…」
「ももももう、十分、気持ちは伝わったと思う」
三鷹さん、今日はずいぶんと意地悪です。主はお顔を真っ赤にしたままアワアワしながら、俯いてしまいました。三鷹さんの少し意地悪なお顔、恥ずかしくて見れないんですよね。
「そうか… 少し、残念だな」
そう言って、三鷹さんはお鼻で主の髪をかき分けて、出て来た小さなお耳に、今までより少しだけ音を立ててキスをしました。
「狼さん、赤ずきんちゃんを食べるには、まだ少し早いんじゃないかな?」
主の肌がさらに赤さを増した時、お店のカウンターの方から三鷹さんの背中に向かって、声がかけられました。怒りを抑えて抑えて… 出来るだけ大人になろうと努めているのが、声から伝わりますよ、梅吉さん。
「チッ!!」
三島さん、舌打ちが大きいです。
「狼さん、それ、完全アウトだから。射殺される前に、住処に戻った方が身のためだよ」
梅吉さんにもその舌打ちが聞こえたみたいで、梅吉さんのコメカミがピクピクしています。
「三鷹さん、三鷹さん… 明日、夕方のお散歩、一緒に行こう?」
「持ちろん」
真っ赤なお顔で上目使いに三鷹さんを見つめて、主がこそっと聞きました。それに気を良くした三鷹さんは、頬を緩めます。
「じゃぁ… また明日ね」
主はそう言うと、首を伸ばして三鷹さんのお鼻の頭に、唇をチョンと置きました。それは触れるか触れないかの微かなもので、それでも、三鷹さんには十分なものだったみたいで…
「梅吉兄さん、どうしよう。… 三鷹さん、固まっちゃった」
「早くしないと人食い狼に変わるから、こっちにおいで」
三鷹さんの動きがピタッと止まってしまって、主がアタフタとしていると、梅吉さんが大きいため息をついて手招きをしました。
「三鷹は、ほおっておいても大丈夫だし、むしろ一人にしてやって」
「… う、うん」
呆れかえった梅吉さんの声に、主は後ろ髪を引かれる思いで三鷹さんから放れて、梅吉さんの横を通って、真っすぐお部屋に行きました。
「私のサンタさん」
勉強机の上、緑色のガラスで出来ている天使の姿をしたカエルの一輪挿しに、今年も真っ赤な薔薇が一本届いていました。
月明かりに照らされた薔薇を見つめながら、三鷹さんの唇の感触を思い出しました。オデコ、瞼、お鼻の頭、ホッペ、顎、喉、耳…。主の指先が、三鷹さんの唇の跡を追います。そして…
「ドキドキし過ぎて、死んじゃうかと思った」
唇の横に指先を置いて、そのままベッドに倒れ込みました。
「心臓の音、煩い…」
そう思いながらも、背中を撫でてくれた大きな他の感触や温度を思い出して、主はいつの間にか眠っていました。