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第267話 雪と温泉・あんた、何をした?!

■その267 雪と温泉・あんた、何をした?!■


 主達が初夢の話で盛り上がっている頃、隣の男風呂では、珍しく梅吉さんがコメカミに血管を浮かべていました。

 温泉を背に、腰にタオルを巻いて仁王立ちする梅吉さん。その前には、温泉でポカポカに温まった高校男児が4人と、大きな大人が1人、鍛えられた体を隠すことなく… きちんと正座しています。床の凸凹が痛そうですね。


「本当にバカ! この吹雪の中で、浴衣で互角稽古なんて、自殺行為も良いところだ! 俺の桃華ももか桜雨おうめが肺炎にでもなったら、お前等どう責任取るつもりだ!」


 と、こんな事を、10分ほど前から永遠と言われています。他のお客さんがまばらだって言っても、迷惑ですよ。メチャクチャ注目の的です。


「白川も東条も、勝手についてきたんじゃん」


「あ?! 何か言ったか?」


 佐伯君がボソっと呟くと、梅吉さんが素早く反応します。滅多に見せない、貴重な般若の様なお顔…


「何にも~」


 そんな梅吉さんに口をはさめるのは、佐伯君だけです。

 吹雪の中で凍りそうになった3人は、工藤さんと梅吉さんに担がれて、ビショビショになった浴衣や下着を引ん剝かれて、温泉に投げ入れられました。三鷹さんと佐伯君は、呆れた坂本さんとビクビク怯え切った三木本君に、温泉に押し入れられました。 そして、ホカホカになってからのお説教タイムです。


「彼方がたは、ご自分の立場というものを、全く理解していないようですね。まぁ、昨夜の一件に付きましては、佐伯君の配慮不足が招いた事ですので、とやかく言うつもりはありません。しかし、今朝の奇襲からの一連の事に関しては、感心しないですね。受験を控える身であること、就職の内定が決まった身であること。これらが、今の君たちの立場です。ここで問題を起こした場合、受験が出来なくなる、内定が取り消されると言ったことが、高確率で起こりうることで…」


 まだまだコメカミに血管を浮かせたままの梅吉さんですが、強制的に笠原先生にバトンタッチです。梅吉さん、坂本さんに温泉の中に引きずり込まれました。


「工藤さんも、災難だったわね。5分ぐらいお説教させたら、皆で朝食に行きましょう」


 腰にタオルを1枚巻いて、木のイスに座って、クドクドネチネチお説教をしている笠原先生と、正座でそろそろ足が痺れだしてモジモジし始めた4人を見ながら、坂本さんが言いました。

 三鷹さん、正座は慣れているから、綺麗な姿勢のままです。お説教も、聞いているのかいないのか…。腰にタオルを巻いただけの姿ですけれど。


「監督! 監督! 居ました、居ましたよ~」


 そんなお説教タイムを終わらせたのは、どこの誰とも知らない男の人でした。30代ぐらいですか? ずんぐりむっくりの体形で、全体的に毛深くて、浮腫んだように丸い顔にはビッシリ伸びたひげと小さな丸眼鏡。頭には黄色いタオルを巻いています。


「君たち、さっき裏で剣道の手合わせをやっていた子達やろ?」


 その人は、湯気で曇った眼鏡を指で拭いて、遠慮なしに笠原先生と正座組の間に入り込んできました。


「失礼ですが、貴方は?」


 梅吉さんが素早く近寄って、その男の人に声をかけました。瞬間、梅吉さんの身体中の産毛が逆立って、ブルッと、体が震えました。お風呂の出入り口、開けっぱなしですか? 温度が下がった感じですね。


「あ、すんません。私、加賀谷という者です。チーフ助監督をやっています」


 いつもなら、ここで名刺を差し出しているんでしょうね。何かをつまんだ風な手元が、梅吉さんに差し出されました。けど、エアー名刺ですからねぇ…


「お兄さん、ここは受け取ってくれないとぉ~。ノリ、悪いですなぁ」


 加賀谷さん、関西系の方ですか?


「ノリが悪くて、すみませんね。ここに正座させられている馬鹿者達のおかげで、すこぶる不機嫌なもので」


「あら~、短気は寿命が縮まりまっせ。おおらかに、おおらかに…」


 加賀谷さんは、締まりのない体をブルンブルン震わせながら、ニコニコ笑っています。


「で、どんな御用ですか? 特にないのでしたら、朝食に行きたいのですが」


 イライラしている梅吉さんを見ても、加賀谷さんはニコニコです。そして、ニコニコしたまま、髭に覆われた口を大きく開けた瞬間でした。


「あんた、何をした?」


 梅吉さんの肩をつかんで、坂本さんが立っていました。そのお顔は、眉間にシワを寄せて、緊張感があります。ポカポカのはずの梅吉さんの体が、坂本さんの手の熱をありがたく吸収していきます。


 あれ? 俺の体、こんなに冷えたのか?


 そう思いながらも、収まっていない鳥肌にビックリしました。


「何をしてきた?」


「なんやの? 藪から棒に。怖いニイサンですなぁ…。何をって、ここ2ヶ月は休みなく仕事です。忙しくて、キレイなオネエチャンと、遊ぶ暇もあらへん」


 坂本さんの発する圧力に、加賀谷さんはタジタジしながら助けを求める目で、辺りを見渡します。坂本さんは、そんな加賀谷さんの両肩をガシッとつかんで、黄色いタオルを巻いた頭の上辺りを見ました。眉間のシワをさらに深くして、薄めでジィ~っと…


「雪が邪魔だな。… やしろじゃないな、ほこらだな。あんた、ここに来る前に、祠に寄ったか?」


「祠? ああ、神社のちんまいやつな。雪で車のタイヤがスリップして、オケツから突っ込んでしまったやつな」


 その続きもあったようですけど、それを言う前に、坂本さんの拳がその右頬に炸裂しました。坂本さん、男らしいですよ。


「うべぇ」


 変な声と共に、加賀谷さんがぶっ飛んで、温泉の中に頭から落ちました。

見事なお湯柱です。周りの人達は、目が点です。


「んもう、汚いわねぇ…」


 大きく深呼吸してから手を振る坂本さんは、いつもの調子に戻っていました。


「梅吉、しっかり温まったら、一仕事よ。皆も、いつまでも正座してないで、早くお湯に浸かって」


 坂本さん、呆然としている佐伯君のお友達達のお尻を、ペロンペロンと撫で上げていきます。 皆、ヒッ! て短い悲鳴を上げて、お湯に入りました。佐伯君は、素早くお湯の中に逃げていました。


「オッサン、覚悟しといた方がいいよ」


 濡れ鼠のように、お湯の中から頭を出した加賀谷さんに、佐伯君が真顔で言いました。



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