■その269 雪と温泉・母達の決意■
宿の駐車場に停めてある車は、どれもこれも雪の中。駐車場の目印さえ雪にうまっているので、宿の人の案内がないとその場所すら分かりません。
僕の主の
今朝着いたばかりのこの車は、駐車場に空きがなかったからと、勝手に業者専用の駐車スペースに停めていました。ようは、勝手口に横付けしたままなんです。壁と軒下が広いおかげで、外の駐車場に停めている車達よりは、雪は積もっていません。お尻から
「あ~寒い寒い。せっかく温泉で温まったって言うのに、風邪ひいてまうな」
加賀谷さんは運転席辺りを探しています。
「加賀谷さん、この車、走るんですか?」
「ここまではな。こっから先は、神のみぞ知るやね~」
ガサゴソガサゴソとそれらしい物を探していますけど、なかなか見つかりません。
「加賀谷さん、祠から持って来たもの、本当に覚えていないんですか?」
「んー… 祠に突っ込んだ時、後ろがパッカーンって開いてな、荷物がバラバラバラバラ~って出てもうてな、神さんの物と混ぜこぜになってな、とりあえず手当たり次第に突っ込んで、とりあえず何とか後ろ閉めて走ったかんなぁ~」
適当ですね。でも、吹雪始めた頃だと思うと、しょうがないんですかね? 視界も足場も、悪いですもんね。
本当は、
ゴン! バキッ! バキバキ!!
聞こえちゃいけない音が雪に吸い込まれて、主の前が一気に開けました。
同時に、大量の雪も入り込んできます。
「こっちの方が早い」
三鷹さん、待ちきれなくなって、車の後ろを外しちゃいました。そして、手当たり次第に荷物を勝手口の中へとほおり投げていきます。主は特に驚きもしないで、秋君と一緒に掘り進んでいきます。
「お兄さん、お兄さん、勘弁してくれや。全部、商売道具やさかいに、壊されたらかなわんわ」
加賀谷さんが車から飛び出してきましたけど、車を壊したことに関しては良いんですか?
「時間がかかったら、桜雨が風邪をひく」
「お兄さんの世界は、お嬢ちゃんが中心なんやね~」
そうなんですよ、加賀谷さん。
「せやかて、投げるのは止めてんか~」
半べそで、加賀谷さんは積極的に荷物を下ろし始めました。そんな騒動に動じず、主はまだ座席を掘り込んでいます。
「わんわん!」
ここ掘れワンワン。秋君が、何かを見つけたみたいです。
「加賀谷さん、たぶん、見つけました」
主はそれを大事にスキーウェアの中に抱えて車から飛び出すと、一目散に皆が待っている大宴会場に向かいました。そんな主を、秋君と三鷹さんが追いかけます。
「え、ちょっ、ちょっと待って?! これ、ここ、どうするの?」
壊された車、散らかされた大小さまざまな物… そんな中で、加賀谷さんはオロオロしていました。
■
朝食の時間が終わって、他の泊り客が居なくなった大宴会場では、宿の女将さんや小暮先生達が何やらお話をしています。が、皆の注目は、正座して向き合っている美世さんと
「いけません。梅吉も桃華も桜雨も、祠には行かせません!」
美世さん、珍しくキツイ口調です。勢いよく
「母さん、坂本さんが言っていたじゃない。私と桜雨が向かうのが一番適任だって。危ないのは百も承知よ。でも、誰かがやらなきゃいけない事だし、それなら一番適任だっていう私達が良いでしょう? 距離だってたいしたこと…」
「いけません。これは、東条の本家の者がやる事です。私達は東条の家から出た者です。筋ではありません」
桃華ちゃんの言葉を遮って、美世さんがピシャリと言って、小暮先生の方に向き直り姿勢を正しました。背筋がシュッと伸びた、綺麗な正座です。細く荒れた指先を綺麗にそろえて、深々と頭を下げました。
「和良様、東条家、白川家は分家として出来る限りのサポートをさせていただきます。しかし、分家から人を出すつもりはございません」
それは、主も桃華ちゃんも、初めて見る美世さんの姿でした。そして、その横に美和さんも加わりました。修二さんは、苦々しくそれを見つめています。勇一さんは、いつもと変わりません。
「あ… いえ… うん、そうですよね。確かに、ここは僕の出番ですよね。
女の子に危険な事はさせられませんし、母の名代としても僕が行きます」
小暮先生も驚いて、考えが少し飛んじゃったみたいです。美世さんも美和さんも、頭を下げたままピクリとも動きません。
「それに、山の神様は女神だから、女性が入ると嫉妬するとも言われていますもんね。大丈夫です、水島先生と笠原先生と、東条先生がいれば…」
「先程も申しました通り、当家の梅吉も出すつもりはございません」
「母さん、俺は行くよ。さすがに小暮先生だけじゃぁ、何かと心配だし、俺も東条家の人間だから」
皆の中で一人だけスキーウェアを着て、旅館周辺の地図を見ていた梅吉さんが立ち上がりました。少し濡れているから、外の様子を見に出たみたいですね。すかさず、美和さんが梅吉さんを見上げました。
「貴方が産まれる以前に、貴方のご両親と私達は東条の本家から出ました。
それは並大抵の覚悟ではなく、先日、先代当主の勇大様とお会いするまで、現当主の一美様との最低限の連絡のみで、隠れるように生活してきました。
その連絡も、美世さんのみ。それはひとえに、『東条』の権力争いから守るため。今、ここで、貴方が東条の者として祠に向かうと言うのでしたら、それは今の生活を捨ててあの家に戻るという事。『東条』家の本家の人間として、権力争いの中に身を置くこと。貴方にその覚悟があるのでしたら、私も美世さんもそれなりの覚悟をいたします」
誰も、何も言えませんでした。美世さんと美和さんが今まで守って来たものの大きさ、強い覚悟に、言葉が見つかりませんでした。
「『家制度』の呪いと言ったところでしょうか」
張り詰めた空気を破ったのは、笠原先生でした。いつもの口調で、笠原先生は正座したままの桃華ちゃんの前に正座しました。
「左手、出してください」
すっと出された笠原先生の手のひらの上に、桃華ちゃんは言われるままに左手を置きました。
「はい、これで貴女は『笠原桃華』です。『東条』の家から、貴女は抜けました」
笠原先生は、桃華ちゃんの左の薬指に、スルっと指輪をはめました。ビックリした桃華ちゃんは、浴衣の上から右手で胸元を押さえました。そこにあるはずの指輪が、チェーンごとないのに、ようやく気が付いたみたいです。笠原先生、いつの間に取ったんですかね? 一流のスリみたいですよ。
「貴女は、来月には大学受験を控える身で、受かれば大学と奥さんの二足の
「… はい」
笠原先生を見つめたまま、胸元に右手を、笠原先生の手に左手を置いたままで、桃華ちゃんは呆然と頷きます。
「勇一さん、美世さん、桃華は未成年なので、ご両親の同意を頂きたいのですが」
笠原先生から、緊張の欠片も感じません。まるで…
「修学旅行のお手紙に保護者印が欲しいので、忘れず押してください」
と、言っているみたいです。
「おめでとう、桃華。笠原君、桃華をよろしくお願いします」
動いたのは、勇一さんでした。桃華ちゃんと笠原先生の間に座って、深々と頭を下げます。それを見て、美世さんも慌てて笠原先生に頭を下げました。
「桃ちゃん、おめでとう~!!」
何とも言えない空気を破ったのは、襖の影からのぞき見していた主でした。襖をスパーンと開けて、呆然としている桃華ちゃんの背中に勢いよく抱きつきました。
「おめでとう!」
それを皮切りに、皆が祝福の大きな拍手をしてくれました。大森さんと三島先生は、左右から桃華ちゃんに抱き着きます。
「…
そんなお祝いムードの中、梅吉さんは畳の上に泣き崩れていました。