■その270 雪と温泉・吹雪と女の子■
お家に帰ったら、
「… め… お… め…
主は、名前を呼ばれて目を開けました。
強烈な吹雪きの中、主は雪の中で横たわっていました。真っ白な空間に、ポツンとあるオレンジ。スキー板もスノーボードも無く、スキーウェアと毛糸の帽子、グローブを付けただけの姿で主は雪の中に横たわっていました。うっすらと被った雪を払わないで立ち上がっても、真っ白でした。
―ホワイトアウト―
身動きが取れません。前後左右、真っ白な雪が吹きすさんで方向感覚どころか平衡感覚も狂って、聴覚も荒ぶる雪の音しか聞こえず、ただただその場に立ちすくんでいるだけです。
「今の声、
これだけの吹雪の中に横たわっていたのに、上に積もった雪はほんのわずかだから、さっきの回想は一瞬の事だったんだ。でも、いつ皆とはぐれたのか、記憶が無いよ…
そう思いながら、皆とはぐれた瞬間を思い出そうとするんですけど、寒さが主の思考力も奪っていきます。
「もしかして、これ、現実じゃない方かな? 神様の宝物も、持ってないし…」
スキー場とかでこんなことが何回かあったし、神様に返す宝物は、主が持っていましたもんね。はぐれない様にと腰につけたロープは、皆と繋がっていたはずです。それも、跡形もありません。でも、確かめる方法も分からないし、確かめている時間も無いですよ。このまま立っているだけだったら、凍え死んじゃいますよ。
「カエルちゃんは、ちゃんとあるし… そうだ」
主は、スキーウェアの上から胸元を押さえて、僕(キーホルダー)が首に下がっているのを確認して、ウエストポーチを開きました。
「坂本さんが持っていきなさいって、言ってた鈴。これで、何とかなるかな?」
主が取り出したのは、放課後の学校で不思議な小さなおばちゃんがくれたカエルの土の鈴です。
「誰かに届くかな?」
手のひらサイズのその鈴を、ゆっくり振ります。カロンカロンという控えめの音は、吹雪の中に吸い込まれて周りに響き渡りません。それでも主は鈴を振ります。
「
スキー用のブーツを履いた足も、グローブを付けた手も、ウェアの下に着こんで防寒している体も、どんどん冷えていきます。それでも主は、ウェアの上から僕を握りしめながら、鈴を鳴らします。
「お姉さん、帰りたいの?」
そんな主の目の前に、ショートカットで青いニットのワンピースを着た女の子が現れました。
「貴女は、帰りたくないの? お母さんを、探しているんでしょう?」
女の子の顔が、吹雪でハッキリ見えません。青いニットだけが、嫌にハッキリしています。
「うん、探してるよ、お母さん。でも、誰がお母さんになってくれるか分からないの」
「そっか。お母さん、欲しいよね」
主は鈴をウエストポーチにしまって、女の子の前にしゃがみました。
この子は、まだ産まれる前の魂なんだ。だから、顔が分からなかったのね。ずっと、産んでくれる女性(人)を探していたのかな?
そう分かった主は、女の子の足元に指で顔を書き始めました。
「約束したでしょう? 貴女のお母さんのお顔、描いてあげる。今は雪の上だけど、貴女、急に消えちゃうから。後でちゃんと、クロッキー帳に描いてあげるね。まずは、目元かな…」
主、皆の所に戻らなくていいんですか? 早くしないと、どんどん体が冷えて、冷え切って死んじゃいますよ?!
「目は、下がってた方がいい。… もう少し下がってて、大きくて、とっても優しい感じ。お鼻は小さいの。唇も小さくて、ふっくらとしてて…」
女の子の言うがまま、主は指で描いていきます。
「… あら、どこかで見覚えがあるかと思ったら、私の顔?」
「うん。お姉さん、私のお母さんになってくれる?」
サラサラと、描き上げたお顔は雪で消されて行きます。代わりに、女の子の顔が見え始めました。
「そうね、少し時間がかかっても大丈夫? 私、まだ高校生だから」
「うん。私、待ってるね」
ニコッと笑った顔は、主にとてもよく似ていました。という事は、
「一緒に、帰ろうね」
主は吹雪の中、女の子をギュッと抱きしめました。
ああ、ようやくこの子に触れることが出来たなぁ… 一緒に、皆の所に帰ろうね。
そんな事を思いながら、主はそっと目を瞑りました。