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第271話雪と温泉・二人の天鈿女命

■その271 |雪と温泉・二人の天鈿女命あまのうずめのみこと


カロンカロン… 土の鈴の音と吹雪の音と一緒に、三鷹みたかさんが優しく名前を呼んでいるのに気が付きました。


「三鷹さん…」

「疲れたか? 半分は、進んだ」


ふっ… と目を覚ますと、三鷹さんの顔が… ゴーグルで目が隠れてますけど、見慣れた顎のラインが見えました。少し伸びたお髭が凍っているのも分かる距離… 三鷹さんはこの吹雪の中、主をお姫様抱っこで進んでいました。


「良かった、桜雨おうめ、目が覚めたのね」


 三鷹さんのすぐ前を歩く桃華ももかちゃんが、カエルの土の鈴を鳴らしてくれていました。ちょっと下を向くと、腰に結ばれたロープが見えます。その先は桃華ちゃんに、後ろは三鷹さんに、確りと繋がっています。そして、ウェアの中に抱えた硬い感触を確認できて、主はホッとしました。ウェアの中、加賀谷さんの車の中にあった小道具で、体に括りつけたんですよね。


「私、どのくらい寝てたの?」


「たいしたことない。散歩コースの雑木林に入ってからは、吹雪も少しはマシだ」


 主は歩こうとしたんですけれど、三鷹さんはがっしりと主を掴んで放しません。しっかり雪を踏みしめて、進んで行きます。

 出発前、宿の番頭さんから、地図を見せてもらったことを思い出しました。朝ご飯前、佐伯君の古いお友達と三鷹さんが互角稽古をしたあの場所から、100メートル弱で散歩コースの雑木林に入ります。散歩コースは池を中心にぐるりと回って1キロも無いぐらい。目的の祠は、その丁度真ん中あたりにあるそうです。

 主が注意深く周りを見渡しますが、これでもマシになったの?と思うぐらい、視界は悪いです。


「お正月の2日目から、いい経験だわ。今年はずいぶんと賑やかな年になるのかしら?」


 桃華ちゃんは言った後で、ロープを掴んでいる左手をジッと見つめました。


「まぁ、あれよね… 色々な意味で新生活のスタートよね」


うんうん。と頷きながら、グローブの下にはめている指輪を意識していました。

 主は、進行方向に顔を向けました。すぐ前に、桃華ちゃんの背中が見えます。その向こうに、笠原先生らしき後ろ姿がチラチラ…


「新生活かぁ~。ちょっと想像つかないかなぁ~」


 桃華ちゃんだけじゃないんですよ、主。主だって、春になったら高校生を卒業するんですから、新生活スタートですよ。それを思ってか、主は三鷹さんに視線を戻しました。


「出汁巻き玉子」


 主の視線を感じ取って、三鷹さんが呟きます。


「とりあえず、帰ったら出汁巻き玉子が食べたい」


「ふふふ… さっき、それを思ってたの。三鷹さんに、出汁巻き玉子を作ってあげなきゃって」


「あ、私もあったか~い、出汁巻き玉子食べたい! 少し濃い目のお味噌汁も飲みた~い!」


「焼き鮭も忘れないでください」


 笠原先生の声は、吹雪で少し聞き辛いですね。ギュっギュっギュっ… しっかりと雪を踏みしめながら、出て来るのは温かいご飯のお話しです。


「なんや、えらい質素な食事やな~。ビフテキとか、カキフライとか、ボルシチとか…」


 後ろから聞こえて来た関西なまりの言葉に、主は加賀谷さんが一緒だった事を思い出しました。三鷹さんの後ろは、加賀谷さんで、その後ろは監督の澤切さんです。腰に巻いたロープを確り握って、皆とはぐれない様に必死です。澤切さん、加賀谷さんの半分ぐらいしか幅がないから、気を抜いたら飛ばされちゃいますね。


「メニューは質素かもしれないけれど、味は三ツ星レストランにも劣らないんですからね」


「でも、アツアツのシチューやお鍋も食べたいな~。年末に頂いたお塩で、塩ちゃんこ鍋を作ったら、美味しそうじゃない?」


「あ、あの自然塩でしょう?あれで、浅漬けも作ってみたいわね」


 主と桃華ちゃんのお料理の会話に、加賀谷さんはヨダレが出て来ました。


「なんやなんや、お姉ちゃん達、お料理好きなんやね。私、よばれたいわ~」


 そんな加賀谷さんの声が聞こえたのか聞こえなかったのか… 主と桃華ちゃんは、楽しそうにCMソングを歌い出しました。


「あー、新しい入浴剤の歌やね。黒髪のお姉ちゃんは、随分とお歌うまいな~」


 ええ、どうせ、僕の主は調子はずれですよ。でも、凄く楽しそうに歌っているでしょう?


「しかし… こんな状態でも楽しめるなんて、大物だな」


 加賀谷さんの後ろ、最後尾の澤切さんが呟きました。澤切さん、もともと薄くて血色の悪い唇が、今は色すらないですよ。顔色も土色だし、まだらに伸びた無精髭も凍って、小さいですけど氷柱つららが出来てますし。

まるで、凍りそうなゴボウですね。


「… 吹雪が弱まりましたね」


 先頭を歩く笠原先生が、辺りを見渡しました。確かに、風が弱くなって、雪が横からじゃなく真上から落ちてくるようになりました。天井の様に低く広がった雲は、雨雲よりも明るめで、けれど下の方に濃い灰色の影が見えます。雪で覆われた木々も見えました。


「祠の神様、私達の歌が気に入ってくれたのかしら?」


「奉納舞や、神楽歌がありますからね。さしずめ、天の岩戸に閉じこもってしまった天照大御神あまてらすおおみかみを舞で誘い出した天鈿女命あまのうずめのみことよろしく、歌でここの神の悲しみと怒りを鎮めてみますか?」


 笠原先生の言葉に、主と桃華ちゃんは空を見て、顔を見合わせました。そして、主は三鷹さんに下ろしてもらうと、ポーチから出した携帯ナイフで、皆と繋がっているロープを切りました。


「歌は、何でもいいかしら?」


「CMソングで吹雪が弱くなったんだから、きっと大丈夫」


 そして、主と桃華ちゃんはニコッと笑って手を繋いで、歌い出しました。

歌いながらクルクル踊って進みます。それは、人気アイドルグループの踊りだったり、SNSで見た可愛い振付だったり… 二人の息がピッタリ! とまではいかなくてズレたり間違えたり、そもそも寒さで冷えきった体は上手く動いてくれないし、深く積もった雪で転んだり… それは神様に捧げるにはあまりにもお粗末な躍りですけど、2人で歌って笑って踊って、とっても楽しそうです。


「ほんま、天鈿女命や…」


「加賀谷君、なぜ、カメラを持ってこなかったんだろうねぇ…」


 少し前までの吹雪が、嘘のように止みました。一面の銀世界の中で、歌いながらクルクル踊る主と桃華ちゃんを前に、加賀谷さんと澤切さんは呆然としていました。そんな2人の横で、三鷹さんと笠原先生はどこか得意気な雰囲気です。顔には出していませんけれど。


 加賀谷さんが車のお尻で突っ込んだ祠は、大きな樹の根元にありました。

見事なまでに粉々です。その破片は雪に隠されることなく、まるで


「ここよ」


って、主達を待っているようでした。


「神様、大切な大切な宝物を戻しに来ました」


 主はスキーウェアを脱ぐと、桃花ちゃんもお手伝いしてくれて、オンブ紐でお腹に括り付けていたモノを外して、その祠後に置きました。

 それは、2つのカエルの置物でした。2つ合わせて、赤ちゃん位のサイズで、1つは緑色に白や薄緑の縞模様の入った緑瑪瑙めのう。もう1つは、白く透明な中に緑色の鉱物が入って、うっすらと苔が生えたように見える苔瑪瑙。2つの瑪瑙で出来たカエルが祠跡に置かれると、その上の雲がぽっかりと晴れました。太陽の光がキラキラと、2体のカエルと、主と桃華ちゃんに降り注ぎました。




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