■その275 雪と温泉・奉納舞■
昇ったばかりの太陽は、足跡一つない雪面をキラキラと輝かせています。
その中心に、
一面の銀世界を前に、2人の男の人が立っています。1人は黒い短髪に、目じりの切れ上った強面。1人は白髪交じりのオールバックに、切れ長の黒い瞳。2人は親世代にしては、まだまだ締まった筋肉質な躰を真っ白な剣道着に包み、日本刀を握りしめています。
「さて、ひと舞するか」
日本刀を鞘から引き抜き、素足で雪の中に歩み出たのは、勇一さんと修二さんでした。祠の主様の前まで進むと、主様に一礼してからお互いに向かい合い一礼…
一気に切り込みました。
真剣です。太陽と雪の光を乱反射させる刀身は、激しくぶつかり合い、鋼の音が周囲に響き渡ります。2人の動きに無駄はなく、祠の主様の目の前で、激しい攻防戦が繰り広げられています。
「どう見ても、奉納の舞には見えないんだけれど」
宿の中から、2人を見守る
皆さん、おはようございます。
お正月も3日目の今日は、夜が明けた時間から皆が宿の裏に集まって、『奉納舞』を見ています。今日は皆、ちゃんとお着替えできたようです。筋肉痛、だいぶマシになりました?
「私は、お父さんと勇一伯父さんが、剣を持てたことに驚きだわ」
主の言葉に、皆は大きく頷きました。
「あれは、『東条』の奉納舞。幾つか型はあるのよ。ただ、やみくもに刀を振るっているわけじゃないの。じゃなきゃ今頃、勇一さんの顔や体は切り傷だらけだわ。
型、2人とも、ちゃんと覚えていたみたいね」
美世さんのお話しに、皆は「なるほど~」と、頷きました。
昨日、祠の主様が「見たい」といったのは、互角稽古でした。朝、
加賀谷さんと澤切さんのお願いはともかく、祠の主様のお願いならと、三鷹さんは快く引き受けたのですが…
「せっかくなら、奉納舞がいいんじゃないかしら? 真剣使うから、迫力が段違いよ」
そんな坂本さんの一言で、互角稽古から奉納舞になり、竹刀から日本刀になりました。日本刀は、近くの神社からお借りしてきました。そして、
「奉納舞なら、俺と兄貴でやる」
修二さん自ら言い出して、勇一さんを連れて、今の今まで何処かに姿を隠していました。
「お父さんも勇一伯父さんも、どこに居たのかしら?」
目の前の白い世界の中、雪と袴からチラチラ見える二人の真っ赤な素足が、色鮮やかに主の目に映ります。
「
「禊?」
坂本さんの言葉を、大森さんがオウム返しにしました。
「そう、禊。川や滝や海とかで、体を清める事ね」
「でも、ここら辺に川はあるのかしら?」
田中さんの疑問に、坂本さんはニコッと微笑んで答えました。
「池があるじゃない」
「雑木林の真ん中にある池? 凍ってるんじゃないの?」
大森さんの言う通り、この寒さに大雪です、凍っていますよね。
「氷、砕けばいいのよ」
坂本さん、サラッと言っていますけど、相当な事ですよ?
大森さん達は、想像して寒くなったみたいです。自分の体をギュって抱きしめて、顔を見合わせました。それに、凍っていた池に浸かったとは思えない程、勇一さんと修二さんの動きは滑らかです。
「本当は、紋付き袴を着て、
でも、あの型だけは、吟詠がないの。あの型は…」
美世さんの説明を聞きながら、坂本さんが一枚の和紙と筆を主に渡しました。
「憑いた
白い剣道着を着た梅吉さん、三鷹さん、佐伯君、小暮先生が、
「何か…」
主は小さく呟くと、受け取った和紙を床に置いて、祠の主様を凝視し始めました。
「え、なに?」
「何が始まったの?」
「さ、寒くなりました」
大森さん、田中さん、松橋さんは、お互いを庇いあうように身を寄せました。
「そのドアからは、入ってこないから大丈夫よ」
坂本さん、危ないのは、外の6人ですか?
「えっぐいなぁ…」
「これ、カメラに映ってるのか?」
高橋さんと岩江さんは、外を見ながら顔をしかめています。加賀谷さんと澤切さんは、微動だにせずカメラを回しています。
見える人には、見えていました。真剣が激しくぶつかり合うたびに、祠の主様の体から、黒く禍々しい塊がドロドロと抜け出し、青い空の下で獣や鬼のような形になって方方に飛び立とうとします。それを、梅吉さん達の剣技と真剣のぶつかり合う音が消し去っていました。
そして、主の手が動きました。
「これ…」
筆を動かしたのは、一瞬でした。一瞬だったのに、汗が滝のように流れて、とても疲れていました。そして、和紙に描かれた人を見て、主自身が驚きました。
「
坂本さんに背中をそっと押されて、白い剣道着姿の桃華ちゃんがス… っとドアから一歩外に出ました。
小さなお口を大きく開けて、空に向かって歌い始めました。高く伸びやかな声が綴るのは、皆の心に染みわたる鎮魂歌。誰ともなく、剣技のスピードが落ち、同時に祠の主様に向かって頭を下げていました。
「主様、小さくなっちゃった」
「祠の主様の、本当の姿よ。長い年月で、良いモノも悪いモノもくっついてしまって、『大人』になったの。今までは、神様として祠に祭られて、
主や秋君が見ていた白黒のノイズみたいなものは、『悪いモノ』だったんですね。
「じゃぁ、神様をお祓いしてあげたの?」
「祠の主様は… 神様というよりは、山や付近で亡くなった小さな子どもや、生まれてこれなかった赤ちゃんの魂の集まりみたい。
最初は、幼い命を鎮めるための祠だったんでしょうね。それがいつの間にか神様として崇められ始めて… ってとこかしら。
床に置かれたままの和紙を拾って、坂本さんは微笑みました。それは、少し悲しそう…。
いつしか、皆は桃華ちゃんの歌声に聞き入っていました。
桃華ちゃんの歌が終わると、祠の主様はニッコリと微笑んで姿を消しました。