■その302 貴方の初めては私・私の初めては貴方■
色々な意味で、ワクワクしてドキドキした初めてのデートは、あっという間にお日様が落ちて、帰る時間になってしまいました。日曜日の夕方を過ぎた車内は、お出掛け帰りの人でいっぱいで、主は買ったお土産物を抱き締めて、立っています。先頭車両の隅っこ、目の前に立っている
『夏じゃなくてよかった。夏の薄いシャツだったら、どこを見て良いのか、困っちゃうし… 触りたくなっちゃうかも。これって、チカンする人と同じ気持ちなのかな?』
なんて思っていますけど、主、それは違いますよ。まぁ、三鷹さんも似たようなこと考えて、悶々としていましたけれど。
駅について吐き出されるようにホームに降りると、他の人の迷惑にならないように、さらに端っこに寄りました。主は大きく深呼吸します。横では、三鷹さんも軽く深呼吸しています。主と三鷹さんはお顔を見合わせて、クスクス笑い合います。
「気分は? 満員電車なんて普段乗らないから、必要以上に疲れただろう?」
聞きながら、ホームの人が減っていくのを待ちます。三鷹さんは、主の持っていたお土産をさりげなく持ってくれました。
「三鷹さんが庇ってくれていたから、大丈夫。ありがとう」
「そうか。本当なら、夕飯を食べに行きたいのだが…」
腕時計で時間を確認すると、20時を過ぎたところです。
「素直に帰った方が、身のためだな」
そうですね。これ以上遅くなると、確実に修二さんと梅吉さんに刺されますね。
「熱帯魚屋さんで、クラゲ、見たかったな」
「そうだな。でも、今日は帰ろう。次のデートで、飼うためのクラゲを見繕いに行こう。隣町に大きな熱帯魚店がある。そこがいいんじゃないか?」
「次のデート? でも、三鷹さん、お仕事忙しいでしょう? お休みの日は、ちゃんと体を休ませて」
またデートが出来る! そう思って、主はとっても嬉しくなりました。
けれど、『先生』は忙しいのも分かっています。部活の副顧問もしていますしね。
階段から改札口へと降りていく人影がまばらになったので、三鷹さんは主の手をつないで歩き始めました。指と指を確り絡められて、主はドキドキします。
「
主は階段の手摺をつかまりながら、階段を降り始めます。
「体が疲れるより、気持ちが忙しいかな」
「気持ちが忙しい?」
「そうなの。デートに誘われた時から、ず~っとね、嬉しいし楽しいしワクワクしたりドキドキしたり、心配になったり… ね、忙しいでしょう?」
ニッコリ微笑まれて、三鷹さんは納得しました。
「そうだな。でも、悪い気はしない」
三鷹さん、主の笑顔を見るたびにドキドキですもんね。よく顔に出ないもんだ… って、梅吉さんは感心していますよ。
改札を抜けると、主は冷たい風に思わず体を縮めます。それを見て、三鷹さんはササっと自分の首に巻いていたマフラーを、主の首から鼻下までグルグルグルっと巻きました。そして、また手を確り繋いで歩き出します。
「三鷹さんが、風邪ひいちゃう」
主は巻かれたマフラーを少し下げて、小さなお口を出しました。
「桜雨は、風邪を引いたばかりだろう? 今、体調を崩したら、卒業式に出れなくなるかもしれないぞ」
「… お借りします」
主、ぐうの音も出ませんね。一度下げたマフラーを少しだけ上げると、三鷹さんの匂いがするのに気が付きました。すぐ側に三鷹さんのお顔があるみたいで、主は嬉しいやら恥ずかしいやら… 唇が少しだけムズっとして、そっと三鷹さんを見上げました。
あの唇と…
水族館での事を思い出して、主のお顔は赤くなります。
「熱、上がってきたか?」
街灯や商店の灯りで、主のお顔が赤くなっているが良く見えました。
「大丈夫。… 思い出しただけ」
フフフと笑う口元を、空いた手で寄せたマフラーで隠しました。
「そうか」
「… 私のファーストキスは、イチゴの味」
まだ少し心配そうな三鷹さんに、主は聞こえるか聞こえないか位の声で呟きました。ピタッ! と、三鷹さんの足が止まりました。
「俺のファーストキスも、イチゴの味だ」
三鷹さんは繋いでいる手にギュって力を込めて、主を見つめます。
「本当?」
「本当だ」
「三鷹さんは大人だから、もう経験してるかと思ってたけど…」
主、主… 三鷹さんは筋金入りの主の『ストカー』ですよ?
「バレンタインにチョコを貰うのも、抱きしめる相手も、キスも、玩具でも指輪を贈ったのも…
三鷹さんが、他の人を見る時間なんて、ありませんてば。
「三鷹さん、私もね…」
繋いだ手が三鷹さんの口元まで上げられて…
「はい、お帰りなさい」
もう少しで、主の手の甲に三鷹さんの唇が軽い音を立てる所でした。タイミングよく、不機嫌な
「梅吉兄さん、た、ただいま」
「ここは天下の往来ですからね。風紀を乱すようなことはしないでくださいよ、水島先生」
慌てる主の頭をナデナデしながら、梅吉さんは三鷹さんをジットリと睨んでいます。
「お買い物?」
「まさか。帰りが遅いって暴れ出した修二さんの代わりに、俺がお迎えに出たんだよ。修二さんの方がよかった?」
きっと今頃、美和さんと美世さんが落ち着かせてくれているんですね。
想像できます。
「梅吉兄さんで良かったです」
梅吉さんは、主と三鷹さんのつないだ手を見て、大きなため息をつきました。
「さ、帰ろうか」
諦めたような呆れたような、梅吉さんの声。そんな声に促されて、三鷹さんと主は梅吉さんの背中を見ながら歩き出しました。
「あのね、三鷹さん…」
主が小声で三鷹さんを呼んで、口元を手で隠します。三鷹さんは少し、主の方にお顔を傾けました。主は背伸びをします。
「私の『初めて』も、三鷹さんだよ。これからも、私の『初めて』になってくれる?」
主、その言葉は色々誤解が産まれませんか? いや、間違いじゃないとは思うんですけれどね…しかも、耳元でコソコソ言ったら、効果倍増ですよ。
「梅吉、寄り道…」
「ダメだって!! お前、本当に殺されるよ?!」
主の手をギュギュギュって握りしめて、駅の方へと体を向けた三鷹さんに、梅吉さんはほとんど絶叫です。
梅吉さん、今のは主が悪いんです。そんなにプリプリしないでください。
「ほら、帰る!」
梅吉さん、三鷹さんと主の繋いだ手を放そうとしましたけど、一呼吸置いて三鷹さんの腕を取りました。梅吉さんの優しさですね。