■その305 3月3日(2)■
高い天井から下げられたスタイリッシュなシャンデリア。その
三人掛けの白いソファは、アンティークの猫足。左右に真っ白なクッションが置かれて、実際には2人掛けですね。そのソファに、いつものシレっとした顔で、笠原先生が座っています。いつもと違うのは、白衣がグレーのスーツに、白衣の下の柄シャツやアロハシャツが真っ白のワイシャツに変わって、おまけにスカーフを思わせる真っ赤なペイズリー柄のネクタイをしています。いつもの猫背はスッと伸びていて、眼鏡はコンタクトに、伸びっ放しで適当に結わいていた髪は短髪に整えられて… このお部屋のこの椅子に座っていても、浮いていません。
そんな笠原先生の横に座っているのは、僕の主の従姉妹の
桃華ちゃんの左の薬指にはまっている指輪と同じ、ウェーブラインです。
違うのは、既にはまっている指輪とには小さな一粒のダイヤモンドが付いていて、銀色に輝いている事です。
「これは、どうですか?」
目の前のアンティークテーブルに置かれたグレイのベロアケースには、お揃いのピンクゴールドの指輪。それを前にして、いつも以上に伸びていた桃華ちゃんの背筋が、さらに伸びました。桃華ちゃん、緊張しすぎです。
「これ… これって…」
「結婚指輪。必要ですから」
笠原先生に言われて、桃華ちゃんは自分の左の薬指を見ました。
小さな一粒ダイヤモンドが輝く、シルバーのウェーブライン。キラキラと輝く指輪が、乳白色の細く長い指にはまっています。
「この指輪、気に入っているわ。結婚指輪をするなら、この指輪は外すのよね?」
贈られたのは、少し前でした。けれど、今日みたいに指にはめたのは数える位しかありません。デザインが気に入っているのは本当なんです。でも、それだけじゃなくて、笠原先生との今までの時間や気持ちもこの指輪にこもっている気がして、外したくないんですよね。
「こちらの指輪は、今お付けになられている指輪と、重ね付けが出来るデザインとなっております。そちらの指輪についているダイヤモンドは小さいので、重ね付けして頂いた時、指輪と指輪の隙間はほとんどないと思います」
スタッフさんの説明に、桃華ちゃんはフンフンと頷きます。
「試しに、つけてみてはどうですか?」
笠原先生が言いながら、チラッとスタッフさんを見ます。その視線を受けて、スタッフさんは頷きながらベロアケースを少し押しました。
「重ね付けをするのでしたら、薬指の内側に結婚指輪を、外側に婚約指輪をお付けください」
スタッフさんの説明を聞きながら、笠原先生が優しく桃華ちゃんの婚約指輪を外してくれました。
「きつくないですか?」
そして、ピンクゴールドの指輪、シルバーの指輪とゆっくりはめてくれました。
「… ピッタリ」
サイズもデザインも、桃華ちゃんの指にピッタリです。乳白色の細く長い指に、キラキラ輝く2つの指輪。桃華ちゃんは、その輝きから目が放せません。
「せん…
「そうですか。では、これにしましょう」
笠原先生が、ベロアケースをスタッフさんの方へと戻そうとしました。
「あ、待って…」
その手を、桃華ちゃんの手が止めます。
「義人さんも、はめてみて。サイズを確認しないと」
言いながら、ベロアケースに残っていた指輪を取って、そっと笠原先生の左の薬指にはめました。
「あら、これならサイズ直し、いらないわね。あつらえたみたいに、ピッタリ」
本当に、ピッタリです。ちょっとだけ嫌味っぽく、悪戯な笑みで桃華ちゃんが言います。
「今日、はめて帰れる方がいいでしょう?」
シレっと答える笠原先生は、ヒラヒラと自分の左手を顔の前で揺らして見ました。
「計算高いんだから。… でも、とっても素敵。嬉しい」
桃華ちゃんも目の高さまで左手を上げて、2つの指輪を見つめます。
「では、ケース等のご用意をしてまいりますね」
スタッフさんも嬉しそうに微笑みながら、お部屋を出て行きました。
「この指輪、気に入らなかったら無駄になっていたんじゃない? 他の指輪を選ぶかもって、思わなかったんですか?」
スタッフさんが居なくなると、また少し桃華ちゃんの緊張が取れました。左手を笠原先生の方に向けて、少しだけ呆れたように桃華ちゃんが聞きます。
「まぁ、その時はその時じゃないですかね」
つまり、笠原先生は婚約指輪と一緒に、結婚指輪も用意していたんですね。さすが笠原先生、用意周到ですね。
「桃華が気に入った指輪を付けてくれるのが、一番の優先事項ですから。この指輪が気に入らなかったら、好きなのを選んでもらうつもりでしたよ」
乳白色の細く長い指に、キラキラ輝く2つの指輪。その手に、骨格標本のような手が重なりました。左の薬指に、ウェーブラインのピンクゴールドの指輪。お揃いの指輪は、誓いの証です。
「まぁ、義人さんが選んでくれたモノが、私の気に入らないはずないけれど」
「うぬぼれますよ?」
「どうぞ、私の旦那様」
切れ長の黒い瞳をキラキラ輝かせて、赤い唇を優雅に湾曲させた桃華ちゃんは、はめた指輪よりもダイヤモンドよりも、なによりも輝いていました。