■その307 3月3日(4)■
皆さん、初めまして。僕はこの春で社会人4年目になる公務員です。この小さな特別出張所には、念願かなって昨年度配属になりました。
ここの特別出張所は、小さい割りに激務です。4階建ての建物ですが、行政手続きは1階でしか取り扱いがなく、2~4階は空きがあれば一時預かりもしてくれる民間の保育園、児童家庭支援センター、貸し出しの会議室、高齢者のデイサービス等が入っていて、始終人の出入りがあるんです。僕の職場はガラスの壁なので、その人達が良く見えます。そのせいか、ちょっとしたことでも「ついでに…」と、寄って行くんです。
今日は3月3日『桃の節句』で、保育園やデイサービスや貸し出し会議室等でイベントをやっているみたいで、いつも以上に出入りが多いですね。この街は住宅街と商店街両方に活気があって、老若男女お元気で、おかげさまで仕事は山盛り。けれど、移動先にこの特別出張所を希望する職員は星の数程いるのです! それはなぜか?! それは…
「お願いします」
天使! 女神様! 僕、今日受付担当で良かった! 母さん、やったよ! 女神様が僕の目の前に降臨してくれたよ!
「おい、受付代われ」「お前、もう少し休憩してていいぞ。俺が代わるから」「代わってくれたら、今夜、酒奢る」「一番年上の俺だろう?!」「いやいや、ここは課長の私が…」
先輩方~、僕の後ろで小競り合ったって無駄ですよ。この好機を譲るとか、どこのお人好しですか? 僕は、お人好しじゃあ、ありませんからね。
このシミ1つない乳白色の肌に、凛とした切れ長の黒く美しい瞳。小さなお鼻と口紅をつけたように赤い唇に、真っ直ぐに長く伸びたカラスの濡れ羽根のような髪。しなやかに伸びた手足と、大きすぎない程よい胸… ああ… 今日も美しい。
そう! この女神様とまたタイプは違うけれど、やっぱり可愛く美しい女神の従姉妹様の存在が、皆をこの激務の現場に引き寄せるのです!
あああ… 今日も美しすぎるぅぅぅ…
「あの…、午後の業務時間開始、まだでした?それなら…」
今日の女神様は大きな襟の付いた、白いAラインのワンピース。
良く似合っています!胸元に朱色の細いリボンもあるせいか、通っている高校の制服に、感じが似てますね。制服はセ-ラー服ですけど。
僕、女神さまが好きすぎて、色々調べちゃったんですよね。ご実家の事も、通ってる学校も、お友達にはどんな子が居るのか… その日着ている洋服がどんなものか。おかげで、女の子の洋服や鞄や靴、雑貨なんかには詳しくなりましたよ。
「あ、すみません、貴女の美しさに、ついつい見とれていました」
「ありがとうございます」
すんなり出てくるお礼は、言われ慣れてるってことですね。でも、それすら、嫌味じゃない! だって、女神様と従姉妹様はここら一帯の憧れの的なんだもん!
女神様のお兄様は超シスコンで、従姉妹様のお父上は娘激LOVE だから、ちょっかいを出そうとものなら、その2人プラス従姉妹様の『番犬』と呼ばれている男性に、ぎったんぎったんに絞められます。もしくは、女神様や従姉妹様直々に投げ飛ばされます。そして、最近はもう一人、『死神スナイパー』と呼ばれている男性が追加されたようで… 僕が調べたところ、この『番犬』と『死神スナイパー』なる男性達は、女神様達の学校の先生で、実家のアパートに住んでいるんですよ。
「これ、お願いしたいんです。記入に不備はありますか?」
女神様がもう一度、カウンターの上に出した薄い用紙に、両手を添え… 添え… えー… 手… 左手の薬指に…指輪? 用紙… 何か書いてあるけど… やだな僕ったら、昼寝をしすぎたかな? いい加減に確りと目を覚まさないと…
「業務放棄ですか? それとも、職務規定違反?」
トントンと、カウンターを指で鳴らす人がいました。骨張った指は、左手の薬指。そこに… そこに… 女神様とお揃いの指輪。今の今まで視界に入っていなかったけど、もしかして、もしかしなくても、この人が…
グレーのスーツに、真っ白のワイシャツ。胸元を彩る、スカーフを思わせる真っ赤なペイズリー柄のネクタイが良くお似合いで…
「あ、ほら、あの人よ」「あの娘と一緒なんだから、絶対、そうだって」「死神スナイパーさんだって」「ハロウィンイベントの時より、髪が短いわ」「いい男ね~」
母さん、女性職員の囁きが、僕の疑問に答えてくれたよ。そうかぁ、この人が死神スナイパーさんかぁ。女神様のお兄様に唯一認められた人が、この男… 細い! とりあえず、細い!
「すみません、代わりますね~」
傷心の僕を、ベテラン女性職員の立派なお尻が、カウンターの端に弾きます。
「いやいや、俺だって」「だから、課長の私が…」
先輩方、そんなこと言って浮かれていられるのは今の内ですって。
「あらあらあら、本日はおめでとうございます」
ベテランさんの甲高い声に、フロア全体の注目が集まります。後ろで小競り合いをしていた先輩方も、ピタッと動きが止ります。
もうね、この職場で紙を提出されて「おめでとうございます」なんて、職員が言ったら、だいたい予想がつくんですよ。
「ええ、記入に不備はございませんよ。確かに、受け取りました。ご結婚、おめでとうございます」
予想はつくし、何より僕はその紙を見たし、2人の左手の薬指でキラキラしているお揃いの指輪も見ているんだ… でも、第三者に決定的な言葉を言われると…
「ええええええええー!!」
驚愕の大合唱。そうなりますね。皆、目を丸くしたり、腰を抜かしたり、大きく開けた口を金魚みたいにパクパクしたり。
僕? 僕はベテランさんのお尻で弾かれた時から、腰が抜けてますよ。もう、立ち上がれないと思う。
「「ありがとうございます」」
女神様と死神スナイパーさんは、ベテランさんにお辞儀をした後、顔を見合わせて微笑んでいます。ああ、その美しく愛らしい笑みは、僕には向けてくれないんですねぇ。
「ごめんなさいね、煩くて」
「いえ、驚かれることは、想定内だったので」
ベテランさんの言葉に、女神様はニコニコして答えています。
「この街では、妻は人気者ですから」
死神スナイパーさん、シレっと言いましたけれど…
「あれ、ようは「もう俺のモノだから、手を出すなよ」って事よね?」「他の役所でも届け出を出せるのに、騒がれるのを分かってて地元を選んだのは、そう言う事でしょう?」「言いふらせって、事ね」「キッツい牽制よねぇ…」
さすが、ご近所の噂話が三度のご飯より大好きな女性陣。分析力が素晴らしい。
「皆さん、お騒がせしました」
女神様がペコっと頭を下げます。
「これからも、よろしくお願いします」
その横で、死神スナイパーさんもお辞儀しましたけれど、圧が凄い!
そう言えばさっき「職務規定違反?」って、僕に言いましたよね? ヤバい、職権乱用して色々嗅ぎまわってるのバレてる? これ以上は、僕、本当に消されるかも…
新婚ホヤホヤのお2人を、職員のほとんどが動けないまま見送りました。
ショックが強すぎて…
「ほら、いつまでもショック受けてないで、仕事しなさい。あの子の代わりに、私がキスしてあげるから、元気出しなさいよ!」
ベテランさんは真っ赤な口紅を塗った大きな口を突き出して、ショックで腰を抜かしたり呆けちゃっている職員のホッペに、スタンプの様にブッチュ! ブッチュ! とマークを残していきます。が、これで元気が出るわけも無く…ああ、阿鼻叫喚。