■その324 拳よりも強いのはイチゴ味のキス■
お食事が終わって、お風呂に入ったりテレビを見たり、夕飯のお片付けをしたりと、それぞれが動き出した頃、主は
商店街の街灯の灯りと、各店舗の看板の灯りやシャッターにつけられた防犯用ライトの灯りで、22時近くの夜道でも歩きやすいです。さすがにこの時間は、歩いている人も少なくなってきていますね。
主と三鷹さんの足元を歩くワンコの秋君は、とってもご機嫌です。垂れたお耳を揺らして、クルンとお尻の上に上がった尻尾も揺らして、お尻も揺らして歩きます。そのリードを持つのは、僕の主の
「親と殴り合う暴力的な俺は、ダメか?」
ご機嫌な秋君と、ご機嫌な主。三鷹さんだけがご機嫌ナナメです。眉間に深い皺を作って、お顔の筋肉も強張らせて… 何より、纏う雰囲気が不機嫌オーラになっています。すれ違う人達は、三鷹さんのお顔を見ない様に避けるように道を歩いています。
「今日の事は、お父さんが悪いのでしょう? 三鷹さん、ごめんなさい。お父さん、気持ちの整理に時間がかかっているみたいで… 過保護でしょう、お父さん。三鷹さんでも、嫌なのね。今までだって、ずっと私の側に居て、私の事を守ってくれていたのにね」
眉尻を下げて、ちょっと上目使いに三鷹さんを見ます。
「それは、しょうがない事だと思っている。想定内だ」
三鷹さんだって、修二さんとは昨日今日の関係じゃないですもんね。修二さんの行動パターンも、主に対する気持ちも、よ~く分かりますよね。
「でも、三鷹さん、ご機嫌ナナメでしょう? 静かに、怒ってるでしょう?」
漂う怒りのオーラが自分に向いていると分かって、正直言って主はどうすればいいのか少し戸惑っています。こんな事、主の記憶の中で数回あったぐらいなので… お話を聞けば何とかなるかも! とは思いつつも、正直、秋君が居てくれて助かっていました。
「桜雨が、まだお嫁にはいかないと言った」
あ! って、声には出さないけれど、小さなお口がバカッと空きます。主、ようやく気が付きましたか。皆、あの時に気がついていましたよ。
「桜雨が俺を拒否した」
三鷹さん、怒っているというより、イジケ始めましたね。
「それは拒否じゃなくて… あのね、その…」
主はピタッと足を止めて、三鷹さんの方に体を向けます。いつもはキリッ! として眼力も強い瞳が、眉尻を下げて弱々しく主を見つめているのが分かって、主は
「修二さんと殴り合う、暴力的な俺を嫌いになったか?」
秋君、主の後ろにチョコンとお座りします。2人の間じゃないところが、さすが空気の読めるワンコですね。
「け… 結婚… 声にすると、なんだか恥ずかしいな」
主は手にしている秋君のリードを、モジモジモジモジ…
「結婚って事がピンと来ないし… それより、こ、恋人の時間を楽しみたいと思って…」
主、自分で言った言葉で、耳までほんのりピンク色になりました。心で思っていることを口にすると、恥ずかしさは倍増するんですかね?
「それに、貰った鍵を使いたいんだけれど、三鷹さん言ったじゃない?
この鍵を使ったら、もう俺からは逃げられない… って。それって、覚悟ができたら、使えってことよね? … 私、逃げるつもりは最初からないわ。逃げる逃げないじゃなくて… まだ覚悟ができてないの」
さらに、リードをモジモジ。衝撃が先の首輪まで伝わって、秋君は少し動いて、ちょっと心配そうに主を見上げています。けれど、下から主の表情を見上げて、フンと1回お鼻を鳴らして腹ばいにリラックスしちゃいました。
「… キスだけで、精一杯」
人差し指で自分の唇に触れて、三鷹さんの唇の感触を思い出します。唇の大きさや、厚み、熱… 自分の小さな唇を簡単に覆ってしまう、三鷹さんの唇。唇が放れた後、主の名前を呼ぶ熱い吐息…
「拒否されたのではないなら、いい。覚悟もしなくていい。桜雨が…」
三鷹さんはそっと、主のほっぺを両手で挟みました。柔らかくて、スベスベしていて、手のひらに吸い付いてくる感触が心地よくて、ついつい放したくなくなりました。