メインはコリーンから一通りの話を聞いたものの、それ以上何を手伝えばいいのか、わからなかった。アインスならばそこまで理解して関わっているのだろうが、そう言った話にならないのだ。だから、メインはこの国の状況を知るために、当分ここに滞在してもいいか、と尋ねた。
「アンタほどの人なら、こんな場所よりも、王都にあるちゃんとした宿泊施設か、王宮に行く方がいいんじゃないのか?」
コリーンの意見はまっとうだ。国花選定師ならば、当たり前の道である。しかし、メインは王都へ行くよりもここで、ヒーサヤングの状態を見ること、彼がどんなことを日々しているのかを知りたい、と思ったのだ。今回の場合、王宮にいる偽者の国花選定師に会っても意味がない、とメインは思った。最終的に対峙することにはなるかもしれないが、それはヒーサヤングが確実に国花選定師の地位に戻れると、はっきりした時である。
「いいんです。偽者に会っても意味はありません」
「そうかい……さすが、赤い髪と緑の瞳の国花選定師だ」
そんなことを言われて、メインは目を丸くした。彼は自分の容姿に関して、何か思うところがあるのだろうか。
「赤い髪の国花選定師は優秀だと聞く。そして、緑の瞳があれば、自然のどこにいてもその気持ちが計り知れるという伝説だ」
「この国の伝説ですか?」
「どれくらい昔かな、まだ俺らが子どもの頃に、この国に女の国花選定師が来たんだよ。アンタによく似た、赤い髪に緑の瞳をしていた」
旅ができる国花選定師は、多くはいない。経験、知識、年齢、さまざまなものが合わさって、国外へ出ての活動が許されるのだ。人格者であるとも言われるし、頭脳明晰だとも言われる。それだけのことができた上で、国王から他国へ行くことが許されるのだ。その女の国花選定師は、メインと同じ髪と瞳をしていたという。美しいだけではない、聡明な存在であり、この草原の国にも多くの知識を分け与えてくれた、という。
「もしかして……その人は、母かも」
「やっぱりな。よく似ているよ、アンタは。あの人は、美しくて聡明で、あれが本当の国花選定師なのだろうな、と俺ははっきり思ったんだ」
「コリーンさんは、母に会ったことがあるんですね……」
「会ったというか、そうだな……この国に立ち寄ってくれた時、あの人は今の国花選定師が正当な継承者ではないことをすぐに見抜いたんだ。でも周囲がヒーサヤング様が幼いこと、体の調子が思わしくないことなどを並べ立てた。でも、そのすべてを一蹴していた」
あの美しい赤髪の女は、どうしてそれが理解できるのか、と思うくらいに少ない情報からでも、多くを知ることができる人だった。ただの国花選定師ではない。もっと多くを持つ、生まれながらの能力者。
そして、その娘が目の前にいる。コリーンは、あの女性にこんな娘がいることを知らなかった。彼女は自分の家庭のことなど話すことはなく、病を治す薬のことや、病に対する知識、感染症の予防、子どもや高齢者でも簡単にできる消毒の仕方など、民に根付いたことも教えてくれたのだ。本来ならば、先代の国花選定師が国中に広めるべきこと。しかしそれが広まる前に、先代はヒーサヤングを産み落として死んでしまった。狂った権力者に巻き込まれたヒーサヤングは、国花選定師の血統と能力を持ちながら、爪弾きにされてしまった。
いずれ、この国は堕ちる―――それをコリーンは感じ取っている。しかし、広い草原という国土を持ち、多くの民を抱える国からすれば、それは受け入れがたいことなのだ。それならばヒーサヤングを早く国花選定師の地位に戻すべきなのに、それが叶わない。権力とは汚く、権力とは人を殺すもの。世界は、ヒーサヤングを必要としているのに、人がそれを阻む。それを考えると、この国はもうすでに落ちているのかもしれなかった。
「母は、いろいろな国を旅していたのだと知りました。手記を読みながら、母にとって何が大事だったのか、よく考えるんです」
「あの人はいい人だった。民に対しても、軍人でも、商人でも、どんな人間にでも平等だった」
「平等……」
メインは、母がどんな思いで死んでいったのかを知らない。流行り病の薬はできたものの、自分の分まで足りなかった。だから結局、母は若くして死に、その跡を無理に継ぐことになったのが、メインだった。国王や父、周囲の人々の優しさに包まれて、時にアインスの協力を得て、彼女は成長できた。しかし、ヒーサヤングは生まれながらにして、その環境さえも奪われたのだ。
国花選定師がこんなに不幸な道を歩むことは、実のところ珍しくはない。地位を持って生まれても、愛されない者もいる。学ぶ環境にないもの、家族から離されて生きる者、何も知らず飾りのようにされるもの―――しかし、どの場合でも国花選定師がその能力を発揮できなければ、国は衰退し、傾いていく。世界がゆっくりと傾くように、その国もゆっくりと、時には何年、何十年、何世代と時間をかけて傾くことがある。
「母は、流行り病の薬を作りましたが、自分の分まで足りずに、死んだんです」
あの時、母は何を思ったのだろうか。本当はもっと旅に出て、もっと多くの世界を見たいと思っていたのではないだろうか。そんなことを考えながら、メインは母の残した手記を思う。今は、もうこれを見なければ、母のことがわからない。逆に、母のことを知りたければ、この手記に多くのことが載っている。
「メイン様」
コリーンは、静かにメインを見つめて言った。
「あの方は、本当の国花選定師です。あの方が選んだ道ならば、それが最善。疑う必要性は何もありません」
母がまいた種は、他国でも育っている。こうやって、母を間近で見て、そこから多くを得てくれた人が実際に存在しているのだ。メインはその存在のことを、今度は自分が見せてもらう番だと思った。コリーンの中に生きる母を見たい、とメインは強く思う。
「あの方は、ヒーサヤング様に多くのことを教えてくださいました。きっと、あの人のこともあって、ヒーサヤング様は少し女性とのかかわりが下手なのかと」
「え、そうなんですか?」
「ヒーサヤング様の中では、女性とはあれくらいに聡明な存在、という気持ちが強くあるようです。ですが、実際に王宮にいる大半の女性は、下女ばかり。些細な読み書きができればいい、というものです。ですが、ヒーサヤング様からすれば、すべての女性が教育をしっかりと受け、なんでも聡明に判断できる、と思っているのです」
「うーん、そうですね、それはちょっと」
王宮で読み書きができるのは、王族と貴族ばかりだ。中には働くためにそれらを学んでやってきた者もいるが、基本的にはそうではない。特に女性は、炊事洗濯掃除ができれば雇われるので、読み書きのできない若い娘は多かった。中には、貴族令嬢であっても、読み書きができるだけで、知識のない令嬢も多い。
「ヒーサヤング様は、どんな女性にも丁寧に接しますが、難しい話をしたり、無理に読み書きをさせたりなど、要は子どものワガママのようなことばかりで」
困った顔をするコリーンを見て、自分の母はそんな人だったのだろうか?とメインは思ってしまった。