「父上……陛下!」
皇帝の執務の場である内殿に、
そこには意外なことに、母
そして、彼らの前に、後ろ手に縄を受ける
瓔偲の後ろにはふたり、棒を持った士卒がいる。それは完全に、
「これはいったい……どういうことですか、父上」
なぜ瓔偲が、と、燎琉は父皇帝に鋭い視線を向けて言い放った。
皇帝は、ふう、と、息をつく。
「そなたとその者の婚姻については、
父がそう宣し、燎琉は目を
「なぜ、急に」
「訴えがあった。この者は、自らが
「っ、事実無根です! 瓔偲はそんなことはしていない! むしろ……!」
むしろそのことで罪に問われるならば、それは黒幕と判明した
燎琉は皇帝の前に出て、そう訴えようとした。
だが、そうすることは叶わなかった。
「黙れ」
皇帝は鋭いひと言で燎琉の言葉と動作とを制すると、ちら、と、近衛の者に目で合図をした。それを受けた士卒がふたり動き、左右から、燎琉を羽交い絞めるように拘束する。
「っ、なにをする!」
燎琉は目を怒らせて抵抗を試みたが、こちらを捕える士卒の腕はすこし
「父上……陛下! なぜです! 瓔偲はなにも……!」
身体の自由を奪われながらも、父皇帝を真っ向から見据える。しかし、相手は表情ひとつ動かさなかった。その不自然なほど
「父上は、わかっておいでなのですか……もとより瓔偲に罪がないことは」
それでも敢えて瓔偲を断罪しようとしているのか。
「なぜ……?」
いったい、なぜだ。なぜそんなことになるのだろうか。
信じられない思いで父帝の顔を見て、燎琉は顔をしかめた。いったいこの件を最初に皇帝の耳に入れたのは誰だろう。宋清歌か、あるいはその侍女の口から、おそらくは宋英章へと事態は伝わった。そして、その英章が、たとえば六部を束ねる長官である
万家の当主から、妹である万貴妃に話が伝わる。そして、貴妃の口から、今度は燎琉の父皇帝に訴えがいったのではなかったか。
さらに、事について聴き及んだ皇帝が、なによりも
重鎮の宋家を、万家を、急に失墜させるわけにはいかない。万貴妃を、その子・煌泰を、その罪に連座させるわけにもいかない。もしもそんなことになれば、
だったら、彼らの罪には目を瞑り、代わりに別の者を罪する――人身御供のように犠牲にする――ことで、この難局を乗り切ってしまうほうが早い、と、父はそう考えたのだ。その結果が、瓔偲に罪を着せるかたちでの、捕縛である。
「父上は……瓔偲ひとりにすべての責を負わせ、それで、今度のことを幕引きにするおつもりですか」
燎琉は父を見ながら、呆然と呟いた。それから、き、と、視線を鋭くする。
「っ、罪のない瓔偲に、父上は濡れ衣を着せるのか!」
宋家や万家は、いますぐは、失えない。だから、かわりに瓔偲を捨てるというのか。
瓔偲ならば、捨てても良いのか。呆気なく。迷うこともなく。犠牲にされても良いと言うのか。取るに足らぬ
燎琉は眉根を吊り上げ、声を荒らげた。
「そんなことが、赦されるはずがない……!」
父帝を真っ直ぐに
父は不愉快そうに片眉を動かした。が、何かを――燎琉の発言に対する否定も肯定も――言うことはない。
その沈黙は
「陛下……ご再考を」
歯を食いしばりながら、非難するように父を呼ぶ。
「黙りなさい、皇子」
そんな燎琉に対して、今度口を開いたのは母皇后だった。ぴしりとした口調で息子を咎めると、母はまるで不快なものでも見るときのように眉間に皺を寄せ、瓔偲に視線をやる。
「癸性の者など、もとより、あなたの
冷たい声で言い棄てる。
それを耳にした燎琉は、ふいに、叔父の
そういえば、この母は最初から、瓔偲に毒杯を
だからこそ皇后はいま父帝とともにこの場にたっているのだ、と、燎琉は暗澹たる想いでうつむいた。父も、母も、瓔偲をなんだと思っているのだろう。彼だって心あるひとりの
真っ赤な怒りが湧いた。燎琉は、ぎり、と、てのひらを握り込み、くちびるを噛んだ。
だが母皇后は、こちらのそんな様子には気がつかないらしい。
「父上に……皇帝陛下に感謝なさい、燎琉」
噛んで含めるようにそう言った。
「わたくしの、かわいい燎琉。その者とのつがいの関係が解消されれば、あなたは再び自由なのですよ……何の
そう連ねられる母の言葉は、燎琉に激しい嫌悪感をもたらした。
吐き気がする。誰も彼も、ほんとうに、なんと身勝手なのだろう。瓔偲を何だと思っているのだ、と、昨日、宋家の
だがそこで、ふと、聞き捨てならぬ母皇后の言葉を聞き咎める。
「瓔偲とのつがいの関係を、解消……?」
母はいま、そう言わなかっただろうか。
けれども、そんなことは不可能だ。
「ちち、うえ……?」
燎琉は息を呑み、目を瞠って皇帝を見た。
父は苦々しい表情をしている。それを見て、燎琉は一瞬で悟った――……間違いない。父帝は瓔偲に死罪を言い渡すつもりなのだ。
そも、父は瓔偲の罪を、叛逆罪に準ずると言ったではないか。その刑罰は、もとより、死罪である。母がはじめからそうするよう求めていたとおりの
「っ、そんなのは、おかしい……!」
そんなことが赦されてなるものか。だって、瓔偲に罪はないのだ。ただただ懸命に国官として勤めてきただけなのに、こんな理不尽があるだろうか。
「させるか……!」
燎琉は歯を食いしばり、己を押さえつける士卒の手を振りほどこうと思い切り暴れた。だが、ますます力を籠めて押さえつけられ、ついには、腕を
「っ、瓔偲……!」
必死に声を上げる。
すると、それまでずっとおとなしく黙ったままで首を垂れていた瓔偲が、その瞬間、わずかに視線を持ち上げた。
黒曜石の眸が燎琉を見る。なにか
「殿下」
やわらかな声が燎琉を呼ぶ。燎琉ははっとして真っ直ぐに相手を見詰めた。
瓔偲は――もはやすべてを諦めた者のように――かすかに、わらう。仕方がない、慣れている、だってわたしは癸性なのだから、と、彼のしずかな微笑は、あまりにも深くかなしい諦念を滲ませて、そう語っていた。
「瓔偲……」
燎琉が歯を喰い締めて名を呼んだとき、皇帝の声が辺りに響いた。
「第四皇子・朱燎琉を害した