ステファンを訪ねて女性がやって来る。だから、自分が遠ざけられる。
話の流れからそういうことだろうと、美代なりに理解したが、しかし、だろうではなく、そうなのかと、ステファンへ詰め寄りたい気持ちも沸き起こっている。
どうして?
美代は戸惑った。
客が来るだけなのに……。
自分は、今のところ、裏方の仕事を行っている。というよりも、カールは日ノ本の国の人間が表に出る事を嫌がっている。だから、何かと小言のような八つ当りのような言い分で裏方に押し込められると、意図はわかっていた。
日ノ本の国の人間だから、それだけで、押し込められるに近いのは、正直あまり、納得行かなかったが、そう、美代は、通行証を持たず、いわば、不法滞在しているに等しい。
執事長のカールの立場からすれば、そのような問題のある人間に表へ出て欲しくないはずで、ステファンとの言い争いは、ここにいる事を十二分に考えさせられる事でもあったが、やはり、カサンドラという名前が、美代の心を苦痛に近づける。
ご婦人が訪ねて来ることなど、貴族の屋敷なら当選の事であるのに、驚くべき事でもないはずなのに、カサンドラと、名前を耳にするたび、先程から美代の心はキリキリ傷んだ。
カールによる強引なステファンからの引き離しが、その来客の為に行われようとしているのも、美代の気持ちを重くした。
「とにかく、カール!一体どういうことだ?!説明しろ!そして、美代さんへ、すぐに通行証を発行しろ!」
「ステファン様?!美代に通行証を?!何のために!」
理由なく、通行証は発行できないとカールが言い張る。
「気がついたのだよ。通行証がなければ、発行すれば良いとね。居留地に立ち入るとき、憲兵が記録を忘れていたと通せば良い。それで、美代さんは、逃げ隠れすることはないだろう」
「ステファン様!何をいきなり!そんな、憲兵が忘れていたなど、通用するはずがないでしょうに!そもそも、どの様に入って来たのです?!」
「強引にだ。だから、強引に辻褄合わせすれば良い!」
「しかし!そんなことをしたら!」
いきなり言い出したステファンの提案に、カールは歯向かった。
強引に、が通るなら、そもそも、通行証だの、諸々の手続きなど必要ない。
「ステファン様こそ、何をいきなり仰るのですか!流石に、下手すれば国家間の問題になります。国の取り決めを、強引にとは!」
カールも、何を言ってくれるのかと、躍起になっている。そもそも、カサンドラ嬢と何の関係があるのかと言いたげに、声を荒げた。
「美代さんは、通訳だ。私とカサンドラ嬢の。折角お越しになるのなら、居留地に籠るばかりは、もったいない。日ノ本国も観光していただくのが良いだろう。私もカサンドラ嬢と二人きりにならなくて済む」
「な、何が通訳ですか?!旦那様は、十分ここの言葉が堪能ではありませんかっ!そ、それに!!カサンドラ嬢は、旦那様!ステファン様にお会いになるべくドラムント王国から、お越しになられるのですよ?!」
「とにかく!決めた!いいね!」
言い切るステファンに、カールは、拳を握って無言で耐えている。立場上、言い返せないと言う苛立ちもあるが、もっと、別の、そう、カサンドラと二人きりになりたくないと、ステファンが言い切ったからだ。
「……美代さんのことは、おそらく、治外法権を使う事になるだろう……」
「ステファン様!!な、何を!!」
立て続けに言い切るステファンに、カールの顔色がみるみる変わって行く。
「治外法権など!簡単には使えないでしょう!ご存じのはずです!!」
「ああ、治外法権は、そもそも、我ら、異国からの到来者が有利に為るためにあるものだ。使いたくはないが、仕方ない。カール、私が責任を取る」
「なっ?!そ、そんな、小娘のために、治外法権を利用するとは!大使しか発令できない物をどうやって!!」
「私は大使付きの秘書官だ。時には、大使代行も行う……」
「な、ならば、その美代へステファン様が、通行証を発行なさいませ!」
「だから、それを代行しているのが、カール、お前だろう?」
「!!」
勝ち誇ったような眼差しを、固まりきるカールへ向けるステファン。
この緊迫した光景に、どう退職すべきなのか。美代は体が震えていた。
主人と従者の怒鳴り合いという困った現場を見てしまった。しかも、途中から、美代の事が話題となり、国家間問題やら、治外法権やら、とてつもない言葉が飛び交っている。
自然と指先も震え、持っている包みが揺らいだ。
パラパラと、包みからチョコレートがこぼれ落ちる。
「あっ……」
「美代さん、大丈夫ですよ?少し騒がしかったですね。驚かせてすみません」
ステファンは、カールのことなど振り切って、慌てて美代に近づくと、包みを共に持った。
「あ、あの……」
「落ちてしまったものは仕方ない。しかし、残りのチョコレートは守れました」
にっこり微笑みかけてくるステファンの笑顔は、美代を釘付けにする。
が、包みを互いに持つ指先が触れていた。仄かに感じるステファンの体温に、美代はぼっとする。
単に恥ずかしい。とは何か異なる感情だった。
少し頭がくらくらするようなそれに、耐えながら、美代はいつまでも、包みを互いにもっているのもと、困りきる。
緊張していた美代を安心させようと、ステファンが立ち回ったのは明白だった。証拠に、カールが、いかにも歯がゆそうに、美代へ向けて睨み付けて来る。
気にしない。カールという人は、ああいう人なのだと、美代に勇気のような物が起こる。
向けられ続けている、ステファンの優しい笑顔。そして、仄かに香るチョコレートの甘い匂いに、強ばっていた美代の顔にもぎこちないが笑みが浮かんで来た。