二人は樹海から抜け出し、山を下りた。
「怜子。私は貴方の事が好き」
葉月は傍らにいる、親友の顔を見て微笑する。
「私も葉月ちゃんの事が好き」
怜子は何処か色々なものを諦めたように、あるいは自身の運命を受け入れたような顔をして、葉月の手を握り締めた。
二人は互いに抱き締め合う。
葉月は怜子の髪と背中を優しく撫でる。
怜子は眼を閉じる。
「ずっと愛してあげるよ、怜子」
「…………。ありがとう、葉月、ちゃん…………」
怜子は葉月の視ている世界を理解出来たような気がした。死体となって動いた後でもなお、葉月の視ている世界をずっと理解出来なかったが、葉月の事を理解出来たような気がした。
歪な相思相愛だ。
友達同士の友情としてはそれ以上で。
女性同士の同性愛的な関係性としては余りにも歪み過ぎている。
ただ、それでも二人は絆によって繋がっている。
「さて。タクシーでも拾って、新幹線に乗りましょうか。家に帰る頃には真夜中近いでしょうね」
明日は満月だ。
明日、一体、何が起きるのか。
葉月は憔悴していた。彼女は無防備に電車のシートの中で寝ていた。
怜子はそんな葉月を見て、彼女も普通の女の子では無いかと思う時がある。
怜子は、ふと、悪戯心で葉月の頬を指先で触れてみた。
葉月は、小さく何か寝言を言っていた。
「私、新幹線の中で寝ていたのか」
葉月は小さく溜め息を吐く。
時刻は八時過ぎ。
葉月は怜子を彼方の家へと送り届ける。
既に生き埋め犯ベリード・アライブを始末した事を崎原にメールで送った。後は鑑識課の人間や刑事課の人間達が駆り出されて、あの山中へ向かう筈だ。途中にある無惨な死者達の死体をどう判断するのだろうか? 正直な処、葉月にはどうでもいい。ベリード・アライブは異能者であり『特殊犯罪捜査課』は異能力犯罪者を殺害する権限を有している。後は何も問題が無い。
「佑大に帰ってきた事を伝えないと。それにしても、疲れたわ…………」
家に帰る途中、崎原からのメールが送られてきた。
切り裂き魔が最後の犯行前に、やり取りしていた不可解な人物がいるのだと。そして、聖世の周辺の人間、つまり、イラストレーターやエロ漫画家、ミュージシャンなどに聞き込みをしていると、彼らの大多数にはアリバイがあり、またワー・ウルフである可能性は低いように思えるとの事だった。
つまり、聖世はいつもの友人、仕事仲間以外との交流があった事が示されている。その人物が一体、何者なのか。ワー・ウルフの可能性はあるのか?
次に警察のオフィスに向かえば、聖世と最後にメールでやり取りをしていた人物のプロファイルを行う事になるだろう。葉月は大きく欠伸をする。
そして、葉月は家に帰ると、シャワーを浴びて、着替えを済ませると、泥のように眠った。
†
30日は月曜日で、大学があった。
葉月は二限目から出席する事になった。
そして、五限目の授業が終わると、葉月はそのまま、佑大の元へと向かう事にした。彼もそろそろ芸大の授業が終わる筈だ。
一時間後、二人は喫茶店の前で落ち合う事になる。
「心配だったよ」
佑大は葉月に言う。
「怜子とは仲良く出来た?」
佑大は葉月に笑う。
葉月と佑大の関係も特殊だった。
男女の恋人同士、という関係なのだが、極めて特殊で、佑大は葉月の心の支えになっていると言ってもいい。葉月は闇へと向かっていく。佑大はそんな葉月を引き留める。恋人というよりも、理解し合っている親友、という言葉が相応しいのかもしれない。葉月がノンバイナリーである以上、男女の恋愛をまっとうに築く事は難しいのかもしれない。
「私が男で、貴方が女に生まれていればよかった」
「ははっ。俺は自分の性自認に対して違和感は無いけどね」
そう言って佑大は笑う。
時計を見ると、時刻は夕方の18時を過ぎている。
今宵、また、ワー・ウルフは犯行を行うのだろうか。
令谷は、家で休養を取っているのだと言う。
佑大は近々、令谷と二人で話したい事がある、と言っている。
†
「菅原。この空き部屋をどうしたいの?」
化座は首を傾げる。
菅原はアジト内にある、使われていない部屋を掃除していた。
段ボールを片付けて、掃き掃除をしている。
「犬を飼いたいんだ。大型犬がいい。俺と似ていて誰にも媚びない雄犬がいい」
菅原はそんな事を言い出す。
「ペットショップはよくない。ブリーダー達が客好みに好きに品種を配合している。菅原さん、保健所から引き取っては?」
白金が部屋に入ってくる。
スーツ姿だ。
仕事帰りなのだろう。
「おい。なんで、俺の考えが読める?」
「いえ。何となく、貴方なら、保健所から引き取るかな、と思って」
白金は笑い掛ける。
「菅原さん。子供の頃のトラウマを克服したい?」
白金は核心を突くような疑問を投げ掛けた。
「ああ。今度は絶対に俺が守るんだ。犬は生きてせいぜい、十年くらい。でも、食生活次第では十五年でも十六年でも生きる」
「なら、菅原さんもそれくらい生きないと」
言われて、菅原は気が付く。
「ああ。そうだな。俺は生きていかないとな。……四十年以上も生きた。俺は生きていく、これからも」
菅原は恥ずかし気に笑った。
白金は何気なしに時計を見る。
時刻は九時を過ぎている。
白金は表向き働いている会社から帰宅の最中に、そのままアジトへと向かった。
今日は11月30日。
今宵は満月だ。
†
百合果は絵を描き続けていた。
サクを名乗る青年はまた会ってくれると言う。
彼に見せる為に絵を頑張っている。
紅葉を描くのが上手いと言われた。暖色が得意分野になるだろうと。
「あえて寒色にも挑戦しないとなあ」
百合果は雪景色をモチーフにデジタルで絵を描いていた。人気のソフトを使って。
それから、もうすぐクリスマスだ。
クリスマス用の絵も描こうと思う。
空は満月だ。
時計を見ると、もうすぐ0時を過ぎて、12月になろうとしていた。
大学の友人である未沙緒(みさお)にLINEをして、描き途中の絵の話をしたかった。彼女はこの時間帯にも起きている。最近は毎日のように未沙緒とLINEのやり取りをしていた。
……連絡が返ってこないなあ。
早めに寝てしまったのかな、と思い、百合果は絵の作業を続ける事にした。
時計の針が進んでいく。
空は満月。
11月30日が終わろうとしていた。
†
12月になった。
その死体を発見したのは、男子高校生二人組だった。
死体が置かれている場所は、男子校の校門裏だった。
頭蓋骨に文房具一式を刺し込まれた、岡見未沙緒(おかみ みさお)の惨殺死体が発見された。シャーペン、消しゴム。赤色のボールペン。三角定規。コンパス。まず、頭蓋骨をドリルのようなもので開けられて、それらの物体を挿入されている。
岡見未沙緒と同じ大学に通っており、友人だった百合果は、発狂したようにスワンソングにLINEメールを送ってきた。白金朔は、百合果を落ち着かせる為に会社の昼休みいっぱい、彼女の話を聞いていた。
会社が終わり、腐敗の王のアジトに向かう。
ブラッディ・メリー化座彩南は陰鬱な顔をしていた。
「文房具以外にも、被害者の女の周りには花が置かれていたと報道されている…………。まるで、私が少し前にヤクザのビジネスで処刑の際に、花を使っていた時みたい…………」
化座は明らかに怒りを露わにしていた。
「貴方の真似をしたわけではない。たまたまだ。貴方の処刑は世間に露見している?」
「露見していないわ」
「そもそも、その処刑方法。もしかして、ワー・ウルフの殺害方法から着想を得た?」
「……そうだったかも。何となく、面白がって気分でやっていたから」
「なら偶然だ。彩南さん、貴方の世間に隠している犯行を、ワー・ウルフが知っていたわけじゃない」
化座は殺害方法が少しだけ自分に似ていた事に憤り、そして、白金は自分が助けた女の子の友達が犠牲者であるという事実に驚愕していた。
ワー・ウルフは自分達の動向を把握している可能性がある。
……一体、どうやって?
「腐敗の王。一応、聞いておきますけど。まさか、貴方かエンジェル・メーカー。どちらかが、ワー・ウルフの正体、という事は無いでしょうね?」
白金は自身のボスに訊ねる。
腐敗の王は、首を横に振る。
「俺にはアリバイがある。空杭だって同じだ。化座か菅原が、証明してくれる筈だ。君が助けた絵描きの女に訊ねてみるといい。友人は一昨日まで生きていたんじゃないのか? あるいは、昨日の昼か夕方頃まで、生きていた筈だ。どうせ、司法解剖が行われれば証明される」
「模範犯の可能性は?」
化座は訊ねる。
「分からん」
「腐敗の王。まさかですけど、まだ、ワー・ウルフを仲間にしたいと考えていますか? 僕達三名が牙口令谷にワー・ウルフの件に関しては、今後、協力していく姿勢を取っているのに?」
白金は少し冷静さを失っていた。
「…………。正体を知りたいとは思っている。俺もこのサイコパスには興味がある。何者なのか? どういう動機なのか? 何を考えている?」
腐敗の王はソファーに座る。
そして考えを巡らせているみたいだった。
「殺人犯のタイプとしては、ブラッディ・メリーは快楽殺人型だな。ネクロマンサーは愉快犯型。スワンソングは愛憎型。ヘイトレッド・シーンは職業軍人型。エンジェル・メーカーは精神病型。そして俺はテロリスト型、と言った処か。専門用語では、もう少ししっかりとしたカテゴリー付けが記載されている筈だが。ワー・ウルフの犯行動機。そもそも人生の目的は一体、なんだ? 俺はその点に興味がある」
腐敗の王は天井を見ながら、物思いに耽り始めた。
「処で、気付いているか? 俺達は、このサイコパスの正体を知りたい、と、考え続けて、自分自身の闇と対面しているぞ。ニーチェは言ったな“怪物と戦う者は自身も怪物にならないように。深淵を覗き見れば、深淵の方もまた此方を覗いている”、と。俺は付け加えたい。俺達は怪物であり、深淵そのものだ。ならば“その深淵の底には更に先があるのではないか”と」
化座は白金に気付かれずに、思惑を膨らませていた。
……牙口令谷の肌は美しく、血は美味しかった。
彼を解剖したい。彼の全身の血を飲みたい。
白金は令谷に協力したがっているが、化座は彼を食べたかった。全身の血を抜いて、食卓に並べてやりたい。彼の生首をオブジェとして飾りたい。
†
暗い部屋の中、牙口令谷は壁を見ながら、ぼんやりと空ろな顔をしていた。
腐敗の王のチーム達の顔が思い出せない。
彼らに完全敗北をした。
それはまだいい。
問題は…………。
今回の満月も、ワー・ウルフの犯行を赦してしまったという事になる。
自分がいかに無力な存在なのか思い知らされる。
令谷は無言で血塗れになる程に、壁に向かって拳を殴り続けていた…………。