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第五十三話

 パーウェルスの纏う黒地の服には金糸が花を描き、華美で高貴な印象を与えるが、貴族のような身分を感じさせるものではなかった。一個人の印象――詰まる所が趣味に留まるようなものだった。

 後ろ手に纏められた銀髪は、艶やかに光を放っており、私は思わず自分の髪の毛と見比べた。彼女の目は、生来そうであるのだろう、細く横長に伸びており、友好的な印象はあまり抱けなかった。わずかに覗いている翡翠の瞳から、神授医でなくとも感じ取れる鋭さがあるせいだ。ナナがこちらの服の裾を握り込んでくるのもそのせいだろう。

「ナナ、今日は相当怖がりだね。そろそろトイレ貸してもらう?」

 私が少し肘でせっつくと、ナナは反射的にこちらを睨みつけた。

「別に漏らしませんよ! ほら、メルンさん! 挨拶!」

「はいはい――どうも、パーウェルスさん。私はメルン。旅人だ。リネーハの街には訳があって立ち寄ったんだ。こっちはナナ。見ての通り、臆病な子供だよ」

「臆病じゃないです! ただ、ちょっと――その――」

「で――私はどこから話せば、その妙な糸を収めてくれるのかな」

「えっ」

 ナナは辺りをきょろきょろと見回しているが、彼女の目には映ってないらしい。パーウェルスの周りには、金の糸で出来た花が咲き誇っていた。彼女の着ている服に描かれた花と同じ――しかし、それよりも立体的で、精巧な花が。

 パーウェルスは、また礼をした。

「すまない。これは――見えるとは思わなかったもので、説明が遅れてしまった。糸聞き花と同じようなものだと思ってほしい。害意はないが、不快であれば閉じよう」

「いや、いいよ。誠意は伝わったから」

 彼女は再度、謝意を述べてから、私達を店の中へと通した。

 彼女の店の内装は、無骨な職人が籠り切るような工場だった。壁や作業台にはよく知る裁ちばさみなどの道具から、一定の間隔でからからと鳴るよく分からない機械まで所狭しと並んでいる。だが、乱雑な印象はなく、必要な物が想像以上にかき集められたといった具合だ。パーウェルスはあちこちをうろつき、数分してようやく四人分の椅子を用意した。

「すまない、普段は来客がないものでね」

「気にしないでいいよ。こういう部屋の方が落ち着くからね。それで、どこから話そうかな――」

 私はとりあえず、リアの街の現状と、リーゼのことを簡潔に話した。

「道理で、ルオーメのことを知っていたわけか」

「それ、疑問に思ったんだけど、リネーハの歴史を知るってそんなに難解なことなの?」

「メルン君――でいいかな。君は外で黒縄に襲われた時のことを覚えているだろう。何故か外ではルオーメは愚か、この街の歴史を辿ることは禁忌となっている」

「ただの歴史がどうしてそんなことになってるのさ」

「理由は分からないよ。ただ、それを探ろうとして命を落とした者がいる。ルオーメに住む者は貴重だからね、私はそれを恐れて禁じているだけだ」

「――そもそもだけど、あれ――黒縄だっけ、何?」

 パーウェルスは首を振った。

「それも分からない。ただ、黒縄が見られたのは二年前ほどだ。ルオーメの中でも何体か現れた。私達は『糸紡』と『治安』の術を使い、どうにかルオーメの外まで追い出し、早期に『治安』の術を張り巡らせた。それでも――犠牲者はあったがね」

「それから、ずっとこの地に立てこもってる、そう理解していい?」

「ああ。カランドのような術に優れた者は、外での調査も任せているが、その進捗は芳しくない。なにせ、リネーハの街は普段通りの顔をしているものだからな」

「そうだね。私も、今日まで異変を察知できなかったよ。民はみんな平穏で、普通に見えたし――不自然なところは何も。私は新月病がこの街にも侵食しているんじゃないかと踏んでいたのに、話はそれ以上だった。怪物が人々の中に潜んでいるわけだからね。患者を助けようとして、その同胞に殴られるなんて経験、貴重だね」

 今回は、イェルククの時のように、誤解を避けて丁寧に立ち回ったのに。

 水泡と消えた努力に私は天井を仰いだ。

「で、結局、黒縄が何か分からないまま、二年ってことか。よく今日まで生き永らえてるよね。見た感じ、ここには畑もろくにないし、ルオーメの土地だけで自給自足なんて大変じゃない?」

「そこが気味の悪い――しかし、勝機の一筋なんだ」

 言葉の割に、彼女は顔をしかめて、今にも唾を吐きそうだった。

「ルオーメは職人達が多く住まう地域だ。ここだけでは食料は賄えない。このまま行けばルオーメは飢餓で滅んでいたよ。だがね、外は私たちとの交易を今まで通り、普通に続けたんだよ。いつも通り、糸や布、服飾から化粧品――それらを何食わぬ顔で取引してきたのだ。その癖、私達をリネーハの外どころか、ルオーメからも出したがらない。正面突破を試みたらあの化物どもが圧をかけてきたよ、全く」

「確かに気持ち悪い、まるで牢獄みたいだな」

「言い得て妙だね。少し前まで、ルオーメは最も貴ばれる地域だったのに」

 パーウェルスの声の調子は、段々と下がってきていた。

 カランドは、間を置かずに話し始めた。

「ルオーメはしばらく希望の知らせもなく、現状への打開も出来なかった状態でした。しかし、今回メルンさんが来ていただいたおかげで選択肢は増えるはずです。それに、リアの街の新月病は、リネーハの現状に深く関係があるはずです」

「そうだね、私もそう思う。奴らに『治安』の術が効くところとか、新月病の特徴に一致しているからね。なにかしらのヒントは得られるはずだ。パーウェルスさん、あの怪物が出てきたとき、人々はさっき言ったような症状を見せてたかな?」

「いや――前触れはなく、唐突だった。私は弟子からの知らせを受けて、強く衝撃を受けたのを覚えている。治安官は不意を受けたらしく、全て亡くなり、どうにか連絡を寄こしたらしい」

 ナナは椅子ごと、こちらへ寄ってきた。私はその頭を撫でつけた。

 小さいとは言えない震えが伝わってくる。

「治安官を狙ったのは、『治安』の術を恐れたから――私はそう考え、奴らにそれを行使したのだ。ルオーメ家にはかつてリネーハの人々を束ねた故、『治安』の術を身に着けている者は少なくなかった。だから、ルオーメはまだ生き残っている」

「敵は、計画的にここを襲ったわけだ。でも、ルオーメの特質から難を逃れた」

 パーウェルスは頷いた。

「だがさっきカランドが言った通りだ。飼い殺しのような状態が続き、ルオーメの者の矜持が崩れ始めている。これ以上は耐え切れぬ者も出てくるだろう。どうか、協力を頼めるだろうか」

「特に断る理由もないよ。私達の利害は一致してるし――私が、嫌です帰ります、なんて言ったって、外のアレのせいで無理だろうから」

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