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103. まだ温かい毛布

 俺は叫ぶ。


「お前ぇぇぇぇ! ふざけんなぁぁぁぁ! ドロシーに触れていいのは俺だけだぁぁぁぁ!」


 絶叫の中に怒りと絶望、そして無力感が混ざっていた。


「余計な事したら真っ先にこの女から殺す。分かったな?」


  ヌチ・ギは勝ち誇った顔でそう言い放つと、切れ目の中へと入っていく。その後ろ姿に、この世界を支配する者の狂気が滲んでいた。


「止めろーーーー!」


 必死の叫びもむなしく、空間の切れ目がツーっと閉じていく。俺の希望が消えていく――――。


「助けて! あなたぁ!」


 ドロシーの悲痛な叫び声がプツッと無慈悲に途切れた。その声が、俺の心に深く刻まれる。


「ドロシー! うわぁぁぁ! ドロシーーーーー!」


 俺の泣き叫ぶ声が朝もやの池にむなしく響き続けた……。その叫びは、失われた幸せと、これから立ち向かわなければならない過酷な現実への絶望。


 金縛りの解けた俺はバタリとウッドデッキに転がった――――。


 静寂が戻った朝の光景。しかし、その平和な風景とは裏腹に、俺の心は激しく波打っていた。ドロシーを取り戻す方法、ヌチ・ギへの対抗手段、そしてこの世界の真実。様々な思いが頭の中で渦巻くものの、全ての力を奪われた俺はただの小僧だった。


 ただの小僧が全知全能の世界の管理者相手に一体何ができるのだろうか?


 俺はゴロンとウッドデッキに大の字になって空を見る。


 そこには朝の鮮やかなどこまでも青い空が広がっていた――――。



       ◇



 最愛の妻が奪われてしまった――――。


 その現実が、俺の心を鋭い刃物で切り裂く。


 だから結婚なんかしちゃダメだったんだ……。


 そんな後悔の念が、俺の心を更に深く傷つける。


 俺は毛布を拾うと、ぎゅっと抱きしめた。まだ温かい毛布にはドロシーの匂いが残り、俺を包む。その香りは、つい先ほどまでの幸せな時間を思い出させ、更なる苦痛を与えた。


「ドロシー……。うぅぅぅぅ……」


 俺はドロシーの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。その行為は、失われた愛おしい人との最後の繋がりを必死に掴もうとしているかのようだった。


 朝日で御嶽山がオレンジ色に輝くのが見える。その美しい光景が、今の俺の状況と皮肉な対比を成していた。


 泣いてる場合じゃない、なんとかしないと……。


 そう思いながらも、体は重く、心は闇に沈んでいた。


 しかし、相手はこの世界の管理者権限を持つ男、直接やりあっても全く勝負にならない。どうしたら……。


 その絶望的な状況に、俺の思考は堂々巡りを続けた。


 俺は恐る恐る現状分析を行う。ステータス画面を開いて見ると、千を超えていたレベルは三十にまで落ちていた。もはやアルより弱くなってしまっている。


 アバドンを呼ぼうとしたが、アバドンとの通信回線も開かない。魔力が落ちたので奴隷契約がキャンセルされてしまっていた。最後の頼みの綱さえも、俺の手から滑り落ちていった。


 もはや飛ぶこともできないし、そもそも生きてこの山奥から出る事すらできそうにない。妻を奪い返しに行くどころか、自分の命も危ない情勢に俺は絶句した。その現実が、俺を更なる絶望の淵へと追いやっていく。


 誰かに助けてもらいたいが……、相手は無制限の権能をほこる絶対者。まさに死にに行くような話であり、誰にも頼めない。八方ふさがりである。


 その状況は、まるで深い闇の中に閉じ込められたかのようだった。


 妻を失い、仲間を失い、力を失い、俺は全てを失い、もはや抜け殻――――。


 俺は頭を抱え……、そしてそのままテーブルに頭をゴンとぶつけ、突っ伏した。その痛みさえも、心の痛みに比べれば些細なものに感じられる。


「もう誰か、殺してくれないかな……」


 俺はダラダラと湧いてくる涙をぬぐう事もせず、ただ、虚脱してこの理不尽な運命を呪う。その言葉には、生きる意味を失った者の深い絶望が込められていた。


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