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第135話 セイレーンの姫、セイレーンではなかった

 黄金の髪をたなびかせて、六つの翼を持つ天使は魔王の前に立ち塞がる。


 身にまとうのは白いシルクの貫頭衣。

 黄金のネックレスとベルト。

 そして月桂樹で編まれた靴。


 シンプルな装いにもかかわらず、その姿は夜会の主賓を飾る貴婦人のようだ。

 その金毛――足下まである長髪がそう思わせるのかもしれない。


 刀身から白い光を放つ宝剣を両手に持った天使は、瞳を閉ざしたまま魔王を睨む。

 その荘厳さに当てられたか、魔王が血の翼を後ろへと黙って回した――。


「貴様、何者じゃ! そのまがまがしい力――妾(わらわ)とは正反対の、光の力はいったい!」


『私は神の使徒。我が神を崇める人間たちのため、お前たちのように人間を害する魔なる者を祓い、人の世界に調和をもたらす守護者。まがまがしく感じるのはそうでしょう。私の力は――貴方を滅ぼすためにあるのですから』


「妾(わらわ)を滅ぼすじゃと……冗談はほどほどにせい! たかが神の使徒如きに、そのような力があってたまるか!」


『では、試してみましょうか……?』


 天使の挑発に乗り、魔王が血の翼と腕を繰り出す。

 上下左右の四方向から同時に繰り出される血の翼。俺と精海竜王が戦っていたときにも見せなかった、死角のない攻撃に――六つの翼を持つ天使はその手の宝剣を振るった。


 戦士の太刀筋と鋭さはない。

 典礼のように優雅なその一太刀は、彼女に迫る血の腕と翼を一瞬にして霧散させた。

 同時に、魔王の口からこの世の終わりのような絶叫が飛び出す。


 それもそのはず。

 天使に向かって突き出された腕と翼が白い炎に燃えていた。


「ぐぅうううッ! 貴様ァッ! その宝剣の力は、神の――ッ!」


「そうです。我が主神の力が籠められた討魔の宝剣。貴方のように邪悪なる者が触れようものならば、その威光によりたちまちその身は焦げる……!」


「ぐぬぅ……卑怯だぞ! 力を使徒に貸し与えるとは……!」


 どうやら天使の宝剣は魔王に有効な武器らしい。

 絶望的だった魔王との戦いにようやく希望が見えた。

 魔の者を統べる王を前に毅然として立ち向かう天使。その姿に励まされ、再び俺は石兵玄武盤に力を籠めた。


 彼女を守るように、俺は巌の盾をその周りに隆起させる。


「天使よ、助力感謝する! 貴方はこの俺が守ります! なので、どうか魔王を!」


『おに~ちゃん! わかった、がんばるね!』


 けど、なんでこの天使は、俺のことを「おに~ちゃん」と呼ぶのだろう?

 魔王と相対している時の神の厳格な使徒たる振る舞いと、俺と相対している時に無邪気な感じのギャップに、どうにも頭が混乱してくる。


 というか、こんな美人に『おに~ちゃん』と呼ばれるのは、すごい背徳感だ。

 俺は妻帯者で、相手は天使。


 いいのだろうか……!

 神は、赦してくれるのだろうか……!


「ぼさっとしておる場合ではないぞ、ケビン! 弱っておる今がチャンスじゃ! 一息に魔王を倒してしまえ!」


 岳父の言葉で目を覚ます。

 その通りだ、今はチャンスを活かすとき。

 焼けただれた魔王の翼と腕が再生する前に、この戦いを決着させる。


「いきましょう、天使どの!」


『うん、おに~ちゃん! まお~う、かくご~なの!』


 相変わらず、天使の口調は幼いまま。

 けれども構わず、俺たちは魔王に向かって一気呵成に攻撃を浴びせた。


 大地から礫を撃ち出し、魔王の視界を混乱させる。

 そんな礫の嵐に交じって、天使の宝剣が放った光の剣閃が走る。


 光の刃にその身を切り裂かれ魔王がまた悲鳴を上げる。

 神の威光を帯びた容赦のない攻撃が、その身体に見るからに深い傷を与えた。


「くっそ……忌々しい奴らめ! なぜ妾(わらわ)の邪魔をする! なぜ、人間どもなどに肩入れする! おのれ神よ! おのれ天使よ! 許さぬ……許さぬゾォッ!!!!」


『魔王よ。魔の力に呑まれ、力によってこの世を統べんと欲する者よ。この世の全てを欲する業を背負いし者どもよ。我らは弱き者たちの代弁者。平穏を望む者たちの調停者。お前たちが彼らから、ささやかな幸せさえも奪おうとするのなら――我が主神も、私も、容赦はしない。人々の営みを守るため、この断罪の剣でお前を裁こう!!!!』


「なにを言うか! 全てを欲してなにが悪い! 力ある者が全てを手に入れてなにが悪いか! この世は強者が動かすものであろう! お主たちのしていることと、妾(わらわ)のしようとしていること……いったいそこにいかほどの違いがあろうか!」



『弱き者たちを慈しみ哀れむ心です。それが分からぬからこそ、汝は魔なる者の王なのでしょうが……! さあ、これ以上の問答は不要ですね!』



 天使が貫頭衣の胸元に手を入れる。

 豊満な胸元が揺れたかと思うと、金色の杯を彼女はそこから取り出した。

 宝剣に勝るとも劣らない、眩い聖光を放つそれを天に掲げれば、その頭上から降り注ぐ光がさらに明るさを増す。


 そして――。



『我が主神の御心に焼かれよ! 破邪魔滅聖光(ホーリーライト)!』


「ぐっ、ぐわぁあああああああッ!!!!」



 神の威光そのものである聖光が、魔王をその頭上から焼く。

 聖なる力に晒されてその身を焦がす吸血鬼。たちまちその姿は白い聖炎に包まれた。

 ただでさえ、光が弱点だというのにこれはひとたまりもない攻撃だろう。


 あれほど恐ろしかった魔王が。

 精海竜王に匹敵するとも感じられた強敵が。

 聖なる光に焼かれ、今まさに灰燼と化していく。


「おのれ! おのれ! おのれ! 許さぬゾ……! 妾(わらわ)はこれでは終わらぬ! いずれまた必ず復活し、お前とお前の神を倒してみせる!」


「それは叶いません、魔王カミラ。なぜなら貴方はここで滅するのですから」


「くそっ、くそっ、くそぉっ……! なぜじゃ! なぜ、魔王たる妾(わらわ)がこんな目に遭うのじゃ……! なぜこのような、神の使徒風情に遅れをとるのじゃ!」


 その身を業火に焼かれながら悔やむ魔王。

 いよいよ翼を完全に焼かれ、地に伏せた彼女に向かって――。


『私は力天使ステラエル。主神よりその権能を譲り受け、神の力を行使することを許された存在。私が強いのでもなければ、貴方が弱いのではありませんよ、魔王。ただ、我が主の意志と力を代行しているだけに過ぎない……!』



「力天使ステラエル……だと⁉」



 冥土の土産とばかりに天使はその名を告げたのだった。

 その姿からは想像もつかない、俺の大切な嫁とよく似た名前を。


 まさかとは思うが……?

 まさかな?


 いや、勘違いであってくれ!

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