黄金の髪をたなびかせて、六つの翼を持つ天使は魔王の前に立ち塞がる。
身にまとうのは白いシルクの貫頭衣。
黄金のネックレスとベルト。
そして月桂樹で編まれた靴。
シンプルな装いにもかかわらず、その姿は夜会の主賓を飾る貴婦人のようだ。
その金毛――足下まである長髪がそう思わせるのかもしれない。
刀身から白い光を放つ宝剣を両手に持った天使は、瞳を閉ざしたまま魔王を睨む。
その荘厳さに当てられたか、魔王が血の翼を後ろへと黙って回した――。
「貴様、何者じゃ! そのまがまがしい力――妾(わらわ)とは正反対の、光の力はいったい!」
『私は神の使徒。我が神を崇める人間たちのため、お前たちのように人間を害する魔なる者を祓い、人の世界に調和をもたらす守護者。まがまがしく感じるのはそうでしょう。私の力は――貴方を滅ぼすためにあるのですから』
「妾(わらわ)を滅ぼすじゃと……冗談はほどほどにせい! たかが神の使徒如きに、そのような力があってたまるか!」
『では、試してみましょうか……?』
天使の挑発に乗り、魔王が血の翼と腕を繰り出す。
上下左右の四方向から同時に繰り出される血の翼。俺と精海竜王が戦っていたときにも見せなかった、死角のない攻撃に――六つの翼を持つ天使はその手の宝剣を振るった。
戦士の太刀筋と鋭さはない。
典礼のように優雅なその一太刀は、彼女に迫る血の腕と翼を一瞬にして霧散させた。
同時に、魔王の口からこの世の終わりのような絶叫が飛び出す。
それもそのはず。
天使に向かって突き出された腕と翼が白い炎に燃えていた。
「ぐぅうううッ! 貴様ァッ! その宝剣の力は、神の――ッ!」
「そうです。我が主神の力が籠められた討魔の宝剣。貴方のように邪悪なる者が触れようものならば、その威光によりたちまちその身は焦げる……!」
「ぐぬぅ……卑怯だぞ! 力を使徒に貸し与えるとは……!」
どうやら天使の宝剣は魔王に有効な武器らしい。
絶望的だった魔王との戦いにようやく希望が見えた。
魔の者を統べる王を前に毅然として立ち向かう天使。その姿に励まされ、再び俺は石兵玄武盤に力を籠めた。
彼女を守るように、俺は巌の盾をその周りに隆起させる。
「天使よ、助力感謝する! 貴方はこの俺が守ります! なので、どうか魔王を!」
『おに~ちゃん! わかった、がんばるね!』
けど、なんでこの天使は、俺のことを「おに~ちゃん」と呼ぶのだろう?
魔王と相対している時の神の厳格な使徒たる振る舞いと、俺と相対している時に無邪気な感じのギャップに、どうにも頭が混乱してくる。
というか、こんな美人に『おに~ちゃん』と呼ばれるのは、すごい背徳感だ。
俺は妻帯者で、相手は天使。
いいのだろうか……!
神は、赦してくれるのだろうか……!
「ぼさっとしておる場合ではないぞ、ケビン! 弱っておる今がチャンスじゃ! 一息に魔王を倒してしまえ!」
岳父の言葉で目を覚ます。
その通りだ、今はチャンスを活かすとき。
焼けただれた魔王の翼と腕が再生する前に、この戦いを決着させる。
「いきましょう、天使どの!」
『うん、おに~ちゃん! まお~う、かくご~なの!』
相変わらず、天使の口調は幼いまま。
けれども構わず、俺たちは魔王に向かって一気呵成に攻撃を浴びせた。
大地から礫を撃ち出し、魔王の視界を混乱させる。
そんな礫の嵐に交じって、天使の宝剣が放った光の剣閃が走る。
光の刃にその身を切り裂かれ魔王がまた悲鳴を上げる。
神の威光を帯びた容赦のない攻撃が、その身体に見るからに深い傷を与えた。
「くっそ……忌々しい奴らめ! なぜ妾(わらわ)の邪魔をする! なぜ、人間どもなどに肩入れする! おのれ神よ! おのれ天使よ! 許さぬ……許さぬゾォッ!!!!」
『魔王よ。魔の力に呑まれ、力によってこの世を統べんと欲する者よ。この世の全てを欲する業を背負いし者どもよ。我らは弱き者たちの代弁者。平穏を望む者たちの調停者。お前たちが彼らから、ささやかな幸せさえも奪おうとするのなら――我が主神も、私も、容赦はしない。人々の営みを守るため、この断罪の剣でお前を裁こう!!!!』
「なにを言うか! 全てを欲してなにが悪い! 力ある者が全てを手に入れてなにが悪いか! この世は強者が動かすものであろう! お主たちのしていることと、妾(わらわ)のしようとしていること……いったいそこにいかほどの違いがあろうか!」
『弱き者たちを慈しみ哀れむ心です。それが分からぬからこそ、汝は魔なる者の王なのでしょうが……! さあ、これ以上の問答は不要ですね!』
天使が貫頭衣の胸元に手を入れる。
豊満な胸元が揺れたかと思うと、金色の杯を彼女はそこから取り出した。
宝剣に勝るとも劣らない、眩い聖光を放つそれを天に掲げれば、その頭上から降り注ぐ光がさらに明るさを増す。
そして――。
『我が主神の御心に焼かれよ! 破邪魔滅聖光(ホーリーライト)!』
「ぐっ、ぐわぁあああああああッ!!!!」
神の威光そのものである聖光が、魔王をその頭上から焼く。
聖なる力に晒されてその身を焦がす吸血鬼。たちまちその姿は白い聖炎に包まれた。
ただでさえ、光が弱点だというのにこれはひとたまりもない攻撃だろう。
あれほど恐ろしかった魔王が。
精海竜王に匹敵するとも感じられた強敵が。
聖なる光に焼かれ、今まさに灰燼と化していく。
「おのれ! おのれ! おのれ! 許さぬゾ……! 妾(わらわ)はこれでは終わらぬ! いずれまた必ず復活し、お前とお前の神を倒してみせる!」
「それは叶いません、魔王カミラ。なぜなら貴方はここで滅するのですから」
「くそっ、くそっ、くそぉっ……! なぜじゃ! なぜ、魔王たる妾(わらわ)がこんな目に遭うのじゃ……! なぜこのような、神の使徒風情に遅れをとるのじゃ!」
その身を業火に焼かれながら悔やむ魔王。
いよいよ翼を完全に焼かれ、地に伏せた彼女に向かって――。
『私は力天使ステラエル。主神よりその権能を譲り受け、神の力を行使することを許された存在。私が強いのでもなければ、貴方が弱いのではありませんよ、魔王。ただ、我が主の意志と力を代行しているだけに過ぎない……!』
「力天使ステラエル……だと⁉」
冥土の土産とばかりに天使はその名を告げたのだった。
その姿からは想像もつかない、俺の大切な嫁とよく似た名前を。
まさかとは思うが……?
まさかな?
いや、勘違いであってくれ!