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アオトリ
アオトリ
桜木いとか
文芸・その他ショートショート
2024年09月01日
公開日
2,458字
完結済
■文明が滅んだ世界で、世界を救うとされる「聖女」を求めるニンゲンたちのために、犠牲になった一人の少女の物語。 ※本作には性的暴力、監禁、自死を含む描写があります。ご不安、嫌悪感のある方は閲覧をご遠慮ください。また特定の宗教・団体とは関係はありません。

アオトリ

 かつて栄えた文明というものが滅んで、ニンゲンには獣化する奇妙な病が流行したのだと、繰り返し繰り返し聞かされていた。


 あたしには生まれつき背中から伸びた翼の骨格があった。

 それ自体は珍しいことではなかったけれど、あたしはこの研究所の自分の部屋から、一度も外に出たことがない。

 部屋は天井が高くて太陽が明るく差し込む。植物も豊かで季節折々の花が絶えないし、とても綺麗でおいしい水が噴水を象った循環装置からコポコポと湧いている。

 いつもと変わらず大きなモミの木の下に置かれたベッドの上であたしは目を覚ました。

 それを監視カメラで見ていた研究員が食事を載せたトレイを運んでくる。

 渡されたトレイには、オートミールと果物。あたしはこれしか口にしたことは無い。

 食後に毎日繰り返されるのは、採血と髪の毛のブラッシング。

 あたしの髪は肩口で綺麗に切り揃えられている。多分、翼を観察しやすいようにだと思う。血も髪も爪も、全部がサンプルとして研究員たちの手に渡っていく。

 あたしの色素と翼の研究に使うのだろう。

 最近、研究員たちが苛立っていることを、あたしは敏感に感じていた。

 十六年も此処にいるあたしの背中の翼には、一度も羽根が生えてこない。白い骨だけで翼は出来ている。

 いつ生えるのかはあたしにも解らなかったけれど、いざという時にあたしが飛んで逃げないように、右足首には白金の鎖が結ばれていた。

 此処でのこの生活を命が尽きるまで続けたとしても、あたしに不都合や不自由はなかった。

 こうしていることが、生まれたときからのあたしの生活だったから。

 一週間ほど前に、研究員の一人が口にしたあの言葉を聞くまでは、本当にこれで良いのだと、あたしは思っていた。


「彼女の色素遺伝子を優先させられる男性が見つかったので、交配させてしまいましょう」


 あたしには外のニンゲンとあまり変わらない程度の教育がされていた。

 実感したことも体験したこともないけれど、ムービーなどを駆使した最新の情報ネットワークで、あたしには知識は有り余るほどあった。研究員たちは『必要なことだ』と、此処から出られないあたしに、様々なことを教えた。


 羽根の生えないあたしを、適合する男に抱かせて無理矢理子供を作らせるのだと知って、何度となく見せられた男と女が絡み合うムービーや、受胎の仕組みの図が頭の中を駆け巡る。

あたしは此処に来て初めてイヤダと思った。


 研究員があたしの部屋を訪れる度に身体はすくみ、満足に食事も摂れなくなった。

 昔読んだことのある恋物語のようなときめく体験は望んでも無理だと解っていたけれど、伴侶を選ぶことすらあたしには許されないの?

 いっそ羽根が生えてくれたら、此処から飛んで逃げてしまいたい。

 あたしは毎日、骨だけの翼を指でなぞりながら、そう強く思うようになった。

 食事が出来なくなったあたしには、栄養剤が打たれた。元からそんなにふくよかではなかったけれど、あたしは自分がどんどん痩せていくのをどうすることも出来ずに、いつか来る男の影に怯えながら過ごした。


 そうして、戦慄の夜が来る。


 あたしの部屋に、研究員ではない見知らぬ男が入ってきた。

 男は小さい頃に読んだ絵本の王子様のように美しかったけれど、あたしは男を見た瞬間、激しく嘔吐した。それを見て男はあたしの肩に手を置いた。心配したのだろうけれど、あたしは目一杯の力でその手を振り払って、右足を少し引きずり、じゃらじゃらと鎖を鳴らしながら部屋中を逃げ惑った。

 部屋に植えられた木々の隙間を縫うように走り回る。


 けれど、ろくに食べていないあたしはすぐに男に捕まって、ベッドへ引きずり倒された。


 どうして羽根は生えないの?


 今まで味わったことのない恐怖と、全身を引き裂くような激痛に晒されながら、あたしは骨の翼を見ていた。

 嗚呼。

 今。

 この瞬間に、羽根が生え揃ってくれたら、あたしは……。

 喉から搾り出される絶え間ない悲鳴が、自分のものだとも解らずに、あたしは羽根の生えない翼を見つめ、男にされるがままに揺さぶられていた。


 多分、あたしの心は死んでしまっただろう。


 永い永いような。

 それともこんなにも短かったのか。

 あたしはあの日からぴくりとも動かないまま、何種類もの点滴を身体に入れられて十月十日の期間を生かされた。

 何も映さなくなった瞳をゆっくりと瞬かせて、あたしは膨らんだ下腹部から『それ』を産み落とした。

 痛みも、感動も、もう何も感じない。

 研究員たちはあたしの足を開かせたまま、『それ』を見てなにやら声を上げた。

 手を打ち鳴らし、笑っている。

 あたしは体勢を変えることもせずに、床に転がっていた。


「素晴らしい」

「完璧な彼女の色素だ」

「見事に生え揃っている」


 口々に叫んでいる研究員たちが『それ』を高々と抱き掲げた。

 あたしの目に入ってきた『それ』は、あたしと同じ青みがかった銀の髪をしていた。

 そして、背中には……。


「これで人類の新たな幸福の象徴、青い鳥の聖女を『作ること』が出来た!」


 研究員が絶叫に近い歓喜の声を上げる。

 『それ』の背中には、翼があった。

 あたしと違って、綺麗に羽根が生え揃っている。

 深い深い青の羽根。


 こんなものの為に、あたしはずっと此処にいて、今日まで生かされてきたのか。

 あたしは自分の骨だけの翼を少し動かして、のろのろと白く細い腕を伸ばした。

 指先に触れた冷たい金属は『それ』を生んだ時に使った道具の何かだろう。

 あたしは握り締めた金属が鋭く尖っていることを確かめると、表情を変えることなく、思い切り自分の首へと突き立てた。

 どれ程強く願っても、羽根は生えなかった。

 流れ出る体液の鮮やかな赤が眩しい。

 白い床に血溜まりを作りながら、あたしはもう一度、青い『それ』を見た。

 きっと『それ』もあたしと同じ運命を生かされるんだ。


 研究員たちは、もう、あたしを見ない。

 わあわあ騒ぎながら『それ』を細かく観察している。


 あたしは、赤と青を見つめたまま、終わっていく。

 燃えるような赤。

 冴え渡る青。

 瞳から何かが頬を伝い落ちた気がしたけれど、次の瞬間にあたしの視界も意識も、ぷつりと途切れた。


     了

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