昼下がりの摩天楼の足もとを、ひとりの中年男性が歩いていた。
藍色の着流しに茶色の羽織り姿で、細長い杖をついている。
灰色がかった髪の毛は歩みに合わせてひらひらと揺れていた。
「はあ、今日は暑いですねぇ」
浅黒い肌に汗がにじむ。
アスファルトを杖で弾きながら、しかし確かに進んでいく。
瞳孔は動かず、錆びたパイプの断面のような輪郭をしていた。
「
男は着物の襟を少し崩した。
彼の名は
ウツロの父・
もうひとりは
「まだ信じられませんよ、君がもうこの世にはいないなんてね」
ときおりひとりごとを唱えながら、森は歩みを進めた。
かねてから暗殺の仕事を斡旋している組織・
そもそも彼を育て、剣術の手ほどきを指南するよう仕向けたのは、組織の先々代総帥・
実際の指導は似嵐鏡月の父・
「ああ、暗月さま、あなたさまにも合わす顔がございません……」
こんなふうにてくてくと歩いていると、うしろから忍び足で近づく者がある。
パーカーにジーンズ、ひどくくたびれている。
この世が面白くなくて仕方がないというタイプの中年男である。
彼はそっと森の横まで近づくと、追い抜きざまに杖に足を引っかけた。
「いづっ――!」
しかし次の瞬間、むこうずねをその先端で鋭く打ちすえられる。
「おや、どなたかそこに、いらっしゃるのですか?」
知らぬ顔で語りかける森に、大きく拳を振りあげた。
「ひっ……」
なくなっていた、二の腕から先が。
血は出ない。
傷口はからからに干からび、どんどん砂のように崩れていく。
「アルトラ、エンジェル・ダスト……」
アスファルトの地面から塵が舞いあがり、たちどころに下手人を包みこんだ。
「う、あ……」
男の体はミイラのようになり、そして土へと返っていく。
土から砂へ、砂から塵へ。
そして風に乗り、それはどこかへと消えていった。
「あの魔女が来日しているらしい。ディオティマめ、いったい何をたくらんでいるのやら」
森は杖を持ち直し、再び歩きはじめた。
春の暑い昼下がり、なんでもないような街の光景。
そこからひとつの存在が消え去ったことに、行きかう人々の誰も気がつくよしもなかった。