中庭へと移動した
ペンキがところどころはげかけていて、前に立った
「で、用向きは?」
「いや、なんでもねえことなんだけどさ……」
氷潟夕真の問いかけに、南柾樹ははぐらかすように答えた。
「親父はなんで、おまえを使いによこしたんだ?
「さあな、直接聞けばいいだろ? せっかく近々会いにいくとおっしゃってるんだからさ」
「つれないねえ」
「よせ、気色悪い」
南柾樹は遠い目つきをしたあと、あらためて氷潟夕真に向き直った。
「氷潟、単刀直入に言うぜ?」
「なんだ、いったい」
「俺は、帝王になる」
「……」
「親父にはどいてもらってさ、龍影会の総帥の椅子には、俺が座る」
「……できるとでも思うのか? 第一、おまえはまだ、閣下のことは――」
「ああ、何も知らねえ、何ひとつだ。日本の影の支配者だってこと以外はな」
「だったらなんで」
「血っていうの? 親父のことを知ったときから、なんていうかさ、騒ぎだしたんだよ。細胞っていうか、遺伝子っていうか……」
「なんのことを言っている?」
「ま、ちょっとこれを見てくれ……」
「……」
南柾樹の体が変形する。
アルトラ、サイクロプスを発動させたのだ。
しかしそれは、以前のひとつ目巨人の姿よりもずっと小さく、それでいてシャープでスタイリッシュなデザインになっている。
黒いボディを基調として、肩や胸、顔のラインなどに赤く光るパーツが組みこまれている。
ギリシャ神話の怪物というよりは、むしろ英雄のような雄姿を彷彿とさせた。
氷潟夕真は戦慄し、ひるんで縮みあがった。
「南、これは……」
「なんか知らねえが、パワーアップしたみてえだ。ウツロのエクリプスと同じく、第二形態ってやつに進化したらしい。アップグレードってやつか」
「……このこと、あいつらは知ってるのか?」
「いや、誰かに見せたのは氷潟、おまえがはじめてだ。敬意ってやつだぜ?」
「敬意、とは?」
「おまえは俺に親父のことを教えてくれた。たとえそれが、親父の命令だったとしてもだ。そういう意味でだよ。そして、俺が何を言いたいか、わかってくれっかな?」
「……おまえに、南……ベットしろ、と?」
「強制じゃねえ、もちろんな。でも、もしその気があるなら、好きなタイミングでいい。俺についちゃあくれねえか?」
「なるほど、さすがは閣下の血脈だ……正直言って、おまえという男をなめていたよ」
「よしてくれよ。だがな、本当にいつでもいいんだ、俺の舟に乗るのはな?」
「泥舟、には見えないな、とうてい……このオーラのように伝わってくる力強さ……そして、感じる……南、おまえの力は、まだまだこんなものじゃない。その気になれば、いくらでも強くなる、と……」
「さすがは氷潟、こういうことには理解が深いよな」
「いざというときは、いつでも切るぜ?」
「それでいい。いや、むしろそれがいい。その緊張感が俺をもっと興奮させて、もっともっと強くしてくれそうなんだ」
「……」
氷潟夕真は感じた。
この世の何者よりもおそろしい存在だと思っていた総帥。
しかしいま、その存在感が幾分か、かすんできている。
それが意味することは、すなわち……
「屈辱だぜ、南? だが、震えが止まらない……歓喜ってやつか。くやしさなんか消え失せちまうくらい、俺は打ち震えてるんだ。どう思う? 俺はいま、おまえの前にひれ伏したくてしかたがない」
「いいって、そんなの。だが、いざってときには俺に力を貸してほしいんだ。俺はそれくらいおまえを、氷潟夕真ってえ男をかってるんだぜ? 最強の戦士としてな」
震えた。
体の奥底から何かがわきあがってくる。
叫びたいくらいだ。
なんだ、この感覚は?
認められた。
最強のあるじに、最強の従者として。
そんな感覚だ。
「……」
ひざをついていた。
彼の意思とは関係なく。
いや、無意識が平伏したのか……
「忠誠を誓うぜ? 未来の総帥閣下」
見上げるその表情に、南柾樹は満足した。
そして自分も姿勢を落とし、毅然として目線を合わせる。
「氷潟、約束する。俺はおまえを、必ず天国へ連れて行ってやる……!」
「お……」
もう、押さえつけられない。
「おおおおおおおおおおっ――!」
獅子は咆哮した。
かくしてのちの帝王は、着実に栄光への道を歩みはじめた。
いや、このときもうすでになっていたのだ。
南柾樹という男の精神は、すなわち帝王へと――