「なんですって、われわれに……!? ディオティマを国外逃亡させるための手助けをしろと……!?」
アメリカ大使館。
ゲストルームの一角に座るディアフローネ・ナイトリンガー子爵夫人は、唾を吐きながらキセルを握りしめた。
「そのとおりです」
上座の駐日アメリカ大使ヴィンセント・クラッドは、すました表情で軽々と返答した。
「シルヴィオ・マクガイナー大総統としても、同じグラン・グリモア内でのいざこざだけは避けたいところなのです。そこで、われらアメリカがその仲裁に入るという形になったという流れなわけですね」
クラッド大使の横に立つFBI長官ジェイムズ・ギャリクソンは、葉巻をプカプカとくゆらせながらこめかみをさすった。
「ですね、じゃないわよ! どうしてグリモアとは無関係な、しかもあのいまいましい魔女を助けなければならないわけ!? 納得のいく説明をしてちょうだい!」
ナイトリンガー子爵夫人は、いよいよヒステリックに叫んだ。
「落ち着きなさい、ディアフローネ。それほどにディオティマが、世界中の同胞にとって重要な存在だということよ。数百年前ならいざ知らずね」
対面に座るベアトリックス・センティミリオン駐日英国大使がなだめる。
「おだまり、ベアトリックス! あなたにとっても腹立たしいはず! あのときにディオティマがわたしたちにした仕打ちを、まさか忘れたとでも!?」
「そうじゃないわ、ディアフローネ。わたしはいま、とても合理的に判断をしているのよ。ディオティマの影響力はいまや、無視することなど不可能。何せ彼女は、世界の富を支配する組織・大ユダヤ会をもパトロンとして利用している。もしディオティマの身に何かあれば、いったい世界がどうなってしまうのか、それがわからないほど愚かなあなたではないでしょう?」
「ぐ、ぬ……」
クラッド大使が悠々と紅茶をすする。
「これはわれらが合衆国、マーガレット・ミンクス大統領の勅命でもあるのです。ここはどうか、ミス・プレジデントの顔を立ててくださるとありがたいのですが」
「はらわたが煮えくり返るわね、ディオティマといい、ヴィンス、あなたの態度といいね」
「これがわたしの性分なもので。気に障ったのでしたら申し訳ない次第です」
「ふん」
子爵夫人は腕組みをしてふんぞり返った。
「ここは冷静になるべきよ、ディアフローネ。まかり間違ってディオティマを見殺しにしたとなれば、グリモアのマクガイナー大総統、大ユダヤ会のヴィクトリア・カー……それだけじゃない、マスターズ・コネクションのマスター
センティミリオン大使は仇敵に遠慮しながら語りかけた。
「うんざりすることね……ベアトリックス、このこと、エドワードやローレンス・ダースグレイブ総統は知ってのことなの?」
「もちろん、クロック・タワーの承諾は得ているわ。あなたのほうは?」
「
彼女はやっとのことで、状況を受け入れることにした。
「やれやれ、平穏裏にことが運んでよかったです。では両夫人、どうかお力添えをお願いいたしますよ?」
クラッド大使がニコニコとほほえむ。
「あなたのためじゃないからね、ヴィンス?」
「けっこうですよ、ふふっ」
こうして話はまとまった。
「あわよくば、
ギャリクソン長官は葉巻をふかしながらつぶやいた。
「したたかね、アメリカも。仮にも同盟国なのに」
ベアトリックス大使が受けて告げる。
「中国の
クラッド大使がほほえんだ。
「
ナイトリンガー子爵夫人がうなだれる。
「きなくさい情勢ですな。これはいよいよ……」
「長官、あまりセンシティブな話題は」
ギャリクソン長官の言葉を、クラッド大使がさえぎった。
「ま、なるようになるでしょう。大事なのは、流れに逆らわないことです。水のようにね。テイク・イット・イージーで行きましょう」
このように笑った。
「アメリカ人のノリには、ついていけないわね」
ナイトリンガー子爵夫人は、むすっとしてキセルをふかした。
ウツロたちの知らないところで、世界は動き出していたのである。