夜九時。私は再び白幻堂を訪れていた。夜ご飯を食べるために。
「店長、まかないをいただけませんか」
今日の夜は誰も人が来ないはずと聞いていたので遠慮せず店の中へ入っていく。
「マユミさん、お客様の前ですよ」
「すみません。あれ、でも今日の夜はお客様が来ないはずですよね」
慌てて店内を確認するが、人影を見つけることはできなかった。不思議に思って店長の視線を追うとそこでは一匹の猫が優雅にグラスを傾けていた。
「むっ、なんだ新人か」
「猫が人の言葉を話してる」
驚く私を店長は面白そうに眺めていた。
「猫ではない。儂は猫又のマサムネだ。宜しく頼むぞ嬢ちゃん」
「あ、はい。よろしくお願いします」
思わず、差し出された手を握り返してしまった。
やわらかい。手から伝わる感触がマサムネさんが本物の猫なのだと確信させてくる。視線を尻尾へと向ければ確かに尾が二股に分かれゆれていた。
「マサムネくんごめんね。この子は人ではないお客様に出会った経験がないんだ」
「そういうことなら仕方ねぇな。嬢ちゃんや驚かせてすまねぇな」
「いえ、こちらこそ、その変なところを見せてしまいすみません」
私は改めて謝るがマサムネさんはどこ吹く風とばかりに豪快な笑い声と共に気にしていないことを伝えてくる。
「シラキさん、嬢ちゃんの仕事はもう終わっているんだろう」
「そうだね。今日の仕事はもう終わりだよ」
なんの話かわからずに首をかしげていると、マサムネさんは自分の隣の席を指さした後に私へ手招きをした。
「なら嬢ちゃんも一緒にどうだい」
「わ、私ですか。でも、」
働き始めたばかりの職場でしかもお客さんがいる状況。どう答えるのが正しいのかわからずそっと店長へ視線を向ける。しかし、店長は私たちのやりとりを笑顔で見守るだけで口を挟もうとしない。
「シラキさんと話ながらってのもいいんだが、たまには嬢ちゃんみたいな子と話してみてぇんだがダメかい」
私の心にスルリと入ってくるような声音を聞くと断ることは難しかった。
「それじゃあ、その、お隣失礼します」
「おう」
ニカッという音が聞こえそうな豪快な笑顔が私の緊張を和らげる。
「シラキさん、嬢ちゃんにもお勧めを頼む」
「すぐに準備するね。マサムネくんは追加で何か食べるかい」
「そうだな。軽くつまめるもんを追加でおねがいできるか」
「すぐ作るから待っててね」
店長が調理をするために私たちの前から離れる。
店長にこんな気軽に話せるなんて珍しい。いつもと変わらない店長とは対照的に珍しい印象を与えるマサムネさんに対し、猫又であることは別として私は新鮮さを感じていた。長い付き合いの國春さんですらこんな雰囲気になることはなかったはずだからどんな付き合いなのだろう。ほんの少し二人の関係性が気になっていた。
でも、店長にきけないよね。店長に気後れしてしまっった私は、胸の内に湧いたそんな疑問から気づけばもう一人の当事者であるマサムネさんの顔をじっと眺めていた。
「嬢ちゃん、そんなに見られるといくら儂でも気恥ずかしくなっちまうぜ」
「あっ、すみません。つい、その店長とマサムネさんの関係が気になってしまって」
私の質問がおかしかったのかマサムネさん一瞬キョトンとした後に豪快に笑い出した。
「いや、すまねぇな。儂にそんなことを聞くやつにゃ随分と会ってなくってな。久しぶりなもんでつい面白くなっちまったんだ」
「確かにそうかもね。前に聞かれたのっていつだったかな」
料理を持って戻ってきたシラキさんが私たちそれぞれに差し出す。私のはオムライスとスープでマサムネさんのは何かの和え物のようだ。
「あれは確か、黒船が来た頃だっけか」
「それよりも前だったかな。確か江戸幕府ができて少しした頃じゃないかな」
「そうだっけかな~」
いつから知り合いなんだろう。少なくとも百年や二百年じゃきかないくらい前の話を淡々とする二人にそんな疑問が頭をよぎる。江戸幕府って四百年以上前にできたんだよね。その頃には知り合いだったんなら二人とも何歳なのだろう。
「確か正吉くんに言われたんじゃなかったかな」
「そうだったな。正吉はあの頃にしては珍しく夜までいるやつだったな。おっといけねえ、嬢ちゃんの質問は儂とシラキさんの関係だったな。シラキさんは儂がいつもお世話になっている方だな」
「ふふふ、そうかしこまらなくてもいいよ。マサムネくんたちももう少し気楽に接してくれてもいいんだけどね」
「そんなことはできねぇよ。儂も他の奴らもシラキさんには恩が十分すぎるほどあるし、それに雰囲気がな」
最後の言葉に思わず納得してしまう。言動からはあまり感じられないはずなのに何故かシラキさんからは厳かな雰囲気が漂っているように感じてしまう。だからだろう。ついマサムネさんの言葉に頷いてしまった。
「嬢ちゃんもそう感じているみたいだな。シラキさんには何故か頭が上がんねぇんだよな」
「マサムネくんは頻繁に来てくれるのだから、気にしなくてもいいと思うのだけどね」
「えっ、他にもマサムネさんみたいな方がたくさんこの店に来るんですか」
「そうだね。他にも居るね。雪女とかぬらりひょんとか河童に座敷童、小豆洗いに天狗、他の存在も訪ねてくるね」
次々と挙がる名前や知っている妖怪を頭に浮かべていく。妖怪たちが集まった白幻堂を想像し身震いしてしまう。
「恐れることはねえよ嬢ちゃん。皆気のいい奴らだからもし会っても取って食われたりなんかしねえよ」
「そうだね。それにマサムネくん以外は決まった時期とか十年に一度とかしか来ないしね」
「まあ、儂も土産を届に来ているからこんな頻繁に来てるんだがな」
「お土産ですか」
「おう、こいつだな」
マサムネさんが指した先には大きな綺麗な狐の尻尾が置かれていた。
「もしかして、このお店の尻尾って全部マサムネさんが持ってきたんですか」
この店にあるたくさんの尻尾を思い出しながらついそんな言葉が口からこぼれた。新しい尻尾が気になりそっと手を伸ばす。同時に今まで見てきた数々の尻尾を持ってくるマサムネさんの様子を思い浮かべてしまった。
「それは違うね。マサムネくんが尻尾を持ってくるのはたまにだからね。それにマサムネくんが持ってきた尻尾はきちんと保管してあるから店で使ったことはないよ」
「そうなんですね」
店長の迫力に少し気圧される。
そんなに大事なのかな。お土産だという尻尾に伸ばしていた手をそっと引っ込めた。
「ところでマサムネさんって色々なところによく行かれるんですか」
「そうだな。最近は外国にもよく行くようになったな。昔みたいに鳥や一反木綿たちに頼らなくても移動できるようになったのはありがたいな」
「昔はたまに鳥ごと店に突っ込んでいたからね」
見てみたかった。大きな鳥に乗って空を飛ぶマサムネさんを想像するとその姿に興味を惹かれた。隣に座るマサムネさんの様子からきっと様になるのだろうと思うとそんな光景を見ていたであろう店長が羨ましく思える。
「あのときは本当に迷惑をかけてすまなかった。あれ以降、多少離れた位置に降りるように気をつけているんだ」
「弁償代も払ってくれたから気にしなくていいよ。まあ、もう一度同じ事を行ったらどうなるかはわかっているようだしね」
一瞬、シラキさんの後ろに修羅が見えたように感じた。驚いてもう一度見てみるとそんな雰囲気を微塵も感じさせない笑顔を浮かべていた。
見間違いかな。そう思ったが、マサムネさんが青い顔をしている様子を見た瞬間事実だと理解してしまった。このとき私はシラキさんを怒らせないようにしようと密かに心に決めたのだった。
「今は、鳥たちに頼む時もしっかり休ませるようにしてるからな。もう二度と同じ事は起こさないつもりだ」
「その言葉、信じておくよ」
「おう。嬢ちゃん、変なところを見せちまったな。わびといっちゃなんだが、聞きたいことがあったら何でも聞いてくれ」
「え、いいんですか」
二人の話を聞いていて気になることがいくつもあった私はつい身を乗り出してしまった。
「それじゃあ、妖怪のお客さんについて聞きたいです」
先ほどから何回か話題に挙がっていた妖怪たち。私が知っている名前がいくつも出てきたが、店長からそんな話を聞いたことはなく、まだ数人しか会っていないお客さんからも見たという話を聞いたことはなかった。
「妖怪はね。昔はよく来てくれてんだけどね、最近は居住地が決まった子が増えたから白幻堂に来る妖怪は減っているんだよね」
「そうなんですか」
マサムネさんが外国に頻繁に行くようになったと話していたのでてっきり色々な地域の妖怪が頻繁に訪れているのかと思っていた。
「七不思議の奴らとかだな。あいつら一度決めると当分動けないからな」
「そうだね。ただ、最近は学校の建て替えや廃校とかで引っ越しする妖怪も多いらしいよ」
「ほう、それなら久しぶりに日本巡りしながら会いに行くのもいいかもしれねえな」
二人の話にふと疑問が湧く。
「七不思議って昔から居る妖怪なんですか」
学校ができてから生まれた妖怪ばかりだと思っていただけに昔からいるというのは違和感を覚えた。
「七不思議として最近生まれた妖怪もいるよ。それ以外に昔からの妖怪が七不思議になっていることもあるね」
「元から七不思議をやってたやつが学校に移動したり、野良妖怪が住処を求めて居住したら七不思議になってたりするな」
「七不思議が元となって妖怪になった子は大抵伝聞そのままの妖怪が多いけど外からやってきた妖怪は伝聞の七不思議と異なる現象を起こすこともあるしね」
てっきり七不思議は学校で新たに生まれた存在ばかりだと思っていただけに意外な七不思議事情に私は目を白黒させる。確かに学校や地域によって七不思議の中身が変わったり似たものでも細部が違うのは少し気になっていた。伝聞による変化かと思っていたら、実は七不思議を行う妖怪の違いによるものだとは思わなかった。
次々と出てくる二人の妖怪話を尻目に夜はどんどん更けていく。