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6月3日 白鳥の憂鬱

 中間テスト一日目。

 今回は単純な到達度テストということもあって、範囲は大したことはない。

 とは言っても高校の授業には連続性というものがあって、一年や二年の内容を理解していないと、口に出して言うほど簡単なテストだとも言い切れなくなってしまう。


 例えばユリみたいなやつが「今回のテストは頑張るぞ!」と言って、実際に頑張ったけど、思ったように点数が取れなくて落ち込む――なんていうのはそのせいだ。

 そういう人は「テストを頑張る=一年生の分から復習する」くらいの心持ちで、ぜひ頑張ってもらいたい。


 そんなテスト期間のお昼の購買は少々混雑する。

 普段は学食を使うような人でも、お昼も多少なり勉強時間に当てるべく、机で手軽に食べられるパンやら携行食やらを求めて押し寄せる。

 だから私は、この時期だけは逆に学食に向かう。

 流石のサバサンドも、腹を空かせて見境がなくなった猛獣たちの前では、ひとたまりもない。


 そうは言っても学食も全く混んでないというわけではなく、まあ、いつもよりはマシというくらい。

 少なくとも席が空くのを待つ必要はないかな……というレベルの混雑具合で、ギチギチに詰まっていることに変わりはない。


 私はカウンターで注文したカレーを受け取ると、空いてる席を探して視線を巡らせた。

 今日はひとりだし、どこか一席空いていればいいのだけれど……と思ったら、見覚えのある顔と目がばっちり合った。


「座る?」


 彼女――須和白羽さんは、相変わらず抑揚のない端的な言葉で、自分の隣の空いた椅子をひく。

 流石にそこまでされて「座らない」と断る度胸は私にはなく、警戒しながら席に着く。


「カレー」

「うん、カレーだけど……」

「今日はサフランライスでラッキー」

「え……ああ、スワンちゃんも食べてたのね」


 当たり前のようにスワンちゃんなんて呼んでしまって、はっとして須和さんの顔を見る。

 彼女はサフランライスのカレーを口に運んでから、不思議そうに首をかしげていた。


「何?」

「いや、急にあだ名で呼んじゃったから、嫌だったかなと思って」


 須和さんで白い羽だからスワンちゃん。

 何かこじつけっぽくも感じるけど、たいていクラスにひとりはそういう名づけ師がいるものだ。

 ユリやアヤセだって、そういう意味ではあまり大差はない。


「嫌いじゃないよ」

「スワンちゃんが?」

「醜いアヒルの子とか好き」

「はあ」


 よく分からないけど、合わせるように頷き返す。

 醜いアヒルの子って、あれか、童話の。

 アヒルの群れの中に、似ても似つかない汚らしいヒヨコが混じっていて、でも実は白鳥の子供が紛れてただけでしたー、みたいなやつ。


 かいつまんだつもりが、すごく頭の悪い説明みたいになってしまった。

 世界名作劇場に怒られる。


「食べないの?」

「お腹ペコペコです」


 私は、口をつける機会をすっかり失っていたカレーと向き合う。

 具はほとんど溶けたのか、それともそもそも入っていないのか。

 かろうじて原型をとどめる角切りの豚肉がいくつか見えるほかは、まっさらなルーのみのカレー。

 見た目はチープだけど、これがまたどうしてか美味しいというのが、学食カレーの不思議なところだ。

 須和さん――スワンちゃんいわく「ラッキー」なサフランライスとの愛称は抜群である。

 米が白から黄色に変わるだけで、一気にインドの香りが増すものだ。


「カレーライス」


 スワンちゃんがぽつりとつぶやく。


「インドカレー」

「どうかした?」

「別の食べ物だって私は思ってる」

「ああ……なんとなく、言わんとしてることは分かるけど」


 この場合のカレーライスとは、たぶんご家庭で食べるようなやつとか、洋食屋て食べるホテルカレーみたいなもの。

 荒波に耐えられるようにとろみをつけた、海軍式が今の主流だ。


 一方のインドカレーはナンとかつけて食べるあれ。

 日本にある店舗だとなじみ深いようにとろみをつけられているものもあるけど、基本的にはスパイスだけでさらさら。


「カレーライスとインドカレーを食べたい時って、それぞれ別の気分だよね」

「そういうこと」


 スワンちゃんは静かに頷いて、それからもう一度カレーを口に運んだ。


「それと同じ」

「何が?」

「ビッグバンドじゃなくて、ブラスバンド」

「……ごめん、話が見えない」

「宍戸さんの調子はどう?」


 ああ、それのこと。

 私は紙ナプキンで唇を軽くぬぐってから、お水で口の中のスパイスを飲み込む。


「元気だよ。今は生徒会とお料理に打ち込んでる」

「そう」


 調子はどう、と聞かれたから単純に最近の彼女の様子を伝えてみたけど、どうやらそれで合っていたようだ。


「あれから、特に強引な勧誘とかはしてないみたいで。ありがとう」

「強引なつもりはなかったけど」


 いやいや、十分強引な気がしたけど……彼女にとっては、あらゆる面において、基準となる「最低値」が軒並み高いのかもしれない。

 部活に対しても、対人関係に対していも。


「それに、私が言うべきことはもう言ったし、彼女の胸の内も見た」

「それって……どういうこと?」


 もしかして、職員玄関でのやり取りを見てたとか?

 なんだか含みのある言い方だけど、穂波ちゃんよりも強力な、能面みたいなポーカーフェイスのままでは、真意を確かめるも何もなかった。


「宍戸さんも、そのうちわかる」

「何を?」

「音楽はするんじゃなくて、どうしようもなくさせられるものだって」

「誰かに強制されるってこと?」

「そうじゃない。強制するのは自分自身と、自分の中の音楽」

「ごめん、よくわかんない」

「これは予言だよ」


 やっぱり、よく分からなかった。

 きっとこれが、芸術的素養ゼロの私の限界だ。


 いつの間にかカレーを食べ終わった須和さんは、トレーの上の食器を整えて、席を立つ。

 そしてトレーを持ち上げる代わりに、一枚のチケットを机の上に置いた。


「あげる」


 その言葉に釣られてチケットを見ると、飾り気のない明朝体で『南高校吹奏楽部第63期定期演奏会』と書かれていた。

 期日は今月の一二日――って来週末か。


「それ一枚で五人まで入れる特別券だから」

「宍戸さんを連れてこいってこと?」

「好きにして」


 そう言って彼女は席を離れていった。

 けど、去り際に思い出したように私のことを振り返る。


「〝それ〟は、私の演奏を気にいってくれたお礼」


 そう語る彼女は、やっぱり何か含んだような、不敵な笑みを浮かべて去って行った。

 もしくは本当に能面みたいに、顔の角度で笑ってるようにも見えただけなのかもしれない。


 お礼、と言われたら邪険にすることもできず。

 私は目の前のチケットを、とりあえず財布のお札を入れるところに忍ばせた。


 その日の夕方。

 生徒会室をていのいい自習室代わりにして勉強していると、スマホにメッセージが入る。


――ベストエイト残りました。


 穂波ちゃんからの、大会結果速報だった。

 少し遅れて、同じように勉強していた宍戸さんのケータイも鈍く振動する。

 彼女はそれを開いて、おそらくメールを確認すると、ぱっと笑顔になって私のことを見た。


「穂波さん、やったみたいですね」

「明日、応援に行こうか」

「はい」


 心なしかうきうきしながら頷く彼女に、私もほんのりと笑顔を浮かべて返す。

 あまり気は進まない……けど、私はこれを見届けなければいけないような気がする。

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