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6月14日 私の恋の在り方

 体調管理の話をした後は、だいたい言った本人が風邪をひいてオチをつけるものだけど、残念ながら体調管理はしっかりしているつもりなので、今日も健康な一日をお届けします。


 今日は生徒会の集まりもなく、放課後の生徒会室はひとりきりの自習室となっている。

 景色に飽きたら図書館に行けばいいし、なんなら教室だっていい。

 部活動の喧騒も、遠巻きに聞けば程よい環境音だ。

 学校という場所は、こと勉強をする環境にはことかかない。

 それが学生の本分だろうし、当たり前と言えば当たり前だけれど。


 なんてことを考えていると、ノックと共に部屋のドアがゆっくりと開いた。

 顔を出したのは宍戸さんだった。


「こんにちわ……」

「お疲れ様。風邪だって聞いたけど、大丈夫?」

「あ……はい。昨日お休みをいただいて、元気になりました」

「そう、ならよかった」


 彼女は後ろ手でドアを閉めると、ちらちらと辺りを見渡す。


「今日は、星先輩だけですか……?」

「ああ、うん。生徒会の集まりはないから、今日はみんな部活なりなんなりに行ってるはず」

「そう、ですか」

「宍戸さんも、病み上がりだし無理しないでいいよ。今日は仕事もないし……」


 そう口にしてみたものの、宍戸さんはなんだか落ち着かない様子で心なしかびくついていた。

 なんだか、初めてここに来たときの彼女みたいだった。


「何かあった?」


 問いかけると、彼女は首を横に振りかけて、それから縋るように私を見た。


「先輩……相談、良いですか?」


 その言葉に、ちょっとだけ面食らってしまう。

 初めのころよりはずいぶんと心を開いてくれているようには思っていたけど、まさか真正面からそんなこと言われるなんて思ってもみなかった。

 こっちのほうが気後れしてしまって、生唾を飲み込む。


「私で力になれるのかわかんないけど……とりあえずお茶でも淹れようか?」


 宍戸さんは無言で頷く。

 それを見届けて、私は開いていたノートと教科書を閉じた。


 しばらくして、ふたり分のお茶を準備した私は、長机を挟んで向かいに座る。


 湯呑を差し出すと、宍戸さんは小さくお辞儀をして受け取ってくれた。


「で、相談ってのは?」


 私の言葉に、彼女はためらいがちに息をつく。

 自分の中でも何か煮え切っていないような、そんな雰囲気。

 そりゃ迷いがあるから相談するんだろうけど、でもそういんじゃなくって。

 なんていうか、相談することをためらってるように感じられた。


「もしかして、吹奏楽部のこと?」

「そ、それもあるにはあるんですが……日曜日、誘ってくれてありがとうございました」


 宍戸さんが、ほんのり笑顔を浮かべる。


「決心は……まだ、つけられないけど、やっぱり音楽って素敵だなって。演奏会に行って、そう思いました」

「そう」


 連れて行って良かっった……ってことで良いのかな。

 少なくとも、チケットを貰った責任は果たせたのかもしれない。

 須和さんもあの時は演奏会に集中していて、あんなことを言っていたけど、本心ではそうなることを望んで私に託したんだろうなと、勝手にそう思っている。


「でも……相談ってのは、そのことじゃなくって」


 そう前置いて、彼女はお茶に口をつけた。

 緊張しているのか、舌をちょっと火傷したみたいで、びくりと肩を揺らして顔をしかめる。


「大丈夫?」

「だ、大丈夫……れす」


 そんな舌足らずで返されたら、とても大丈夫そうに見えないけど。

 彼女は涙目になりながら、それでも気合を入れるみたいに顔をぶるぶると振って、湯呑をぎゅっと握りしめた。


「わたし……好きな人がいるんです!」

「……はい?」


 突拍子のない告白に、面食らってしまったのは私のほうだった。

 虚を突かれたの半分……いや、ほとんど全部。

 思わず低く威嚇するような声になってしまって、咳ばらいでごまかす。


「それは、おめでとう……でいいのかな」

「どう……なんですかね」

「ごめん。とんとそういうのに無縁の生活をしてきたから、上手く反応できなかった」


 そういうキラキラした、コイバナってやつ。

 まったくないわけじゃないけど、その一回はまったく参考にならないものと思っている。


「でも、なんで私に? 見ての通り、たぶんなんの知恵も授けられないけど」

「それは、その……」


 彼女は、もごもごと口ごもる。

 彼女がこれから何を言おうとしているのか、何となくだけど分かるような気がした。

 さっきからうるさいくらいの胸の高鳴りは、たぶん女のカンというやつ。

 それは往々にして良くないもの。


「星先輩が……一番、仲が良いと思って」

「アヤセのこと?」

「違います! ユ……ユリ先輩です!」


 だろうね。

 分かっていてとぼけてしまったのは、私自身も気が気でなくて。

 多少なり覚悟はしていたつもりなのに、いざ耳にするとはぐらかしてしまいたくなる。

 私に来るコイバナって、なんでこんなんばっかりなんだ。

 全く関係ない他人のことなら、クラスの連中と同じみたいにキャーキャー楽しめるかもしれないのに。


「変……ですかね」


 宍戸さんは、心配そうに目を伏せる。

 こんな相談をしてくれるってことは、どれだけ私を信頼してくれているのか……流石の私でも理解できる。

 それに応えられるのかはまた別の問題としても、信頼自体は無碍にはしたくない。


「変じゃないよ。まったく」

「……よかった、です」


 頷いて、彼女はちょっぴり頬を染めた。

 いつか私に「好きな人ができた」と相談してきたユリの姿が重なって、ぐっと胸が締め付けられる。


「昔、似たような相談されたことあるよ。だから変だなんて思わない。それよりも、そんなくだらない心配で好きな気持ちをなかったことにする方が、よっぽど辛いよね」


 それはかつて自分自身に言い聞かせた言葉。

 恥ずかしながらも初恋である私の心に、幾分かの迷いを生じさせたこのめんどくさい感情に、十分な納得を得るだけの勇気をくれた言葉。

 それを教えてくれたのが、在りし日のウチのあの姉でなければ、座右の銘として刻んでいたかもしれない。


「ありがとうございます……嬉しいです」


 そんな言葉でも、彼女の不安を取り除くことができるなら十分な価値がある。


「でも、あんなあんぽんたんヤツのどこがいいんだろ。アホだし、感情的だし、思いつきですぐ行動するし、そのくせ悪びれないし……」


 口にして、言葉の一つ一つが全部自分自身に刺さる。

 なんで好きになったんだろ。

 でも……好きなんだよな。


「そんなことないです! ユリ先輩は素敵な人です! あんぽんたんじゃなくって……どっちかと言えばアンパンマンです!」

「それはなんか……主旨がずれてない?」


 いつも元気百倍有り余ってるけどさ。


「わたしにとっては……ヒーローみたいな方なので」

「なるほど、そっちの意味ね……で、私に何をして欲しいの?」


 わざわざ打ち明けたってことは、私にしかできないことがあるってこと。

 宍戸さんは、まっすぐ私の顔を見てそれを口にする。


「ユリ先輩を……交流会にお呼びできませんか?」

「ああ……そんなこと」

「そんなこと……?」

「それならあいつ、出るって言ってたよ」

「あっ……そう、ですか」


 彼女はほっと胸をなでおろす。

 先輩と後輩じゃなかなか接点もないし、交流会でちょっとでも仲を縮めたいってことだろう。

 私も知り合いふたりが仲良くなってくれる分には嬉しいけど……そう言うことになると、ちょっと胸がざわつきもする。

 先輩として応援してあげたい、けどひとりの人間としてしたくない。

 私は、どうすればいいんだろう。


「……もうひとつ気になってるだろうから、先に言っとくけど、役員も運営の手伝いさえちゃんとしてくれたら会に参加して大丈夫だから。昨日、他のみんなともそういう話をしてたとこ」

「ほんとですか……?」

「ダブルチャンスのチケットも、くじ引きの方は生徒会も参加してOK……ってか、今思えばそれを見越してあれだけ推してたのかな」

「それは……それだけってわけじゃないですけど」


 たぶん、そうなんだろうな。

 普段の彼女からしたら不自然なくらいだったから、ちょっと気になってたんだ。

 そういうことなら――そこまでするなら、私の駆けるべき言葉は決まっているようなものだった。


「うまくいくかは分からないけど、やれるだけやってみれば。話くらいならまた聞けるから」

「はい……ありがとうございます。あ、あと、この間のハンカチ、ユリ先輩に返したくって……」

「ああ、それくらいならアイツに言っとくから、そのうち取りに行かせるよ」


 嬉しそうに彼女は微笑む。


 宍戸さんは今、私のことを優しい先輩と思っているかもしれないけど、そんなんじゃない。

 相談に来てくれたのなら、とりあえず状況を知れるように話をまとめただけ。

 彼女の信頼を裏切っての、あさましい悪知恵だと思う。

 でも好きになってしまった気持ちはなかったことにはできないから。

 私の手でそれを否定することは、自分自身の想いも否定することになってしまいそうだから。

 私はユリにそうしたように、放っておくこと……見守ることが最適解なんだって思っている。

 振り向かせようとか、そういう気持ちは一切ない。

 そもそも振り向かせようとして、振り向くようなヤツじゃないだろうし。

 それに、隣にいるだけなら、私の想いは私のものとして、いつまでもそこにあり続けるから。


 それが私の決めた、私の恋の在り方なんだ。

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