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6月15日 お礼のクッキー

 私の心は決まっている。

 決まっているけど……こうも心がモヤモヤしてしまうのは、惚れた弱みというやつなのかもしれない。

 だったら先に奪ってしまえばいいじゃないかなんて、食物連鎖の頂点に立つようなヤツの意見もあるかもしれないけど、もしこの恋がここで終わってしまったら――と思うと、私にはその一歩を踏み出すことはできない。


 恋の終わりは、私たちの関係の終わりも意味している。

 友達ですらいられなくなってしまうのならば、いずれ彼女に大切な誰かができたとしても、想いを押し殺して隣にいる未来を私は選ぶ。


 それはたぶん初恋だからこその臆病風で、結局は恋に恋する乙女なんだなと自嘲気味の笑みもこぼれる。

 もしくは、それすらも「かっこつけた狩谷星」なんだろうか。

 だとしたら、本当の自分ってやつはいったいどこにいるんだろう。


「でさー、今週も急遽合宿なの。なんかこう、バシっと揃わないんだよねー。いや、揃ってはいるんだけど、こう、心がさー」


 お昼の教室で、今日はいつもの三人で並べた机を囲む。

 ユリは投げやり気味に言いながら、ゲンコツくらいの大きさもあるおにぎりを頬張った。

 味付けはたぶんゆかりかな。

 食べかけの部分から混ぜ込まれた細切れの紫蘇が覗く。


「相変わらず合宿ばっかだなチア部は。もう寮でも建てた方早いんじゃねーの?」

「そんなカネ、ウチの学校にあるわけないでしょ。公立校だよ。校内に合宿施設があるだけでも十分だって」

「それもそうか」


 私の言葉に、アヤセは納得した様子で頷く。

 その合宿施設というのも、学食の二階の広間に煎餅布団を並べて寝るくらいのものだ。

 設備としては保育園のお昼寝ルームと大した差はない。


 それでも使いたい時にほとんど無料で使用できる合宿所があるというのは、部活勢にとってはありがたい限りのようだ。


「あれ、でも穂波とか寮なんじゃないっけ? あれは学校の設備じゃねーのか」

「穂波ちゃんの寮は民間の施設。ウチの生徒ばかりらしいから、ほとんどウチの寮みたいなもんらしいけど」


 行ったことはないけれど、何人か知り合いで入寮してるヤツなら知っている。

 穂波ちゃんみたいに通うのは厳しいところから来ている子とか、ごく少数ながら県外から来ている生徒だっている。

 女三人寄れば姦しいとよく言うので、私は遠慮願いたいけども。


 そう考えてみたら、今も女三人寄ってるか。

 どうりでいつも騒がしいわけだ。


「合宿っつったら、お前ら夏合宿どうするん?」

「三泊四日の? 当たり前に行くつもりだけど」

「あたしも行く! というかたぶん、行かないとヤバい!」


 ユリが机に身を乗り出して、泣きそうな顔で叫んだ。

 夏合宿は、三年生だけの毎年の恒例行事だ。

 夏休み中に、涼しい山のホテルを貸し切って、希望者だけで行う勉強合宿。

 学習塾なんかでよくあるそれを、学校行事としてやろうってんだから、なかなか大したものだ。


「四日間ホテルに缶詰めで勉強しかしないけど、耐えられるの?」

「うっ……」


 ユリはあからさまに嫌そうな顔をする。

 でもそれを振り払うようにぶるぶる首を振ると、拳をぎゅっと握りしめた。


「それでも……! 夏まで部活がある身としては、やるしかないわけで……!」

「血の涙を流しそうな勢いだけど」

「血も涙もあるんだよ……!」


 それ、何の答えにもなってないんだけど。

 そんなやり取りを見て、アヤセも腕を組んで唸る。


「うーん、そんなら私も行くかなあ」

「推薦なら別に行く必要ないんじゃないの?」

「仲間外れみたいで寂しいじゃんかよー! どうせみんなで夏の想い出作るんだろ!」

「たぶん、勉強の記憶しか残らないと思うけど」


 去年、姉が行った時のタイムスケジュールを見せて貰ったけど、ホントに朝から晩まで勉強ばっかりで、遊ぶような時間なんて微塵もなかったはずだ。

 夕食後に入浴と自習時間があって、その後は自由時間とはなっていたけど、たぶん疲れて寝る準備をするくらいしかできないと思う。


「別に、合宿に行くこと自体は良いことだと思うけどさ」

「だろ? よーし、じゃあ私も応募する」


 それで心を決めたのか、アヤセは満足げに頷いた。

 対するユリは、待ち受ける勉強ばっかりの日々にやきもきしていたようだけど、やがてポンと手を打って、鞄の中を漁りはじめた。


「今日はおやつがあるんだった。みんなで食べよ!」


 つい今しがたのことなんて忘れたように、ニコニコ笑顔で綺麗にラッピングされたクッキーの袋を取り出す。

 お菓子ひとつで機嫌を治せるなんて、単純なヤツ……いや、この場合は現金なヤツって言うべきなのかな。


 すると、アヤセが袋をつまみ上げて裏の成分表示を眺める。


「これ、駅前の新しくできた店のじゃん。ユリにしちゃ目ざといな」

「そうなんだ? よくわかんないけど、今朝、歌尾ちゃんに貰ったんだ」


 それってもしかして、ハンカチのお礼じゃないの。

 昨日の今日なので流石にすぐに合点がいった私は、眉をひそめてユリを見る。


「貰いものなら、ひとりで大事に食べなよ」

「大丈夫だよー。歌尾ちゃんもみんなで分けてどうぞって言ってたし」


 そう、なんだ。なら別にいいんだけど。

 でも他人の、好きな人へのプレゼントをおすそ分けしてもらうって、ちょっと抵抗がある。

 バレンタインのチョコを貰い過ぎてとか、ホワイトデーのお返しが同上とか、そういうのもあんまり。


「ほら、食べて食べてー。食べないとシケちゃうぞー」


 そういう食べ物無駄にしちゃう感じのもダメなんだけど。

 喜んでぱくつく新しいモノ好きのアヤセの隣で、仕方なく一枚つまみ上げて口に運ぶ。

 軽く噛むだけでホロホロと崩れるクッキーは、バターと一緒にほんのり塩味がきいた、ちょっぴり大人の味だった。


「そう言えば、交流会よろしくお願いしますっても言ってたな。歌尾ちゃんも生徒会で出るの?」

「そりゃまあ、生徒会イベントだし。人手もギリギリだし」

「準備は滞りなく進んでるから、人集めてくれよ? 蓋を開けてみたら全然いませんでしたじゃ、なんか寂しいからな」

「それなら大丈夫! たぶん、チア部はだいたいみんな参加するから! 勧誘勧誘っ」


 そう言ってユリは、楽しそうに身体を弾ませる。

 部活部活と、ほんとに飽きないなと思う。

 そうして部活のことしか考えてないうちは、私もいくらか気を揉まずにいられるのだけれど……それに忙しいこの時期に、そんなことで一喜一憂ばかりもしていられない。


 私には立場があるから、今はやるべきことに気持ちを集中したい。

 しなきゃいけない。

 ううん、するべきなんだ。

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