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6月21日 知らぬが仏

 ホームルームが終わって生徒会室へ向かおうとすると、雲類鷲さんに呼び止められた。


「おーい、狩谷。生徒会室行くならついでにこれ頼むわ」


 そう言って差し出して来たのは、学園祭の出店申請用紙だった。

 団体名クラス名と飲食物提供の有無、それに加えてクラス委員である彼女の名前と捺印がされている。


「直接BOXに入れてって言ったの覚えてる?」

「そこは同じクラスのよしみでなんとか」


 彼女は両手を顔の前であわせて拝みながら、ちらっと私の顔を覗き見る。

 本人曰く塩素焼けらしい亜麻色の長髪が、さらりと肩口から流れた。


「まあ、いいけど……てか、まだクラスの出し物決まってないでしょ」


 学園祭の出店内容に関しては昨日のホームルームで話し合いが行われたけれど、結局「これだ」という案に纏まらず、後日に持ち越しとなった。

 出店受付の締め切り自体は期末試験開け――二週間も先のことだから、そんなに焦る必要はないのだけれど。


「出し忘れんの嫌だからよ。最後の学園祭だし、ちょっとしたことでもケチつけたくねーじゃん」


 申請忘れはちょっとしたことではない気がするけど。

 彼女は見かけこそ大雑把でガサツそうながら、案外慎重派で気配りが細やかなのは私も知るところだ。

 見かけも中身も大雑把なアヤセとは大違い……なんて言うと、アヤセにカンカンに怒られそうだ。


「というか、飲食店かどうかも決まってないんじゃ」

「その辺はまあ、飲食店で申請しときゃどっちに転んでも平気だろ」

「そんな、大は小を兼ねるみたいな申請のされ方しても」


 とはいえ、締め切りギリギリまで出し物が決まらなかった団体が、そういうふわっとした感じで申請をすることはそう珍しくはないと聞いている。

 申請用紙の飲食店チェックは、事前の衛生講習を受けるかどうかの意思表示みたいなものだ。

 衛生講習を受けていない団体は飲食店を出すことができない。

 それが模擬店舗運営の認可をもらうための、県の保健所との取り決めだった。

 逆に言えば、講習は受けたけど飲食物の販売はしないというのもアリと言えばアリだ。


「なんならお化け屋敷カフェとかの合わせ技でもいいぞ」

「それだけは絶対にやめて」


 そんな雑な悪魔合体されたら私自身が学園祭の登校拒否をしかねない。


「そもそもお化け屋敷は、毎年三年理系の領分でしょ。お客の取り合いになるのが分かってて、飛び込む理由はないと思うけど」

「それもそうか。ああー、考えること多くてめんどくせーなあ。それが楽しいんだけどさ」


 そう言って彼女はスクールバッグを背負って、ひらひらと手を振る。


「そんじゃ、用紙たのむわ。あたしは部活いってきまーす」


 そして、雲類鷲さんは颯爽と去って行った。

 突き返すタイミングを失った申請書は、仕方なくそのまま生徒会室に持って行くことにする。


 生徒会室につくと、先に来ていた毒島さんが単語帳を手に席でくつろいでいた。


「遅かったですね。掃除当番でしたっけ」

「いや、雲類鷲さんからこれ押し付けられてた」


 手に持ったままの申請書をひらひらなびかせて見せると、毒島さんは「ああ」と納得した様子で頷く。


「結局、何するんでしょうね、ウチのクラスは」

「決まってないのに申請書渡されたことに関してはツッコんでくれないのね」

「そんな、意味のないツッコミしてどうするんですか」


 それはそうだけど、そんなバッサリ切り捨てなくたって。

 一抹の寂しさを覚えつつ、忘れないうちに申請書をBOXに投函する。

 これで役目は果された。

 私は自分の席に腰かけてひと息つく。


「お茶でも淹れましょうか?」

「いや、今日は長居しないつもりだからいいよ」


 毒島さんの申し出を私は軽く手を振って断る。

 今日は本当に、ちょっと寄っただけだし。

 生徒会の仕事もないので長居をする理由はない。

 模試に備えて勉強して行っても良いかなとも思ったけれど、今日のモチベーションはもっぱら自宅学習だ。

 アヤセに貰ったアロマディフューザーが思ったより楽しくて、はやく帰って別の香りも試してみたいというのが理由の大半だけど。


「毒島さん、残るなら鍵預けるけど」

「いえ、会長が帰るなら、そのタイミングで私も帰ります」

「ああ、そう」


 それならなおさらお茶を淹れてもわらなくってよかった。

 あと十五分ほどダラけて、特に来客がなければ帰ろう。

 学園祭関連の用事がある生徒が来るかもしれないし。


「そう言えば、風の噂で聞いたんですが」

「うん?」

「昨日、学校でステーキを焼いてた非常識な生徒がいたそうですね」

「ああ……」


 突然なんのことかと思ったけど、心当たりがありすぎて、私はふいと視線を逸らす。


「ベランダで焼いてたそうですけど、結局最後は教室に持ち込んだせいで、今朝になっても匂いが残ってたそうですよ」

「そうなんだ……ちなみに、どうなったのそれ」

「教室中に8×4まき散らしたらなんとかなったそうです」

「8×4でどうにかなるものなの?」

「というより、その場にあった消臭スプレーがそれしかなかったそうで」

「そりゃ、みんな持ってるだろうね」


 女子高生にとってみれば、これからの時期の必需品だ。

 忘れた日には、学校を抜け出して近場のコンビニに走る人もいるくらい。

 クラスによっては共有用の缶を一本、教室のどこかに設置してるようなとこもある。


「どうせユリさんでしょう?」

「ご明察です」


 隠す理由も意味もないので、正直に白状する。

 ベランダに出させたとはいえ、GOサインを出したのも私だし。


「学園祭前に問題になるようなことは止めるように言っといてください。何かあって、校内火気厳禁なんてことになったらみんなが困るんですから」

「それはそうだね。口酸っぱく言っとく」


 そう返事はするけれど、私だってある程度ユリの行動には信用を置いているわけで。

 こと料理に関しては、まあ危ないポカをやらかすことはないだろうと私なりに判断してのことではある。

 それでも軽率だったのは確かなので、大人しく反省しておこう。


「そもそも、なんでそんな状況になったんです?」

「それは、なんていうか……彼女なりに私の誕生日を祝ってくれようとしてというか」

「え?」


 短い返事といっしょに、毒島さんが口を開けたまま固まった。

 そのまま視線だけぐるりと生徒会室の中を一周して、もう一度私のことを見る。


「誰が、誰の誕生日を祝おうとしてって?」

「ユリが、私の、だけど?」


 聞かれたことに対して、素直にそう答える。

 すると毒島さんはわなわなと身体を震わせながら、ゆっくりと大きく目を見開いた。


「会長、誕生日だったんですか? 私、それ、知らないんですが……!?」

「そりゃ、まあ、話題になったこともないし」


 自分の誕生日なんてそうそう他人に話すことでもない。

 なんだか「祝ってくれ」って催促してるみたいでカッコわるいし、お誕生日ムードっていうのも自分のことになるとこっぱずかしい感じがあるし。


「私、先に帰ります。戸締りお願いします」


 毒島さんは、慌てて帰り支度を整えて、一目散に部屋を飛び出していった。

 お願いされなくたって、戸締りは私の仕事だからいいけど。

 取り残されてひとりになった私は、のんびりと帰り支度を整える。

 頭の中で、今日はどのアロマにしてみようか。

 もしくは混ぜてみるのも良いな、なんて考えながら。

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