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6月26日 白鳥の計

 日曜日だというのに、私は真昼間から昇降口の木陰に座ってぼんやり空を眺めていた。

 いつものように梅雨が来る前にあけてしまったような曇り空。

 カンカン照りで熱いよりはいいけれど、自分の胸の内を見透かされてるみたいで嫌になる。


「おまたせ」


 背後、それも頭上から声が降ってきて、私は仰け反るように上を向いた。

 ずんと見上げるようになった須和さんの表情に、これ以上ない存在感と威圧感を感じる。

 息を突けば魂まで抜けてしまいそうだったので、私は歯を食いしばって笑顔を浮かべた。


「そんなに待ってないから大丈夫」


 立ち上がって、スカートに着いた砂を払う。

 同じ目線になれば、そこにあるのはいつもの彼女の仏頂面だけだ。


 須和さんは、私の顔から足の先までを、じっくり品定めするように見渡す。


「制服」

「うん」

「着替えてからでも良かったのに」

「午前中は部活だって言ってたから、面倒かなと思って」

「そんなことない」


 最初のころに比べれば、会話もはず――んでるわけではないけど、言葉のキャッチボールも多少はスムーズになったと思う。

 基本的に彼女は必要なことしか喋らない。

 だから、こっちもそれに合わせてやればいいだけのこと。


「それに私、制服好きだから」


 嘘ではないけど、理由はそれだけじゃない。

 何を着て行こうか迷った時のベストアンサー。

 女子高生のドレスコード。

 昨晩の憂いはひとつ、簡単に断つことができた。


 須和さんは私から視線を外して、代わりに自分の身体を見下ろす。

 私と同じ、涼やかな夏のセーラー服に身を包んだ、でも私よりはいくらか艶やかなセーラー服姿だ。


「嫌だった?」


 尋ねると、彼女はゆっくりと首を横に振る。


「私も好き」

「そう、なら良かった」

「それで」


 須和さんの視線が、改めて私に向かう。


「どこ行くの?」

「スワンちゃん、移動手段は?」

「自転車」

「なら同じ。行こうか」


 頷き返してくれたたのを確認して、ふたりで並んで駐輪場の方へと向かう。

 途中、すれ違ったジャージ姿の生徒たちが、こっちを見ながら黄色い声をあげたような気がした。


 そうして、ちょっと湿っぽい風を突っ切ってやってきたのがここ。

 私の元バイト先。

 なんていうかこう、結局、ホーム的なところに連れ込んだ方がいろいろ楽なのではないだろうかって、私の脳みそはそういう判断を下したというわけだ。


「うわぁ、狩谷さん、お店に来るのは久しぶり~!」


 注文カウンターに来るなり、天野さんが嬉々としてレジに立つ。

 まあそうなるよなとは思っていたけど、今はこういうウザ絡みは非常にありがたい。


「というより、制服着てるの初めて見た~。かわいい~。隣の子はお友達? うわぁ、すっごい美人さん~」


 機関銃みたいな矢継ぎ早のトークは捨て置いて、メニュー表に目を落とす。


「特典の資金はあるから、好きなの頼んでもらって大丈夫だよ。私はサラダラップとアイスのチャイティーラテで」

「キッシュとソイラテ。ホット」

「ホットで良いの?」

「冷たい飲み物は苦手」

「そうなんだ。じゃあ、それで」

「はいは~い」


 天野さんは流石の慣れた手つきでレジを済ませると、そのまま自らドリンク作りに向かう。

 私は受け取ったレシートを手に、受け取りカウンターの前でしばらく待つことになった。


「知り合い?」

「昔働いてたバイト先」

「知らなかった」


 昔と言っても、辞めたのはついこの間だけど。


「何度か来たことはある」

「じゃあ、奇跡的に会ったことないのかも」

「残念」

「それは、どういう意味で?」

「制服姿」

「見たかったってこと?」

「少しは」


 少しって……また中途半端に反応に困るやつだ。

 でも、そう言えばさっき「制服が好き」って言っていたっけ。あれってもしかして……。


「もしかして、セーラー服だけじゃなくって、単純に制服が好きなの?」


 須和さんは、小さく頷いた。


「好き」

「ああ、そうなんだ」


 意外、と言っていいんだろうか。

 そもそも制服が好きって人間にそんなに会ったことがないから分からないけれど。


「仕事に合わせた機能美がある」

「たしかに精錬はされてるだろうね」

「それに、制服は立場を与えてくれるから」

「立場?」

「今の私には、女子高生という立場がある」

「なるほど」


 頷いてはみたものの、内心ではよく分かってない。

 たまにこういう「よく分かんないけど深そうなこと」を言うけど、これは話を広げてあげた方がいいんだろうか。

 小っそり顔色を伺ってみたけど、そこにはいつもの綺麗な無表情があるだけだった。

 会話はできても、何を考えているかは相変わらず分からない。


「それではごゆっくり~」


 天野さんのいい笑顔に見送られて、それぞれの品を手に席に着く。

 やっぱりここを選んだのは失敗だったかな。

 椅子に腰かけた瞬間、どっと疲れが出たような気がする。


 ひとまずお腹が減ったので、無言でサラダラップにかぶりついた。

 この手の食べ物ってブリトーとかいろいろ名前があるけど、結局どれが正しい名前なのかはよくわからない。

 それぞれに定義はあるんだろうけど、ちゃんとそれに則ってる商品はどれだけあることか。


 それに、私はこれを主食の感覚で食べるけど、サラダの感覚で食べる人もいる。

 サラダラップだから気持ちは分かるけど……それくらい、存在意義から曖昧な食べ物ということなんだろう。 


「キッシュだけで足りる?」

「お昼はあまり食べないから」


 そう言って須和さんは、小さな口にフォークを運んだ。

 悔しいけど、それだけで絵になるな。

 いつの間にか曇り空に晴れ間が覗いていて、彼女の傍らに光が差してるし……イケメンには謎の風が吹くと言うけど、同じくらい美女には謎の光が差す。


「迷惑だった?」

「え?」


 不意に彼女がそんなことを口にして、ぼんやりしていた意識が引き戻された。


「迷惑なんてことはないけど……まあ、驚きはしたかな。なんで指名されたんだろって」

「ちょうど話があったから」

「ああ……もしかして、宍戸さんのこと?」


 すると須和さんは、首を横に振る。


「それは彼女に意志に任せてるから」

「ああ、そう」


 てっきりそのことだと思ったんだけど。

 肩透かしを食らった私に、彼女はくすりと笑みを浮かべる。


「狩谷さんは後輩想い」

「そんなんじゃないって……慣れてないだけ」

「それは私も同じ」


 そこまで言って、彼女は一度自分のカップに口をつける。

 私もつられて飲み物に口をつけると、ピリっとした生姜の刺激が喉の奥をちくちくとつつかれた。


「私はみんなに怖がられてるから、後輩には特に気を遣う」

「気を遣ってあの対応なら大したものだけど」

「気を遣うのと、正しいことをするのとは別のことだから」

「それは、分からんでもない」


 気遣いが必ずしも正しいこととは限らない。

 そこで後者を選べるのが人間としての強さだとしたら、その一方で自分が割を食うことで丸く収める人もいる。

 私は無論、後者の人間だ。

 苦労はひとりで背負ったほうが、手っ取り早いし対応も早い。

 それがもう身体に沁みついている。


「やっぱり、狩谷さんは親近感がある。だから、この機会にもう少し仲良くしてみたかったのは本当」

「まさか。スワンちゃんと私とじゃ対岸の人だよ」

「対岸の人……? よく分からないけど、面白い表現」

「うーん、納得いかねえ」


 須和さんにそれを言われると釈然としない。

 そんな気も知らないで、彼女はキッシュの最後のひとかけらを口にすると、もう一度カップに口をつけた。


「それはそうと本題」

「ああ、うん」

つづき先輩に連絡を取って欲しいのだけど」

「……うん?」


 思わず、飲み物を持ち上げかけた手が止まる。

 どうしてここでその名前が出てくるのか、理解が追いつかなかった。


「学園祭のステージに招待したい」

「それなら、吹奏楽部の連絡網とかあるでしょ」

「彼女、部活の連絡グループには入ってたけど、今の部員は誰も連絡先を知らない。私も」

「なんで、私ならって思ったの」

「狩谷さん、目を掛けられてたみたいだから」


 淡々とした物言いで、遠慮なく言ってくれる。


「もしくはお姉さん経由でも」

「いや、連絡先くらい持ってるけどさ」

「流石」


 そこ、褒められても何も嬉しくないところだよ。


「続先輩にはお世話になったから、私たちの代の演奏を聞いてもらいたい」

「……わかった」


 嫌とは言えない空気に、私は仕方なしに頷く。

 すると須和さんが、今度ははっきりと涼やかな笑顔を浮かべた。


「ありがとう」


 窓から差し込んだ光が、その佇まいと笑顔に輝きをプラスする。

 これだから美人ってのは卑怯だ。

 やっぱり私と彼女は対岸の人だと思う。


 そうしてもうひとつ。

 今さらあの人になんて連絡を取ったらいいのか。

 テーブルの傍らでスマホのメッセージアプリを立ち上げる。


 牧瀬続――真っ赤な通知バッジがついたままのその名前を一瞥して、私はスマホの画面をスリープした。

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