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6月27日 あのひと

 入浴を終えて部屋に戻った私は、長い髪の毛の先にヘアオイルを塗り込みながら今日のアロマオイルの配合を考えていた。

 誕生日にアヤセから貰ったアロマのスターターキットだったけど、宣言通りすっかりハマってしまった私は、早々にオイルの配合に手を出した。

 はじめは適当に好きな匂いを混ぜれば良いと思っていたけど、調べてみたらこれがまた、適切な配合のコツというものがあるから面白い。


 まだそこまで詳しいわけじゃないけど、アロマには大きく「トップノート」「ミドルノート」「ベースノート」の三つの分類がある。


 それぞれ香り方と香る時間に違いがあって、「トップノート」はすぐに香るけど持続時間が短い。

 主に柑橘系の香りがここにあたる。

 甘いとか、爽やかとか、香りの第一印象を決める役割がある。


 「ベースノート」は香るのに時間がかかるけど、代わりに持続時間も長い。

 樹木や土などの森の香りがここ。

 名前の通り、土台となって香り全体を支える役割がある。


 そして「ミドルノート」は香り始める時間と持続時間のバランスがいい。

 アロマと言えばすぐに思い浮かべるようなお花の香りがここ。

 アロマ全体の軸みたいなものなので、まずこれを決めてから、それに合わせるトップとベースを決めるのが定番だ。


 もちろん楽しみ方は人それぞれなので、各アロマを単品で使っても良いのだけど、三種類をバランスよく配合することで、最初から最後までまとまった香りを楽しむことができるというわけ。


 そんなことを知ったら、さっそく種類を集めてみたくなるのが人間というもので。

 昨日のデートの帰りに雑貨屋に寄って、そこにあるだけの種類を買い込んでしまった。

 半分は現実逃避の衝動買いだけど。


 もう一歩先に踏み込むと、それぞれのオイルの作用から配合する分量もコントロールして、それでその日の持ちまでコントロールできるらしい。

 残念ながら私はまだその域には達していないけど、そのうちできるようになればなと思う。


 ディフューザーの電源を入れてベッドの上に腰を下ろす。

 大きくひとつため息をついて、代わりにアロマ成分を鼻からたっぷりと吸い込む。

 今日のミドルノートはラベンダー。

 定番には定番の魅力がある。


 多少は気分が上向いた気になって、枕の上に投げ出していたスマホを手に取る。

 ロック解除画面のユリの笑顔にもう一段階癒されてから、メッセージアプリを立ち上げた。


――気が向いたら連絡してね。


 それが、あの人――続先輩からの最後のメッセージ。

 私はそれに既読をつけないまま、これまでずっと放置を決め込んでいた。

 今さら話すことなんて何もない。

 そう思っていたからここまで放っておいたのだけど。

 それこそ今さらどんな顔で話をしたらいいんだろう。


 ……顔は関係ないか。

 文字だけだし。

 とにもかくにも髪を乾かしながら、放置していた通知に対する久しぶりの返信の正解パターンを考える。


 パターン1。

 ストレートなお久しぶり感を出す。


お久しぶりです。お元気ですか?


 たぶん、ど定番。

 ど定番なんだけども、なんか手紙の書き出しみたいで、スマホ上のやり取りとしてはなんだか堅苦しいような気もする。


 パターン2。

 何か適当なスタンプを送る。

 ユリとかアヤセとか相手ならそれでも良い気もするけど、多少なり尊敬もしている相手にそれは、流石に失礼すぎる気がする。


 パターン3。

 適当なメッセージを間違って送ったていで送る。


明日の会議の資料を送ります。

あ、すみません。間違えました。

それよりお久しぶりですね。


 うん、これはキッツい。

 狙い過ぎててキッツい。

 久しぶりに昔の恋人と連絡とりたくなった時の言い訳みたいだ。

 そう感じてしまうのが、さらにキッツい。


 パターン4。事務的に要件だけ。


今年の学園祭の時期は帰省していますか?

須和さんをはじめ、同級生の吹部の方からぜひステージを見に来て欲しいという話しをうかがってます。

お時間があれば、ぜひご検討ください。


 それほど悪くはないし、話もこれで終わりにできて楽そう。

 だけど、やっぱり唐突感は否めない。

 唐突でも、この本題さえ伝えてしまえばいいんだけど。

 それだけなんだけど。

 なんでこう、前置きの方が時間がかかってしまうんだろう。

 これだからメッセージでのやりとりはめんどくさい。

 だったら電話をしろって話だけど、そっちはもっと嫌だ。


お久しぶりです。ウチの姉が迷惑をかけていませんか?


 髪を乾かし終えたころ、意を決してメッセージを打ち込む。

 結局ど定番をベースに、堅苦しいのは逆に気恥ずかしいので、多少ユーモアを交えた形になった。

 ユーモアがあるのかは謎だけど。


 送信ボタンを押してスマホをその辺に放り投げる。

 本題にも入っていないのに、第一通を送っただけで全部やり切ったような気分になっていた。

 なんでかめちゃくちゃ緊張する。

 紛らわすように膝をかかえて足をばたばたさせていると、すぐにスマホが震えた。

 ものの数秒で返事が帰ってきた。


――久しぶり!


 それだけの短い返信……かと思ったら、トーク画面に立て続けにメッセ―ジが並ぶ。


――元気してた?

――気温の変動が激しかったけど、風邪ひいてないかな?

――明ちゃんとは仲良くやってるよ

――むしろ、私のほうが迷惑をかけてないか心配かな

――星ちゃんは明ちゃんと離れて寂しくない?

――でも、返事くれて嬉しいな

――ありがとう


 うわあ……圧がすごい。

 どんな速度でフリックしたら、あっという間にこんなに連投できるんだろう。

 正直、ちょっと間を置いてから返信したい。

 でもトーク画面を見てたから、即既読ついちゃってるだろうし……仕方なくパターン4に直結して、さっさと本題に入ってしまうことにする。


同級生の須和さんから、先輩にぜひ学園祭のステージを見に来て欲しいと相談を受けました。

もし帰省の予定があったら、ぜひ足を運んでくれたらと思います。


――うれしい!

――もちろんいくよ

――後輩ちゃんたちに会うの楽しみだな

――星ちゃんって、白羽ちゃんと友達だったんだね

――お友達が沢山いるのはいいことだね

――お盆の前には明ちゃんと一緒に帰るから

――星ちゃんの代の学園祭、楽しみにしてるね


 再びの高速連投爆撃を受けて、私の親指はすっかり怖気づいてしまった。

 これってもう、話終わってもいいよね……?


ありがとうございます

では学園祭で


 それだけ送って、再びスマホを放り捨てる。

 すぐにまたバイブが鳴ったけど、こっちはすっかり話を切り上げたつもりになっていたので、画面を確認することもしなかった。


 役目は果たした。

 あとで須和さんにだけ伝えておかなきゃな。

 さっき焚き始めたアロマは、ちょうどミドルノートであるラベンダーが香りはじめていたところだった。

 ベッドに身を投げ出して深く深呼吸をすると、脳みそがアロマで満たされる代わりに、それまでの鬱屈とした気分が全部押し出されていく。


 よし、勉強しよう。

 クリアになった頭に「今しなきゃいけないこと」を無理矢理に詰め込む。

 そうすれば、あとは余計なことは考えなくてもいいから。

 今日も集中して取り組めそうな、そんな気がした。

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