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6月30日 ウチくる?

 期末テスト初日の放課後、生徒会室は開放されていた。

 私が開放した。

 期末テストというやつは、どんなに日程を詰め込んでも、どうしても長丁場の勝負になる。

 基本の受験科目に比べて、受験に使わない座学系の授業から保健体育に至るまで、全ての科目がテストの対象になるのだから仕方がない。

 案外そういう科目の方が、何が出題されるのか全く想定できないぶん、対策を取りづらいなんてこともある。


 だから必然の勉強会だ。

 冷房のついた生徒会室でユリとアヤセと、心炉もいっしょだった。

 施設としては古いウチの学校で、冷房のついた部屋は貴重である。

 生徒が自由に使える範囲だと、図書室か、自習室か……といったところ。

 そしてこの生徒会室にも設置されているわけだけど、これくらいの私的利用なら、生徒会長の特権として許して欲しいと思う。

 じゃないと生徒会長なんてやってられない。


「相変わらず心炉は教えるのうめーな。私、なんだか数学得意なんじゃないかって思えて来たわー」


 ひとくぎりついたらしいアヤセが、うんと背伸びをしながらひとり言ちる。

 一方の心炉は、すんと澄ました顔のまま、短くなったシャーペンの芯を入れ替えていた。


「アヤセさんは、基礎はしっかりしてるので、コツさえ掴めばそんなものです」

「まあ、勉強は得意なわけじゃないけど、宿題とか最低限やることはやってるしな」

「三年間、予習復習までこなしていたらもっと上位に食い込めたんじゃないですか? そもそも、この学校に入れるくらいの学力はあるんですし」

「受験を乗り切っていざ入学してみたら、なんかやる気なくなっちまってさー」

「燃え尽き症候群ってやつですね」

「それでも最低限のことはやってるんだから、褒めてくれよー」

「やるべきことをやって褒めてたら、きりがないですよ」


 心炉にバッサリ斬り捨てられて、アヤセは「ちぇー」っと唇を尖らせた。


「でも、最低限やってるなら偉いよ。なにもやらない結果がコレなんだから」


 そう言って私は、隣でうんうん唸るユリを指さす。


「ねえ、どうしてサインはコサインでタンジェントなの?」

「サインはコサインでもタンジェントでもないよ」

「もー! 世の中全部、左手の法則で解決すればいいのに! チェケラッ!」


 理不尽、もとい身勝手な主張を叫びながら、ユリは左手の親指から中指までを立てて突き出した。


「ヨーヨー。飽きて来たZE。遊び行きたいZE」

「黙って勉強しろ」

「セイ、ホー……カナシミノライム」

「ライムじゃないし、そもそも韻すら踏めてないし」

「もー、星は厳しい! あたしも心炉ちゃんがいいー!」


 試験勉強という責め苦に耐えかねて、ユリが駄々っ子モードに入ってしまった。

 私はひと息ついて、パイプ椅子から腰を浮かせる。


「いいよ。交換しよう。でも、私も心炉に聞きたいとこあったし、ユリの相手はアヤセに任せる」

「え? あ、はい、私は構いませんが」


 突然の成り行きに、心炉はきょとんとして頷く。

 一方のユリは、大口をあけて抗議の声をあげた。


「馬鹿ふたりを残してどうするの! 教師役が抜けてどうするの!」

「ば、馬鹿じゃねーし! 基本はできてるし!」

 とばっちりを受けたアヤセは、食い気味に突っかかる。

「そこまで言うなら身体に沁み込ませてやろうか、サインコサインタンジェント」

「痛いのはやめてください!」


 アヤセが指をワキワキさせながら迫ると、ユリは怯えたように頭を抱えてうずくまった。

 そんな彼女を他所に、アヤセの視線が私と心炉とを交互に見る。


「それより星、いつの間にさぁ」

「なに」

「いや、別に? いーんじゃねーの」


 彼女はそれ以上突っ込んでくることはしなかったけど、代わりに含みのある笑顔を浮かべていた。

 腹立つわぁ……茶化すなら茶化せばいいのに。

 そんなこと心から思ってるわけじゃないだろうってのが、彼女のいいところではあるけれど。


 そんな時、不意に生徒会室のドアが開く。

 遠慮なく開け放たれたその向こうに、穂波ちゃんと宍戸さんの姿があった。


「あれ……みなさんご一緒なんですね」

「あっ、穂波ちゃんだ。おっすおっすー」

「あ、ユリさんもこんにちわ。この間はどうもです」


 コロッと元気を取り戻したユリに、穂波ちゃんはぺこりと頭を下げる。

 それに釣られるように、宍戸さんもぺこぺこと頭を下げた。


「みなさん、試験勉強ですか?」


 首を傾げた穂波ちゃんに、アヤセが頷き返す。


「見ての通り、そーゆーことだ。ふたりは?」

「私たちも教室で勉強してたんですが、暑くって……そしたら生徒会室にクーラーがあったのを思い出して。もし開いてれば、と思って」

「開いてる開いてる。だいたい会長サマが開けてる。しっかり勉強していきなー」

「はい、ありがとうございます」


 言うや否や、穂波ちゃんは長テーブルの一角にスクールバッグを降ろして、あっという間に自分のスペースを確保していた。

 その隣にくっつくように、宍戸さんがちょこんと席につく。


 ユリが、テーブルの端から身を乗り出して彼女たちを見た。


「そうだ、歌尾ちゃん。この間の水着どうだった? 家帰ってからちゃんと合わせてみるって言ってたけど」

「あ……はい。大丈夫、です。ぴったりでした」

「そっか、良かったねー。試着もしないで買ってたから、大丈夫かなって心配だったんだ」

「すみません……試着はその、ちょっと、恥ずかしいので」


 宍戸さんはそのまま、顔を真っ赤にして縮こまってしまった。


「水着? なに、なんでそんなの買ってるの」


 夏物見にに行ったってのは知ってるけど、それがどういう流れで水着に?

 いや、水着も売ってるだろうけどさ。


「なんかね、歌尾ちゃん小学校の時の水着しか持ってなくって、たぶんもう入らないって話をしてたからね、じゃあ買ったらいいじゃないってことで選んであげたの」

「いや、そういうんじゃなくて。着る予定もないのに買ってどうすんのって話」

「予定がなければ立てればいいじゃない! 備えあれば嬉しいな」


 曲解した明言らしきことを口にして、ユリはぐっと親指を立てた。


 てか、水着選んでもらったんだ……いいな。普通に羨ましい。

 私も去年、ユリとアヤセと一緒にプールに行ったときに水着を準備したけど、普通に自分で買いに行って……あ、違う、姉に選ばれたんだった。

 なんて価値のない水着だ。


「プール? 海? どっちでもいいですね。いきたいです。ね?」

「えっ……あ、う、うん。あ、でも恥ずかしいことは恥ずかしい……けど」


 ノリノリの穂波ちゃんに対して、話を振られた宍戸さんは、なんとも曖昧な返事を返した。

 その視線がちらりとユリに向いて、すぐに慌てて顔を背ける。


 ちくりと胸が痛む一方で、考えないようにしていた日曜日の「そっち側」の一日がどうしても気になってしまった。

 楽しく過ごせたようなのは何よりだけど。


「ユリは安請け合いしないの。私たち受験生なんだから、そんな暇ないでしょ。そもそもあんたは八月上旬までまだまだ部活漬けなんだから」

「それを言ったら星ちゃんよ、お前も約束は果たさんとダメだぞ」

「約束?」


 アヤセの言葉に、思わず首をかしげる。

 約束ってなんだ。

 心当たりがない。

 すると、心炉がぽんと両手を合わせた。


「そう言えば、ご自分で仰ってましたね。生徒会のみんなで遊びに行こうって」

「あっ……ああー」


 思い出した。

 交流会の直前に、そんな約束をしていたっけ。

 同時に、自分自身に呆れかえって椅子に崩れ落ちた。


「いや……でもああいうのってほら、遊びに誘われて『行けたら行くわ』的な、そういうテンションの言葉でしょ」

「約束は約束ですよ。ちゃんとしましょう、そういうところ」


 心炉にそんなこと言われたら、ぐうの音も出ない。

 これがユリやアヤセだったら、「そんなこと言ったって、お前らも同じじゃん」と返せるんだけど。


「いや、でも学習合宿もあるし、学園祭準備もあるし。学園祭準備って言えば、生徒会合宿も日程決めなきゃだし」

「生徒会合宿!? なにそれ!?」


 なぜか、ユリがものすごい勢いで食いついてきた。


「学園祭関連の生徒会の雑務を一気に終わらせるために、夏休み中に合宿するの。一泊だけだけど」

「というのは建前です。もちろん雑務はしますけど。八月いっぱいで今の生徒会は解散になるので、その前に最後の思い出作りを兼ねた恒例行事なんです」

「へえー、そーなんだ」


 心炉が補足してくれるといっしょに、ユリは目を輝かせながら頷く。

 何がそんなに琴線に触れてるんだろう。合宿って言葉かな。

 部活のせいか合宿馬鹿だもんね。


「去年は山のペンションに一泊でした。涼しくていいところでしたね」

「今年はどうすんだ?」


 アヤセに尋ねられて、私はしばし考え込む。


「去年みたいな小人数なら選択肢はいくらでもあるんだろうけど、今年はそれなりに人数がいるし……生徒会の仕事もしないわけじゃないから、集まって作業できるような部屋も欲しいし」


 実際、どういう場所ならいいんだろう。

 まったくもってイメージがわかない。

 部活をサボって来たツケを、今になって払わされているような気がした。


「あ……それなら、ウチに来ますか?」


 あまりにも想定外の言葉が出てきて、その場にいた誰もが思わずスルーしかけてしまう。

 ほんの少し、考えを改める時間を置いて、私も含めたみんなの視線が一斉に声の主――穂波ちゃんに向いた。


「ウチって……そんな、生徒会の合宿で個人のお宅にお邪魔するわけにはいかないよ」

「大丈夫だと思いますよ。ちゃんとお客として来てくださるのなら……あ、お友達割引してもらえるよう、交渉は任せてください」

「そりゃ泊めて貰うなんてことになったら、ちゃんと宿泊費相当の経費はお支払いするけど」

「星先輩……なんだか話がズレてませんか?」

「え?」


 理解が追いついていないらしい私を他所に、穂波ちゃんはスマホを取り出して、何やら操作をしてから、テーブルの真ん中に置いく。

 そこにはSNSのアカウントらしきものが表示されていた。


「アカウント名『やおとめ』……ってこれ、穂波ちゃんのアカウント。いや、でも、なんか企業アカウントっぽくない?」


 真っ先に目に付くカバー写真には、古びた旅宿らしき建物をバックに従業員一同が笑顔で並んだ写真が飾られている。

 その中央、社長夫婦らしき和装の男女の間に、同じく和装に身を包んだ、見覚えのあるちんまい影が映っていた。


「ウチです」

「……温泉旅館?」

「日程さえ決まれば、一年先でもご予約OKです」


 穂波ちゃんは、無表情のままダブルピースをカニみたいにチョキチョキする。


 これは渡りに船、なんだろうか。

 頭が情報に追いつかなくって、今の私には正常な判断ができなかった。

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