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7月29日 シスターとコンプレックス

 ここ最近、うだるような暑さが続く。

 まさしく夏真っ盛りといったところだけど、こういう日は基本的に家から出ないに限る。

 私が寒さはまだしも、暑さにはめっぽう弱いというのは、初夏のまだ涼しい時に熱中症で倒れたことから自明のこと。

 日焼けに関しても焦げる前に真っ赤にただれてしまうので、紫外線そのものもできるだけご遠慮願いたい。


 それでもこうして完全な紫外線対策のもと、街に出なければならないこともある。

 スマートフォンの普及が対人と人の空間的な隔たりを取り払ったと社会は言うけれど、物質的な隔たりを取り払うのはまだまだ遠い未来の話になりそうだ。

 そしてそれは、私の仕事じゃない。


「ごめん、待たせたかな」

「お気になさらず。早く来ていたのは私の勝手ですから」


 約束の広場につくと、既に心炉が待っていた。

 いつものTシャツ&ジーンズ姿にのザ・アメリカンスタイル。

 そこに日傘の取り合わせはミスマッチのような気もするけれど、様になっているのは彼女の佇まいのせいだろうか。


「ご自宅までお届けしても良かったのですが」

「案外距離あるし、炎天下にそんなことさせられないよ。こういうのは中間地点を取るのが吉」

「毎日暑くて参ってしまいますね……せっかくですし、どこかお店に入りますか?」

「時間があるなら、そのつもりだったけど。バスで来たのに喉からから」

「この辺だと何でもありますけど、ご希望はありますか?」

「うーん、冷たい緑茶。できれば和菓子付き。いいお店あるから案内するよ」

「ではその線で」


 いいかげん、日光の下で微動だにせず話し続けるのも限界だ。

 私は心炉を先導するように街を歩き始めた。


 歩き始めたとは言っても、目的地はほんのちょっと裏路地に入ったところがある。

 古い土蔵を改装した茶房カフェ。

 以前、天野さんに連れてこられたお店のひとつだ。

 こういう時の選択肢を増やして貰っている点では、彼女にも感謝しなきゃいけない。


「いい所ですね。ウチは家族そろって紅茶党かコーヒー党なので新鮮です」

「確かに、あのお家で日本茶を飲んでる姿は……想像はできるけど、しっくりは来ないね」


 郊外の高級住宅地にある、奇妙な冒険でも始まりそうなお洒落で可愛い一軒家。

 あんな家に住むような家庭に生まれたら、私も瀟洒な人間になっていたんだろうか。

 いや、少なくとも目の前の彼女は俗っぽさしかない姿をしているけど。

 こう、内面的な意味で。

 ふたりとも和菓子と冷たい緑茶のセットを頼んで、店内の冷風にひと息つく。

 それからすぐに、心炉は鞄の中を漁り始めた。


「忘れないうちに渡しておきますね」

「そうね。これ忘れたら、何のために暑い中ご足労したんだって話」


 彼女が手渡してくれた、ずいぶんと使い古された薄汚れた教科書。

 正式名称はとっくに忘れた通称アネノートを、私はその手で受け取った。


「ごめん。合宿じゃバタバタしちゃって、荷物の確認なんてしてられなかったから」

「それはこちらも同じです。忘れ物がないように気を配るので精一杯で、教科書を互い違いにしてしまったなんて」


 ちょっとした事件はあったけど、合宿は無事に終わった。

 終わったのだけど、数日のいらん気遣いと捜査の真似事ですっかり疲れてしまった私たちは、バスの時間ギリギリまで部屋でぐーたらしてしまい、慌ただしくホテルを後にしたのだ。

 その結果、同じ部屋だった彼女と教科書を取り違えてしまった。

 冷静に考えれば、こんな汚い教科書見間違えようがないのだけど。

 それを間違えてしまうくらい、疲れていたんだ。

 きっと八割方、朝四時なんてアホみたいな時間から張り込みをしていたせい。

 講義スケジュールが終わったころには、目を開けてるのも辛いくらいに眠くて眠くて仕方がなかった。


「それにしても、それが噂のアネノートですか。せっかくなので読ませて貰いましたが、恐ろしい完成度ですね。お金とれますよこれ」

「それは同感」

「こんなオーパーツを残してくれるなんて、良いお姉さんじゃないですか」

「それは反感」

「何でですか」


 何でと言われたら、なんかムカつくから。


「ほんとに嫌いないんですね、明さんのこと」

「好く要素がないでしょ、あんなの」

「学校じゃ人気者でしたけど。それこそ選挙に出ていたら、どちらが会長になったか分からなかったんじゃないですか?」

「それはないよ。アレは、自分に必要ない権力には一切興味ないから」

「どんな権力なら興味があるのか気になるのですが」

「私は興味ない」


 けど、アレはそういう生き物だ。

 自分の希望は是が非でも叶え、興味のないことはそもそも視野にすら入れない。

 そういうところがきっと、あの人とウマが合ってしまったんだろう。

 もっともあの人は、ある意味で姉の強化版――興味のないことなんてない人だから。

 つまりこれは最凶最悪の出会いで悪魔合体。

 ひどい現実だ。


「ひとつだけ言えるのは、続先輩が会長選挙に出るのならウチのは出ない。それだけ」

「そいういうものですか」

「そういうものなの」


 頃合いよく注文した品が届いたので、話は一端それで終わりになった。

 喉が渇いていたのもあって、水出し緑茶の半分ほどを一気にあおる。

 喉を清涼感ある冷たい液体が流れていくのと一緒に、鼻の奥に甘い緑茶の香りが広がる。

 ああ、すっごく夏って感じ。


「そう言えば、ウチのクラスの出し物、どうするんでしょうね」

「あ」


 心炉の不意のひと言に、私は合宿に行って帰って来る前の自分の使命を思い出した。

 そして合宿中のゴタゴタで、すっかり忘れてしまっていたことも。


「出し物どうするのか、雲類鷲さんをせっつくの忘れてた……」

「仕方がないですよ。事件の被害者に無理させることはできませんし」

「そういう心炉はノリノリだったみたいだけど」

「思い出させないでください」


 心炉はピシャリと言い放って、お茶に手をつけた。

 完全な照れ隠しだ。

 ダメだよ、私たちと付き合ってくつもりなら慣れなきゃ。


「まあいいか。週末にまた会うと思うし、その時に聞いてみる」

「何か約束してるんですか?」

「いや、雲類鷲さんが通ってる塾を紹介されてて、見学だけでも行ってみようかなって」

「はあ、塾ですか」


 私の答えに、心炉は意外そうに目を丸くした。


「何その顔」

「いえ……星さんって、他人の力を頼らない孤高の女王って印象だったので」

「その呼び方、アヤセに聞いたでしょ」

「よく分かりましたね」


 あいつ、覚えてろよ。


「まあ呼び方はさておき、そういう印象は持っていたので、またどういう心境の変化ですか?」


 どんな変化かと言われたら、細かい変化の乱れ打ちなんだけど。

 その最たるもので言えば――


「合宿で全く勉強に集中できなかったことかな」

「ああ……」


 心炉は、すごく遠い目をしながら理解してくれた。


「それとは別に、元々考えていたことではあったんだけどね。私の目標は、たぶん私自身の力だけじゃ届かないところにあるから。届かないくらいなら、どんな手を使ってでも勝ち取るだけ」

「どんな手でもって、わりと一般的な手ですけどね」

「私にとっては、かなり法外な手段なんだけど」

「私、時々星さんと著しい価値観の違いを感じます……」


 どういうわけか、呆れられてしまった。

 そんなに変なことは言ってないと思うんだけど……。


「でもそういうところ、明さんにそっくりですね」


 なんだって?


「いやいやいや、ないないない」

「そうですか? 目的のために手段を選ばないところとか……」

「アレはノータイムで手段を選ばないけど、私の場合は熟考したうえでの苦渋の選択だから」

「まあ、星さんがそう言うなら、それでいいですけど」


 なにその、納得はできてないけどもうそれで良いですよ感は。

 まことに不本意だ。

 遺憾の意である。


「それなら、なおさら学園祭は成功させないとですね。どうせ明さん、遊びに来るんでしょう」

「なに、心炉のとこにも連絡いったの?」

「いえ。ただあのシスコンで有名な明さんが妹の学園祭に来ないわけがないかと」


 あいつ、そんな風に見られてたのか。

 ざまあ見ろだよ。


「私から見たら、星さんも十分シスコンですが」

「はあ?」


 思わずガラの悪い声が出てしまった。

 心炉がびっくりしていたので、咳ばらいをして体裁を整える。

 シスコン、シスコン……独り歩きしている言葉の印象だけだと「お姉ちゃん大好き♪」みたいなイメージしか無いけれど、敵対意識があるってのもひとつのシスコンか。

 コンプレックスだもんな。

 本来の意味では劣等感。

 まったくもって遺憾の意。


「……実際、来るって言ってたよ。続先輩も連れて」

「は?」


 突然のガラの悪い声に、思わず背筋が伸びる。

 心炉は今日いちびっくりした顔で、机に身を乗り出さんばかりに前のめりになっていた。


「先代、来るんですか?」

「本人がそう言ってたけど」

「それって……下手打てないじゃないですか」


 それはなに、どういう反応なん?

 心炉は焦ってるような、怯えてるような、なんとも曖昧な表情で小刻みに震えていた。

 いや、まって。

 あの人、生徒会でどういう立場だったの。

 いや、先代――前生徒会長なのは誰もが知ってるけどさ。

 それにしたって、この反応はどうだ。

 すっかり怖がられてるじゃないか。


 怖がってるの?

 心炉は、すっかり絶望しきった後の感情の全く見えない瞳で、穴が開くほど私を見つめた。


「星さん、緊急事態です」

「なんか、そうっぽいね」

「雲類鷲さんを、しっかりせっついておいてください」

「まあ、それは言われるでもなく」

「合宿の交換条件の学年予算もギリギリまで搾り取りましょう」

「ああ、はい」


 思わず敬語になってしまった。

 それくらいの凄みと覇気が心炉の背中から放たれていた。

 たかだかOGが見物に来るだけで、そんなに取り乱すようなこと?


 それこそ私と彼女の見ている世界に、著しい違いがあるのではないだろうか……。

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