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7月28日 真実はいつも――

 作戦の決行は朝の四時となった。

 昨日は夜の自由時間になったら、すぐに格闘技連合の方々に見守られながらお風呂を済ませて就寝した――けれど、いつも寝る時間ではないうえに、学習合宿なのに自習もしないで即寝するという状況に心休まるはずはなく、結局眠りについたのは、たぶん日付が変わったころだったと思う。


 思う、というのは時計もスマホも見ないで寝ようと頑張っていた結果であり、そもそも正確な時間を確認しなかったのは、どうせ寝不足になるんだったら眠くなるまで勉強してればよかったんじゃね――という正論を頭の中から追い出すためだった。

 寝不足はお肌に大敵、なんていうつもりはなく、単純に体力的にキツイ。

 こうして浴場の物陰にかくれて捜査の真似事なんてさせられていても、頭の中では今日が最終日となった講義中に寝ないかどうかという心配でいっぱいだった。


「お、きた……ほんとに」


 ぼーっとした私の肩を、アヤセが叩く。

 私は出かけたあくびをかみ殺して、脱衣所の方に目を向けた。


 大きなすりガラスの向こうに人影が見える。

 結構大柄。

 少なくとも、女生徒ではない。

 数は数人。

 雲類鷲さんの証言から、てっきり相手はひとりだと思っていたので、いくらか気おされてしまう。


「心炉ちゃん、よく今日なら掛るって分かったね?」


 ユリが小声で、でも興味津々に尋ねた。

 一方の心炉はぶすっとした表情で視線を逸らす。

 怒ってるって言うよりは、恥ずかしがってる感じ。

 たぶん、一晩経って冷静になったな。


「あ、網を張るんだから、餌もまかないと」

「餌って?」

「昨日のうちに、それとなく『風呂場にあったアレって何だろうな~』っていう噂を流しておいたんです」

「『アレ』って?」

「と、特に意味はありませんし、『アレ』なんてものもありません。その、心にやましいことがある人間は、そういう抽象的なことでも簡単に心を揺さぶられてしまうんですよ」

「へえー。すごい、本物の刑事さんみたいだね!」


 楽しそうなユリとはうって変わって、心炉の口調はどこかたどたどしかった。

 やっぱり恥ずかしいんだな。

 ダメだよ、こういうときは冷静になっちゃ。

 最後まで覚悟をもってやりきるか、いっそ無にならないと。

 ひとりが恥ずかしがったら、周りも恥ずかしくなっちゃうんだから。

 これが共感性羞恥というやつ。


「帰ったら、般若心経教えてあげる」

「え……? あ、はい、ありがとうございます?」


 どういたしましてだよ。

 私は既に、自分が何言ってるかもよく分かってない。

 眠い。

 つらい。

 心は空。


 脱衣所の影は、まっすぐに浴室に向かってくる。

 服を脱いだ様子はなかったし、別に風呂に入りに来たわけではなさそうだ。

 だとしたら、心炉が巻いた餌ってやつに釣られたってこと。

 浴室と脱衣所を隔てる扉が開く。

 ユリが物陰から立ち上がる。


「かかれー!」

「押忍!」


 号令と共に、格闘技連合のみなさんが一斉に犯人(暫定)たちに飛び掛かった。

 屈強な女たちに組み敷かれて、勝負はあっという間に決まる。

 それを対岸の火事みたいに眺めていた私は、「これ、別に私たちがここにいなくても良かったのでは?」と思った。


 思っただけじゃなくって、事前にユリにもそう言ったんだけど、「探偵が事件解決の現場にいないとかアリエナイ」と一蹴されてしまった。

 アリエナイのはこっちのほうだ。


「警部、確保完了しました!」

「うむ、ご苦労である!」


 確保組からの報告を受けて、ユリは満足げに頷く。

 いつの間にか探偵じゃなくて刑事になってるし。

 要するになんだっていいんじゃないか。


 完全に悦に入ったらしいユリは、刑事モードのまま犯人たちの前に立ちはだかった。


「お前たちには黙秘権があーる。しかし、それが必ずしも有利に働くわけでないことは……って、先生たち?」


 犯人たちを見たユリは、思いっきり首をかしげた。

 組み敷かれていたのは、合宿に参加していた男性教諭陣。

 そして数名の男性ホテルスタッフのみなさんだった。


「これは、どういうことでしょうか?」


 脱衣所の向こうから、学年主任が現れる。

 その隣には、格闘技部連合の方がひとり。たぶん、犯人確保を報告しつつ連れて来たんだろう。

 教諭陣は抵抗の意思は無いようで、学年主任の登場にただがっくりとうなだれた。


 それから犯人(暫定)たちがお風呂場の固いタイルの上に正座させられて、本格的な事情聴取となった。

 学年主任がすごみをきかせて、一同を睨みつける。


「もう一度訪ねます。どういうことでしょうか?」

「すみませんでした! ほんの出来心だったんです!」


 男性教諭陣(とホテルマンのみなさん)は、一斉に土下座をかます。

 ちょっと壮観だ。

 それを見た雲類鷲さんは、脅すように大きく一歩踏み出してガンを飛ばす。


「恥じらうJKの風呂除いといて、出来心で済むと思ってんのか? 出るとこ出るか、オラ!?」

「流翔ちゃん、少なくともそれは恥じらうJKの言動ではないと思いますよ」


 琴平さんは、終始スマホでの記録に余念がない。

 口は出すけど、常に数mの程よい撮影距離を確保している。


 そんなカメラに弁明するかのように、男性陣は一様に手のひらをかざす。


「それだけは断じて誤解です。我々、深夜の飲みの席で意気投合しまして、熟女を愛する同好の士であることを確認し合っておりますので」


 犯人たちは一斉に頷く。

 そんなこと誰も聞いてないんだけど。


 でもどうだろう、あの曇りなき眼は。

 いったいどうやって生きてきたら、あれだけ純粋な目で己の性癖を語れるというのだろうか。

 少なくとも覗き目的じゃないのは本当なのかもしれない。

 ほんとにどうでもいいけど、どうでもよすぎるからこそ、それだけ真実味があった。


 犯人たちはがっくりうなだれて、それからぽつりと、呟くように言葉を吐いた。


「我々はただ……温泉に……入りたかったんです……!」

「……はい?」


 思わずタメ口で聞き返してしまった。

 それが、弁明の続きを促しているように聞こえたんだろう。

 彼らは掻い摘むように、ことの次第を話してくれた。


 発端は初日の夜。

 生徒たちは自由時間となり、教員たちも翌日の抗議の準備が終わったころ、ここからはもう大人の時間だということでちょっとした飲み会が開かれていたらしい。

 ホテルも貸し切りということで、従業員のみなさんも一緒に、それなりにワイワイと。

 その中で、男性陣の誰かが呟いた。

 「温泉に入りたい」と。


 今となっても誰の言葉だったかもわからないけど、気持ちはみんな一緒だったそうであっという間に意気投合。

 せっかく温泉地まで来たのに、女生徒ばかりだからって理由で男風呂も女風呂にされて、鬱憤が溜まるのは当然だ。

 そこで生まれた解決策が、早朝の風呂が開くさらに前の時間であれば問題ないのではというもの。

 本来なら五時から開ける風呂だが、そのさらに前の時間なら――と。

 これには、同席していた男性ホテルマンのみなさんも賛同してくれた。

 彼らもまた今回の貸し切りの弊害で、普段なら入れる風呂のお預けを食らっているのだし、乗らないわけがない。

 問題は、なんでかそれを秘密裏に実行してしまったということだ。


 こう言っちゃなんだけど、実際のところ我慢すればいいだけの話。

 生徒にとっても、先生たちにとっても、旅行じゃないんだし。

 それに女性陣しか風呂に入れないと決まった時に、特に反対意見を出さなかったそうだし。

 それを飲みの席の、ほんの僅かな気の迷いでひとっ風呂浴びたくなったからって、決めごとを反故にする。

 その罪悪感が秘密裏に推し進める結果となった。


「細心の注意は払っていたのです。騒ぎ立てないよう、一度に大勢は入らず。少人数で、万が一時間を間違えた女生徒が来てしまった時のために、入口に見張りも立てて。ただ問題の時間……その、見張り役のヤマさんが爆睡してしまいまして」


 なるほど。

 本来なら女生徒をちょっと足止めするなり、中の人間に伝えるなりするはずだった見張り役が機能していなかったものだから、出会い頭の事故が起こってしまった――ってことか。

 なお、当の本人であるヤマさんはこの場にはいなかった。

 今ごろ部屋でゆっくりしているか、散歩でもしているんだろうか。


 ひとしきりの弁明を聞いて、学年主任は呆れたような、悩んだような、複雑なん表情で頭を抱える。


「事情は分かりました。ひと言も相談せず、勝手にことに及んだこと。それはそもそも社会人として褒められたことではないということは、深く肝に銘じてください」

「はい、もちろんです。軽率なことをしました」

「問題はそんなくだらないことで、不可抗力としても、事実として、男性教諭が女生徒の入浴を覗いてしまったということだ……」

「見てはいません! 一切目もくれず退避することを心掛けました!」

「当然だ! それでも、事実だけを報告してしまえば、記者会見ものの不祥事以外のなにものでもない……こんな、くだらないことで……」


 学年主任は辛そうに顔をゆがめて、もう一度頭を抱えて、ぐにゃりとうなだれた。


「超、もみ消したい……」


 それは文字通り、魂の慟哭だった。

 これほど苦しそうな学年主任を――あの鬼軍曹とも恐れられた学年主任を、私たちは見たことがない。

 そしてぶっちゃけ、何やってんだこいつらと、ひたすら冷めた目で見ていた生徒側も、全く同じことを思っていた。


「……どうするよ、これ?」


 アヤセが、心底興味を失くした様子で私を見た。そんな目でこっちを見ないでよ。

 私だって、下手なこと言うくらいならノーコメントを貫きたいよ。


 だけど立場ってやつはそれを許してくれないもので、格闘技連合のみなさんも含めて、みんなが私の――生徒会長のひと言を待っているかのようだった。

 私は大きな、それはもう大きなため息をひとつついて、この場を丸く収められそうな何かを、記憶の底から必死に掘り起こした。


「……昨日、ユリたちと事件の聞き込みをしていたとき、ヤマさんが言ってました。コーヒーにはリラックス効果も覚醒効果もあって、身体がどちらを欲しているかで優先される効能が変わるって」


 みんな、いきなり何を言いだしたんだろうって顔でこっちを見ている。

 分かってるよ。

 私だって、何言ってるか分からないよ。

 でも何か言わなきゃいけなくって。

 だからせめて、言ってる途中で恥ずかしくなってしまわないように、心の中で般若心経を唱え続けた。

 ウチは浄土真宗だから、ぶっちゃけ意味はところどころしか知らない。


「お風呂上がりにコーヒーを飲んで寝てしまうくらい、先生たちもみんな疲れていたんだと思います。夏休みに三泊四日ものスケジュールで勉強を教えてくれて、明らかに普通の高校教師の仕事の範疇を越えているのに。だからその、感謝こそすれ、温泉に入りたいくらいの些細な癒しの時間を咎める理由が、どこにありましょうか」


 私は、ここで一番同意を求めるべき雲類鷲さんのことを見た。

 超くだらない真実だけど、彼女が被害者であることには変わらない。

 だから私がどう纏めようとしたところで、彼女が黒と言えば黒、白と言えば白になる。

 雲類鷲さんもそれを察してくれてか、バツが悪そうに目を逸らして頭を掻いた。


「……条件さえ飲んでくれたら、無かったことにしてもらってもいいっすよ」

「……聞こうか」


 答えたのは学年主任。すごく切実で、縋るような声色だった。


「学園祭の予算を増額してくれるのなら手を打っても良いですよ。もういくらか予算が増えたら、やれることが増えそうなんで」


 したたか。

 さすが学園祭実行委員長。学年主任は歯を食いしばって、そして頷いた。


「……苦しいが飲もう。学年予算から必要なだけを進呈する」

「じゃあ、あたしが見たのは野生のタヌキか何かだったっということで」


 夏合宿中に起こった珍事は、これで決着となった。

 ふたを開けてみれば本当に……本当にどーでもいい結末だった。

 私の睡眠時間と勉強時間を返せと言いたい。


「これで一件落着だね」


 ユリがぐっと親指を立てる。

 残りは今日一日だけとは言え、残りの時間はなんの憂いも障害も雑念もなく勉強に集中できるって考えれば、事件を解決した意味はあるのかもしれない。

 だから私は、これ以上ない素敵な笑顔でそれに応える。


「うん、じゃあ勉強しよっか」

「あ……」


 レイクサイドミステリーから現実に引き戻されて、ユリの瞳から光が消える。

 私の時間を奪ったぶん、ここからは帰りのバスまでみっちりと付き合って貰おう。

 逃がさないよ。

 ミステリーの舞台に逃げ場なんてないんだから。

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