学校の最寄り駅から電車で約一時間。
そこからさらにバスで一時間。
川のせせらぎが涼しい山間の村の中に、今年の生徒会合宿の開催地である旅館『やおとめ』はあった。
「お世話になります。よろしくお願いします」
チェックインの手続きをするのと一緒に、生徒会の長として女将さんに挨拶をすることにした。
女将さんというと仰々しいけど、ようは穂波ちゃんのお母さん。
ここ『やおとめ』は、名前そのまま穂波ちゃんのご実家である。
アヤセの実家で包んでもらった菓子折りを手土産にお渡しすると、女将さんはどこか人懐こい、柔らかな笑顔で受け取ってくれた。
「いえいえ、こちらこそ娘がお世話になってます。どうぞごゆっくり、温泉を楽しんでいってくださいね」
涼しげな緑の和服が似合う、すらりと背の高いお母さんだった。
失礼だけど、あのちんまい穂波ちゃんとはどうにもイメージが重ならない。
まじまじと見つめていたところ、不意に彼女は玄関先に向かって声を張り上げた。
「社長! 穂波の学校の方がいらしてますよ!」
すると、玄関先で掃き掃除をしていた男性がぺこりとお辞儀した。
「すみません、ウチの旦那、あの年でシャイボーイなもので。悪く思わないでください」
「ああ、いえ。よろしくお伝えください」
なるほど、あれがお父さんか。
女将さんと違ってラフな法被姿の彼は、どことなくこぢんまりとした印象を受けた。
要するに、見た目(表情含めて)はお父さん似で、中身はお母さん似ということか。
コミュ強ポーカーフェイスの謎が解けたような気がした。
「お部屋、案内しますね」
「うわっ」
いつの間にか、背後に穂波ちゃん本人が立っていた。
実家仕様だからかブカブカのTシャツにハーフパンツというスーパーラフ仕様。
こういう時って、接客仕様の着物姿なんかで現れて新たな一面発見――なんてのが定番な気がするけど、そういうキラキラな感じのは私たちの回りでは起こらないらしい。
「お風呂はあっちの方です。で、お部屋は反対側です。七人なので二部屋とってあります。片方がファミリー向けの広い部屋なので、集まる時はこっちでどうぞ。ご飯も部屋食なので、その部屋に運びますね」
ぞろぞろと穂波ちゃんのあとについていきながら、ひととおりの館内の案内を受ける。
学校の後輩に宿を紹介されるっていうのは、ちょっと変な感じだ。
「いいとこじゃん。古いけど古くない」
「アヤセさん、流石にその言い方は失礼じゃないですか?」
心炉がアヤセを諫めるけど、穂波ちゃんは振り返ってぷるぷると首を横に振った。
「そんなことないです。実際、私が小さい時はただただ古いだけだったんですけど、中学校にあがったくらいのときに前面改装しまして。古いまま、全部綺麗にしたんです」
館内は、いわゆる木の温かみを感じる純日本家屋風。
古いのは事実だけど、古くはない。
うん、なんか深い……かも。
「七人ってことは、穂波ちゃんも泊まるんだ? 実家なのに泊まるって言うのも何か変な表現だけど」
「はい。代わりに、使ったお部屋の掃除は私がやるってことで手を打ってもらいました」
そう言えば、安くしてもらうためにいろいろ交渉してくれるって言ってたっけ。
結果として安くしてもらったどころか、ほとんど食事代しか払ってないんじゃないかって金額で受け入れてもらえることになった。
「流石に悪いから、掃除くらいみんなで手伝うよ」
「確かに。その方が合宿感あるしな」
すかさず、アヤセがフォローをいれてくれた。
穂波ちゃんもそれで納得したのか、特に反対するでもなく提案を受け入れてくれた。
「ねーねー穂波ちゃん、この辺て何か観光スポットとかあるの?」
「ちょっと。遊びに来たわけじゃないんだから」
銀条さんに窘められて、金谷さんはバツが悪そうに唇を尖らせる。
だけど穂波ちゃんはしばらく考えた後に、ぽつりと呟くように答える。
「ない、ですかねえ……」
「ああ……ないんだ」
身もふたもない答えに、金谷さんも居たたまれない様子で肩を落とす。
「ちょっと川を上ると綺麗な渓流スポットとかはありますけど……後は基本、絶景ですかね」
「ああ、絶景ねえ」
確かに、来るときにバスの中から見た山間の景色は絶景だった。
ただ、それは都市部から来た人間ならありがたがるかもしれないけど、日ごろ見慣れてる人間からしたら、ひと盛り上がりはしても継続してありがたがるようなものじゃない。
「あ……自転車かいっそ車で行く距離ですけど、縁結びのお地蔵さんならあります」
「縁結び! いいね、よし、それいこう」
「とりあえず、やることやってからね」
一転、一発で元気になった金谷さんだったけど、銀条さんにずるずると部屋に引きずられていった。
「縁結び……」
傍らで、宍戸さんが顔を赤らめながらつぶやいた。
何を考えているのか手に取るようにわかて、私は静かに視線を逸らした。
「広い方は下級生組で使うので、三年生の方々はもう一方のお部屋を使ってください。綺麗さと設備は、そっちのお部屋の方が良いはずなので」
「わかった。ありがとう」
鍵を受け取り、後輩組とは一端お別れとなる。
「学習合宿の時も、私らこんな感じだったな」
「今回は三人だけですけどね」
「とりあえず荷物置いてお風呂いこ。汗かいちゃった」
思い出話に花を咲かせてるところ悪いけど、とにかく今は足を延ばしてゆっくり温泉につかりたい。
仲間といく片道二時間の旅路はそれはそれでいいものだけど、疲れることは疲れるんだ。
あと、昨日の撮影のおかげで身体があちこち筋肉痛で……辛い。
それからゆっくりお風呂を堪能して、軽く観光でも――するわけはなく。
後輩部屋に集まって、夏休み中に溜まりにたまった生徒会の仕事をやっつける。
生徒会合宿と銘打ってる以上、これが名目上はメインの活動だ。
というか、これをやらないと旅費を生徒会予算で落とせない。
「会長~。お米って結局NGなんでしたっけ?」
「焼きおにぎりとか炒飯とか、白米からさらに火を通したものだけ可。パックごはんならOK出してもいいけど、割に合わないから使うとこはないと思う」
「おっけーでーす」
軽い返事を残して、質問をした金谷さんは目の前の書類に向かい直す。
「あの……生の果物とかもダメなんですね」
「水分多くて腐りやすいからね。ジャムとかなら良いんだけど」
「なるほど……」
ついで質問した宍戸さんも、納得した様子で頷いて書類に向かう。
今、後輩ちゃんたちにお願いしているのは、夏休みの間にBOXに投函されていた、学園祭の出店計画書だ。
七月頭の申請書と違って、こっちは具体的な出店内容をまとめて貰ったものだ。
そこにNG要素があるかどうかをチェックするわけだけど、特に飲食店に関しては食品衛生的な可否を確認するのがメインになる。
このご時世、保健所の指導はかなり厳しい。
学園祭の出店であっても、定められた衛生基準をクリアしないと出店自体ができない決まりとなっている。
「なあ、このパブリックショールームってなんだ? お前んとこだけど」
アヤセが、ウチのクラスの出店表を掲げる。
私は瞬時にそれを奪い取って、自分の手で認可のチェックを入れた。
「大丈夫、文化だから」
「いや、まったくもってわけがわからん。どゆことよ心炉」
「なんでもポールダンスショーやるそうですよ。私はノータッチなので、詳しいことは分かりませんが」
心炉のジト目が私を射貫く。
そんな、当事者みたいな扱いされても困るんだけど。
私の役目は説明責任と認可を果たすこと。
ちなみに説明に関してはクラスの担任を通して、既に良い感じに言いくるめてある。
やっぱり〝文化〟は強ワードだった。
「ポールダンス! なんかいかがわしいですねえ……会長も踊るんですか?」
なぜか飛びつく金谷さんに、私は強めに首を横に振る。
「私は裏方。それにいかがわしくないようにするのがそもそもの条件だから、クリーンでスポーティな出し物になるよ」
実際、どういう感じで進んでるのかは知らないけど。
その辺は口酸っぱく言ってあるし、雲類鷲さんの感性はある程度信用しているし、たぶん大丈夫だろう。
そんな中、席を外していた銀条さんと穂波ちゃん、あと宍戸さんが部屋に戻って来る。
「お母さんからスイカの差し入れです。良かったらどうぞ」
三人はそれぞれ両手で抱えるほどのお盆と、その上に乗った大量のスイカを持っていた。
「毎年、お得意さんに大量に貰うんですよ。小さな村なので」
穂波ちゃんは、どこか得意げに語った。
そういうことならと、作業を休憩にしてスイカをいただくことにする。
スイカなんていつぶりだろう。
少なくとも高校に入ってからは初めて食べるような気がする。
このみずみずしくてちょっとベタベタする果汁。
そうそう、こんな感じ。
ふと、何やら真剣な表情でスイカに向かう宍戸さんが目に入った。
彼女はつまようじを手に、果肉から種を丁寧に取り除いている。
あんまり真剣なものだから思わず笑みをこぼしてしまった。
「な、何かヘン……ですか?」
流石に気づかれてしまったようで、彼女は恥ずかしそうにうつむいてしまう。
「ごめん。そんなつもりはなかったんだけど。でも気持ちはわかるよ」
正直、種がないに越したことないよね。
私は食べながら都度吐き出すほうだけど、ほじくるにしても吐き出すにしても、どうしても綺麗な印象にならないのがスイカの難点だと思う。
美味しいんだけどね。
「種なしスイカ食べたことありますけど、あまりおいしくはなかったですね。甘さが弱くて」
そう語る銀条さんは、種を取るでも吐き出すでもなく、そのまま飲み込んでしまうタイプのようだった。
お淑やかに見えて意外と豪快。
スイカで糖分を取ったところで再び書類作業へと戻る。
この後、これまでの前期予算のまとめ作業もあるのだけれど……まあなんとか、日暮れまでには終わるかな。
そうこうしている間に時刻は夕食時。
長時間机にかじりついてすっかり意気消沈した私たちだったけど、美味しそうな旬菜御膳が部屋に運ばれてくると、瞬く間に気力を取り戻していった。
「こほん……そういうわけで星さん、アヤセさん、金谷さん、銀条さん。四人ともお誕生日おめでとうございます」
心炉の口上と共に、パチパチと部屋に拍手が響く。
こういうのを仕切るのは初めてだろう心炉は、言い終わると恥ずかしそうに軽く顔をそむけた。
「お母さんにケーキも用意してもらってるので、デザートのタイミングで持ってきますね」
また得意げに語る穂波ちゃん。
始めはなんなんだろうなって思ってたけど、たぶん、単純に家にみんなを呼べたのが嬉しいんだろうなって気がする。
寮生活で、誰かを招くなんて機会はほぼ無かったもんね。
それは同時に、穂波ちゃんにとって自分のふるさとは、みんなに紹介したいくらい好きな場所ってことなんだろう。
それもまた、なんか良いなって思う。
どうかそのまま、真っすぐにすくすくと育っておくれ。
「何から何までありがとう。女将さんには改めてお礼言っとかなきゃね」
とりあえず、明日の掃除は頑張ろう。
部活の合宿の時なんかは、来た時より綺麗にして返せって言われたものだ。
話の腰を折るように、心炉が小さく咳ばらいをする。
「それじゃあ、プレゼント進呈と行きましょうか……で、誰から行きます?」
彼女はそのまま、牽制するように視線を巡らせる。
今回、合宿の夕飯の席で誕生会をするというのは初めから織り込み済み。
もちろんプレゼントの話も出たのだけど、ひとつだけ条件を出した。
――モノではなく、ひとり一芸を披露すること。
旅先なので、荷物を増やすのは持ってくる側も受け取る側も、ちょっとは気を遣いたい。
だから〝モノ〟ではなく、楽しめる〝時間〟をプレゼントしようということになったのだ。
「じゃあ、トップバッター金谷&銀条! 歌いまーす!」
金谷さんが、銀条さんの腕をひっぱって立ち上がる。
祝われる側がトップバッター行っちゃうんだ。
こういう時、変に譲り合うよりは、誰かが強引に始めてくれたほうがありがたいけどさ。
金谷さんと銀条さんのふたりは、十八番らしいアイドルソングを振付も完璧で歌いきってくれた。
確か、前のカラオケの時も別の曲でやってくれたっけ。
ふたりの持ちネタなのかもしれない。
若干イヤイヤそうだけど、キレの良いダンスで合わせる銀条さんも流石だ。
「あ、そういう流れでいいの? じゃあ私も行っとくか、ドリカム」
二番手。
またしても祝われる側からアヤセが参戦する。
金谷さんたちもそうだけど、よくスマホからの音響でこうも気持ちよく歌えるもんだ。
「この間も思いましたけど、アヤセ先輩、歌上手いですよね」
銀条さんが、私とは別の純粋な関心を寄せた。
「アヤセ、基本的に多方面にハイスペックだから……」
何かひとつできるヤツって、基本的に他のこともできるんだよね。
ことアヤセは、芸術関係に対しての素養はことかかない。
一方で、ユリみたいに勉強以外なら何でもできる特異体質のヤツもいるけど。
「なんかこのままカラオケ大会で良いんじゃないかってノリですね」
ふと、心炉が呟いた。
彼女にとっては何となく口にしただけだったんだろうけど、待ってましたと言わんばかりに金谷さんが乗っかる。
「お、いいですね~。じゃあ、優勝者は明日一日王様になれるとか商品つけましょう」
「そう言うと思って、宴会場からカラオケ機材運んでもらうよう電話しました」
「でかした穂波ちゃん!」
備え付けの電話の傍で、穂波ちゃんがグっと親指を立てる。
なんて行動の早い……でも、歌うだけでいいなら一発芸するよりは気持ちは楽かもしれない。
「宍戸さんも、カラオケ大会で大丈夫?」
「え……あ、はい、そうですね」
話を振られると思ってなかったのか、ちょうどおかずを頬張ってた彼女が、口元を押さえながらもごもごと答えた。
そのまましばらく、しっかりと咀嚼して、こくりと口の中のものを飲み込む。
「カラオケなら……その、変なギャグをしなくて済んだので……むしろホッとします」
どうやら、彼女も同じ考えだったみたい。
そんなこと言われると、いったい彼女がどんなネタを用意していたのか気になってしまうけど。
「学校の名前で泊ってるんだから、ご飯の時間の間だけにしようね」
それだけは約束をさせて、私も提案を受け入れた。
あんまり遅くまで騒ぐのは他のお客に迷惑だし、ほどほどに切り上げよう。
そして寝る前にもう一回くらいはお風呂に入っておきたい。