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11月25日 フェアプレーの精神

 久しぶりに、今日は始業ギリギリの登校になった。

 ユリがウチに来てからというもの、彼女の生活リズムに合わせるように、ここしばらくは普段より早めの支度がクセになっていた。

 だけど、人間の体内リズムって言うやつは二週間程度じゃ時刻合わせが上手くいかないようで、溜まりに溜まった自律神経の負債というやつが、今日になってどっと押し寄せた。


 要するに、朝起きられなかった。

 正確には、ユリが起こそうと頑張ってくれたけど、私の方が起き上がることができなかった。

 その結果、ユリに先に行くように言い残していたらしい。

 低血圧下での朝のぼんやりとした意識の中で、あんまり記憶には残っていないのだけど、母親の話を聞くにそういうことらしかった。


 遅刻するほどの時間ではないので、急がなくっちゃいけないほどではない。

 すっかり体に刻まれた「ギリギリ遅刻しない速度とルート」を守って、一路学校へと向かう。


 ウチの高校には通学ラッシュの時間というものがいくつか存在する。

 これは地方という、電車やバスが一時間に一本(朝なら二本ある路線もある)しか走っていない交通状況によるものだ。

 そんなラッシュ時間のひとつが、この始業間際。

 電車で言えば始発から数えて三本目。

 遠方から来ている生徒だと、最寄り駅からは実質これが始発――なんて地域もあるそうだ。

 もちろん、そういう地理的な事情だけじゃなくって。

 これに乗りさえすればちょうど間に合うから、と好んで選ぶ人もいるだろうし。

 単純に私のように、始業ギリギリに近場から歩いて通ってくる生徒もいる。


 つまり、もっとも個人的な多様性に溢れる時間帯とも言える。


 そんな、朝の最終ラッシュとも言える南高生の雑踏の中に、見慣れた後ろ姿を見かけた。

 今日は天気の方も比較的陽気で、まだコートなんかを羽織るほどではない。

 それでもジャージとか、薄手の羽織るもの一枚はないと身体が冷えてしまうけれど。

 そんな「薄手の一枚」として、鮮やかに目立つ桜色のカーディガン目掛けて、そっと声をかける。


「おはよう」


 かなり遠慮したつもりだったのだけど、私に声をかけられて彼女はびくりと驚いたように身体を揺らした。

 それから、弾かれたようにこちらを振り向いて、同時にほっと胸をなでおろした。


「お、おはようございます……」


 挨拶を返して、宍戸さんはずり落ちたスクールバッグを肩に担ぎ直す。


「ごめん。びっくりさせたみたい」

「いえ、わたしの方もぼーっとしていたので……通学路で声をかけられるとか、思ってもみなかったので」


 声をかけた手前、学校までの残り数百メートルを並んで歩く。

 信号ふたつほど超えた先に、何度となくくぐった校門が見えていた。


「いつもひとりなの? 穂波ちゃんとかは?」


 自分で言ってから、ああ彼女は朝練か……と勝手に納得する。


「朝は部活があるそうなので……」

「剣道部の朝練とか、私絶対にやだな……」


 絶対に汗臭いだろうし……シャワー浴びる時間があるとは考えられない。

 いや、別に穂波ちゃんとか、ウチの姉とかを臭いって感じたことはないけれど、自分がそうなるって思ったら、状況的になんか嫌だ。


「星先輩って、剣道部だったんですよね……?」


 宍戸さんは、自信なさそうに首を傾げる。

 たぶん、穂波ちゃんから聞いたのかな……とも思ったけど、思えば選挙新聞で大々的に写真乗っけてしまっていたっけ。


「在籍はしてたけど幽霊部員だよ。ウチの高校、どこかの部活には所属しないといけない決まりだから」


 懐古的な考えだけど、進学校としては合理的な校則だ。

 進学のことを考えたら、帰宅部よりは、部活体験があるに越したことはない。

 特筆する成績がなくても、内申に書けることが増えるってもんだ。


「宍戸さんは、まだ料理愛好会を続けてるんだよね?」

「はい……元部長さんたちも、たまにですが遊びに来てくれますし……」


 あそこの元部長って言えば……あの下手に見せかけて押しの強い人か。

 琴平さんと似たような所を感じるし、その結果として私は苦手だ。


「もし、クリスマスコンサートが上手くいったら、転部とか考えてるの?」

「え……?」


 質問の意図がよく分からない、と言った様子で彼女は目を丸くした。


「吹奏楽部。こう言っちゃなんだけど、ウチの吹奏楽部はレベル高いから……たぶん、宍戸さんが居た中学よりもずっと。だから、宍戸さんのありのままの演奏も受け止めてくれると思う」

「どう……でしょう」


 宍戸さんは戸惑った様子で俯く。

 それが何に対する戸惑なのか計り切れず、それ以上下手に突くのはやめておいた。


「ほんとなら、部活の兼部化を進められたら良かったんだけどね。選挙の結果は結果として受け取めるしかないから……」

「いえ、わたしは……」


 首を振って、彼女はたどたどしく、言葉を紡ぐ。


「好きな人と、楽しく演奏できれば……それで満足なんだなって思います。クリスマスコンサートも、慣れない楽器は大変ですけど……でも、楽しみなのは本当で。合奏も、久しぶりにできて楽しくて……」

「だったら、良いんだけど」

「きっといい演奏にします。だから、無理にでも誘ってくれて、先輩にも穂波さんにも、感謝してます」


 うん……まあ、半ば脅迫みたいな感じだったもんね。

 それを前向きに捉えてくれているのなら、それ以上にありがたいことはない。


「あ、そうだ……良かったら、ユリ先輩にも聞きに来てもらえたら嬉しいなって。私の演奏、聞いてもらえる機会なんてないかもですし……」

「ああ……それはたぶん、難しいかも」

「あ……何か、用事があるんですか?」

「お父さんの退院の日が重なりそうでさ」

「ああ……」


 正直に告げると、宍戸さんはがっかりしたように眉を下げた。

 だけど納得もした様子で、小さく頷く。


「ダメ元だったので……大丈夫です。それに、来たら先輩も嬉しいのかなって……ちょっと思っただけなので」

「うん……そうだね」


 話しているうちに、数百メールの通学路はあっという間に過ぎて行った。

 校門をくぐって昇降口へ向かうと、そのまま学年ごとに玄関口が分かれて行く。


「それじゃあ、わたしはこれで……」

「うん。今日も一日頑張ろう」


 そんな当たり障りのない会話を交わして、私たちはそれぞれの教室へと向かっていった。

 いいタイミングだなって思ったけど、流石に口にできなかった。

 アヤセに伝えるのとじゃ、やっぱり重みが違うよね……。

 恋愛にフェアプレーの精神なんてもの求めてないし、そもそも無いと思うけど、なんとなくフェアでいたかったのは罪悪感によるものだったと思う。

 私だけが宍戸さんの想いを知っていて、そのうえで対抗する道を選んだ。

 ある意味で彼女は、去年までの私だ。

 憧れを憧れのままで満足していた自分。

 満足するようにと言い聞かせてきた自分。


 だけど……やっぱり、恋はフェアじゃない。

 動いた者にだけ、よくも悪くも道が示される。

 罪悪感なんて抱く必要はないんだ。

 そう、自分の心に言い聞かせた。

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