「さむ……」
朝、目が覚めて、真っ先にこぼれたのが悪態だった。
肌だけじゃない。
骨の髄まで冷え切ってしまったような……あえて表現するなら〝痛寒さ〟。
空気が凍り付いて、部屋がまるでひとつのブロック氷みたいになった感じ。
世界から音が消えたような、独特の静けさ。
自分の身じろぎと、衣擦れの音がやけに大きく聞こえる。
カーテンを閉めたままでも、外の様子がありありと目に浮かぶようだった。
十八年もこの街で過ごしていると、そういうのばかり敏感になって嫌になる。
「見てみて!」
ユリがカーテンを開けて、はしゃぎながら窓の外を指さす。
いつもよりも眩しく感じる曇り空をバックに、街に雪が降っていた。
「うわぁ」
私は眉間にしわを寄せながら、ベッドの上から引っ張り出した毛布を肩にかける。
ちなみに……冷え性で寒がりな私は、とっくに布団と毛布の二枚重ねの就寝環境だ。
「窓開けていい!? 換気しよ換気!」
「いいけど五分だけね」
いうや否や、がらりと窓が開け放たれる。
ざわっと澄んだ寒気が流れ込んできて、僅かにプラスを保っていたであろう部屋の中の空気が、一気に氷点下まで落ち込んだような気がした。
ユリは、一度はぶるっと背中を震わせながらも、次の瞬間には楽しそうに笑って、窓の向こうに広がる景色をのんびりと眺める。
「流石にまだ積もってないねー」
「初雪ってそんなもんでしょ。たぶん、日中には全部溶けるよ」
「そかあ。じゃあ、今だけの特別な時間だねぇ」
「そうだね」
特別な時間ね。
そう言われてみたら、寒がりにはテンサゲでしかない雪景色も、少しは綺麗なものに感じられるような気がする。
少なくとも、ユリと過ごすこういう時間は、今だけのものだろう。
今年の冬は、きっとあっという間だ。
朝の身支度を整えて、クローゼットからクリーニング屋の袋に入ったままだったコートを引っ張り出す。
今まではカーディガンやウィンドブレーカーで耐えられた通学路も、流石にもう、裏地のある冬コートでなければ耐えられないだろう。
「ユリってコート持って来てたっけ?」
「あ、そう言えば持ってきてないや」
「何か貸す?」
「うーん……たぶん、今日ぐらいなら大丈夫! テストで午前中だけだし。帰りに家に寄って取ってこようかな」
「それが良いよ。来週はもっと本格的っぽいから、今度こそ積もるかも」
「じゃあ、ブーツも持って来なきゃだね」
確かにローファーも厳しくなってくるね。
履けないことはないけれど、本格的に積もったらつるつる滑って仕方がない。
今日は道がびちゃびちゃだろうから、むしろ革靴の方が靴下の安全が守られそうだけど。
「タイツに靴下って、普通にダサいよね……」
真っ黒に染まった足に、くるぶし丈の靴下を重ね履きしながら、ユリが憂鬱そうに言う。
「見た目気にするなら中に履けばいいのに」
ちょっとムレるけど、私はそうしている。
黒かベージュの靴下ならそんなに変な感じもしないし。
「なるほど。それは盲点だ」
ユリは感心しながら、自分のスカートの中に手を突っ込んで、ずるっとタイツを引き下げた。
私はぎょっとして、思わず目を逸らしてしまう。
「ちょっと、はしたないことしないでよ」
「ええー、急がないと学校遅れちゃうよ。朝は貴重な勉強タイムなのに」
勉強タイムとは、ユリの口からすごい言葉が出たもんだ。
テスト期間だし、最後の確認タイムって気持ちは分かるけどね。
どれだけ準備をしても足りない気がする。
それがテストってもんだ。
「はっくしょい……! おおー」
通学路の途中で、ユリが大きなくしゃみをひとつする。
大丈夫とか言ってたくせに、言わんこっちゃない。
素直に私のお古を借りてけば良かったのに。
「ジャージならあるけど羽織っとく?」
「ううー、でもあとちょっとだから我慢する」
「お前は何と戦ってるんだ」
「冬将軍?」
「この程度なら将軍どころか足軽でしょ」
「おお……今日の空気みたいにキレッキレだね!」
ユリは、謎に嬉しそうにしながらサムズアップをする。
狙ったわけでもないのに狙った感じになったのがなんかこっ恥ずかしくって、照れ隠し代わりにジャージを頭の上からかけてやった。
「どうせテストだから使わないし、帰るまで着ときな」
「え、じゃあなんで持ってきたの?」
たぶんこうなると思ったからだよ、なんてのは恩着せがましい気がして言えない。
「万が一、寒かった時用だよ。でも、コートさえ着てれば大丈夫そうだし」
「そう? じゃあ借りとくね」
もぞもぞとジャージを着こむユリの隣で、雪が降り注ぐ分厚い雲を見上げる。
ほんと、冬ってやつは憎らしい。
たぶん、一年の中で一番嫌いな時期。
単純に寒い。
雪は歩きづらい。
流れて行くだけ、雨の方がまだマシだ。
かといって夏も嫌い。
暑いのも寒いのも嫌。
何事も真ん中がちょうどいい。
突出するのは基本的に剥いてないんだ。
「ねーねー、見て」
呼ばれて視線を隣に戻す。
すると、ユリはジャージを頭にかぶったまま、袖に手を通してドヤ顔を浮かべていた。
「ジャミラ」
「また小学生みたいなことを」
ため息をつきながら、襟をちゃんと肩にかけてやって、前のジッパーもあげてやる。
こうなるともうセーラー服なんてすっぽり隠れちゃうから、女子高生感のかけらもないね。コート着てる方もそうだけどさ。
「体調管理も受験の一環だから、無理は絶対にしないこと」
「はーい」
ユリは、返事だけは元気よくしながらマフラーを首に巻きなおす。
それだけすれば、学校までくらいは持つだろう。
これからまだまだ寒くなっていく。
雪だってきっと、路肩いっぱいに山になって溜まって行く。
それが溶けるころには、すべてに決着がついているんだと思えば、この雪はきっと、開戦ののろしみたいなものだと思った。