以前の合奏は、文字通り聞くに堪えないものだった。
単純に練度が足りて無かったり、そもそも合奏っていう行為が初めて(小中学校の音楽で多少なりの経験はあるだろうけど)だったり、慣れない楽器だったり、理由は様々だったけど。
とにかくあれからそれぞれ練習を積んで、久しぶりの合奏練習。
場所は相変わらずのショーワで、学割二時間貸しの短期集中特訓だ。
見学に来てくれた天野さんの提案で、とりあえずミスがあっても、止めずに最後までやってみることになった。
代わりに「失敗しても何食わぬ顔で演奏を続けること」というのがオーダーで、それに則りながらひと通りを弾き終えたのが今しがたのことだ。
合奏で通しでやるのは、個人練でやるのよりも数倍は体力を使う。
演奏が終わったころには、冬なのにじっとり汗をかいて、額をタオルで拭う羽目になった。
「思ったより完成度が高くて良かったよ。これなら、本番までは精度や表現力を高める練習に時間を割けそうだね」
パチパチと拍手をしながら、天野さんがニコニコ笑顔を浮かべる。
すると須和さんが小さくお辞儀をしてから、すたすたと彼女の方へと歩み寄った。
そのまま何やら打ち合わせのようなことを始めてしまったので、置き去りになった私たちは束の間の休憩を満喫する。
天野さんとちゃんと面識があるのは、この中では私とユリくらい。
クリコンの話を持って来てくれた張本人ということもあり、紹介がてらという認識ではあったけど、ガルバデのギターとベースの練習に付き合ってくれた人と言ったら、みんなあっという間に受け入れてくれた。
みんな何かしらでガルバデに関わっていたし、唯一絡みのない須和さんも音楽学校出身だと知ると、すぐに「信用して良い人」と警戒を解いたようだった。
まあ、それは良いとして。
私の目下の心配は、もうひとりの見学者の方。
スタジオの隅に座っていたユリは、演奏の最中も、終わった後も、ぽかんと目と口を丸くしたまま固まってしまっていた。
「ユリ、寝てる?」
「へ!?」
声をかけると、ようやく意識が戻って来た様子で、弾かれたように顔を上げる。
それから思い出したように、パチパチと拍手をしてくれた。
「や……びっくりしちゃった! まさか、こんなこと準備してたなんてね! あたしにナイショで……!」
「う……」
最後のひと言が、エグいボディブローになって胃腸に響く。
「いつから準備してたの?」
「十月くらいから……」
「そーなんだ」
ユリはカレンダーでも思い返しているのか、しばらく目が宙を泳いだ後、もう一度私たちに向き直ってニヘラと笑った。
「言ってくれたら良かったのに」
「そしたら……絶対にユリもやるって言ったでしょ?」
「む、むぅ……」
ユリは素直に黙りこくってしまう。
すると、痺れを切らしたようにアヤセが口を挟む。
「いやあ、まあ、な。ユリが受験に集中できるようにって、こいつもいろいろ考えてたみたいだし……その辺は察してやってくれ」
「ううぅ……」
アヤセの言葉に、ユリはさらに唸る。
むつかしい顔をして、ぎゅっと目をつむって居たけれど、やがて緊張を解いて、小さく息をついた。
「あたしだって、向こう見ずじゃないよ。言ってくれたら、ちゃんという事聞いたと思う」
「ほんとかな……?」
「うう……たぶん、きっと……おそらく」
念を押すように尋ねると、ユリの返事はどんどん曖昧になっていった。
彼女も自分の性格を分かっているなら、ちょっと意地悪な言い方だったかな。
私はペットボトルの水をひと口含んでから、喉元まで出かかっていた焦燥感を一緒に飲み込んだ。
「正直、私はいらない心配だと思ってましたけど」
心炉のお小言が耳に痛い。
言う通り、いらない心配だったのかも。
だけど万が一があるのなら、その『一』を潰す方法を私は考えてしまう。
そうじゃないうと、自分が安心できないから。
たぶん、ユリのためじゃなくて自分のための選択……だったのかもしれない。
悪いこと、しちゃったのかな。
思えば思うほど気が滅入ってしまう。
「詳しいことはあとで話すから……虫のいい話かもしれないけど、今は応援してくれると嬉しい」
本当に虫のいい話だ。
だけど、取り繕う言葉ももう出て来なくって。
それぐらい素直に気持ちを伝えた方が、彼女には良いんじゃないかって。
だからこれは、希望みたいなものだった。
「うん、分かった。応援する」
ユリは、笑顔で頷いてくれた。どっと肩の荷が下りた気分だった。
「でも……」
「え?」
「……んーん、なんでもない!」
何か言いかけていたような気がしたけど、ユリの方から話を切られてしまった。
彼女がそれで良いって言うなら、私の方から突っ込んで聞く話ではない……のかもしれない。
ちょっとだけ心に引っかかる所はあるけれど、今は――
「聞いて」
今はもっと、集中しなければならないことがある。
そう思うのと同時に、須和さんが手を叩いて注目を集めた。
「今日は、時間の続く限り通しの練習をする。それぞれの演奏が曲の中でどんな役割を持っているのか、繰り返し、耳で聞いてもらう」
「耳ですか……?」
穂波ちゃんがいまいち理解してない様子で聞き返すと、隣でトランペットを抱えた宍戸さんが神妙な面持ちで頷く。
「合奏で大事なのは、とにかく周りの音を聞くことだから……タイミングとか、ハーモニーとか……そこに自分の音が溶け込んでるってのを実感できれば、それはちゃんと『合奏できてる』ってことになる」
「なる……ほど?」
理解しようと頑張っていたんだろうけど、無理はできないようで、最後の最後で穂波ちゃんは首をかしげてしまった。
天野さんがクスリと笑みを浮かべる。
「指揮者がいるなら、演奏中でも軌道修正してくれるんだけどね。今回の演奏はそうじゃないから、それぞれが周りの音を聞いて、自分で合わせて行かなきゃいけないんだ。だから、聞くことがとにかく大事なんだよ」
「なるほどです……でも、できますかね」
今のところ、自分の演奏をするので精一杯の彼女にとっては、なかなか大変なことかもしれない。
それでも練習を重ねて行くうちに、少しずつできるようになっていくだろう。
成長って、そういうことだ。
「あ、じゃあ練習中はあたしが指揮をして――」
そう言ってあげかけた手を、ユリはしおしおと自分から下ろしていった。
そのまま反省するように正座をして、バツが悪そうにうつむく。
「静かに応援してます」
「よくできました」
自重できたことはちゃんと褒めてあげよう。
とはいえ、やっぱりこうなるんだから、この段階までユリに打ち明けなかったことは正解……だったのかもしれない。
それもまた自分を納得させるための詭弁だろうけど、うじうじ悩んでいるよりは、よっぽど前に進んだような気がした。