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12月4日 よくできました

 以前の合奏は、文字通り聞くに堪えないものだった。

 単純に練度が足りて無かったり、そもそも合奏っていう行為が初めて(小中学校の音楽で多少なりの経験はあるだろうけど)だったり、慣れない楽器だったり、理由は様々だったけど。

 とにかくあれからそれぞれ練習を積んで、久しぶりの合奏練習。

 場所は相変わらずのショーワで、学割二時間貸しの短期集中特訓だ。


 見学に来てくれた天野さんの提案で、とりあえずミスがあっても、止めずに最後までやってみることになった。

 代わりに「失敗しても何食わぬ顔で演奏を続けること」というのがオーダーで、それに則りながらひと通りを弾き終えたのが今しがたのことだ。

 合奏で通しでやるのは、個人練でやるのよりも数倍は体力を使う。

 演奏が終わったころには、冬なのにじっとり汗をかいて、額をタオルで拭う羽目になった。


「思ったより完成度が高くて良かったよ。これなら、本番までは精度や表現力を高める練習に時間を割けそうだね」


 パチパチと拍手をしながら、天野さんがニコニコ笑顔を浮かべる。

 すると須和さんが小さくお辞儀をしてから、すたすたと彼女の方へと歩み寄った。

 そのまま何やら打ち合わせのようなことを始めてしまったので、置き去りになった私たちは束の間の休憩を満喫する。


 天野さんとちゃんと面識があるのは、この中では私とユリくらい。

 クリコンの話を持って来てくれた張本人ということもあり、紹介がてらという認識ではあったけど、ガルバデのギターとベースの練習に付き合ってくれた人と言ったら、みんなあっという間に受け入れてくれた。

 みんな何かしらでガルバデに関わっていたし、唯一絡みのない須和さんも音楽学校出身だと知ると、すぐに「信用して良い人」と警戒を解いたようだった。


 まあ、それは良いとして。

 私の目下の心配は、もうひとりの見学者の方。

 スタジオの隅に座っていたユリは、演奏の最中も、終わった後も、ぽかんと目と口を丸くしたまま固まってしまっていた。


「ユリ、寝てる?」

「へ!?」


 声をかけると、ようやく意識が戻って来た様子で、弾かれたように顔を上げる。

 それから思い出したように、パチパチと拍手をしてくれた。


「や……びっくりしちゃった! まさか、こんなこと準備してたなんてね! あたしにナイショで……!」

「う……」


 最後のひと言が、エグいボディブローになって胃腸に響く。


「いつから準備してたの?」

「十月くらいから……」

「そーなんだ」


 ユリはカレンダーでも思い返しているのか、しばらく目が宙を泳いだ後、もう一度私たちに向き直ってニヘラと笑った。


「言ってくれたら良かったのに」

「そしたら……絶対にユリもやるって言ったでしょ?」

「む、むぅ……」


 ユリは素直に黙りこくってしまう。

 すると、痺れを切らしたようにアヤセが口を挟む。


「いやあ、まあ、な。ユリが受験に集中できるようにって、こいつもいろいろ考えてたみたいだし……その辺は察してやってくれ」

「ううぅ……」


 アヤセの言葉に、ユリはさらに唸る。

 むつかしい顔をして、ぎゅっと目をつむって居たけれど、やがて緊張を解いて、小さく息をついた。


「あたしだって、向こう見ずじゃないよ。言ってくれたら、ちゃんという事聞いたと思う」

「ほんとかな……?」

「うう……たぶん、きっと……おそらく」


 念を押すように尋ねると、ユリの返事はどんどん曖昧になっていった。

 彼女も自分の性格を分かっているなら、ちょっと意地悪な言い方だったかな。

 私はペットボトルの水をひと口含んでから、喉元まで出かかっていた焦燥感を一緒に飲み込んだ。


「正直、私はいらない心配だと思ってましたけど」


 心炉のお小言が耳に痛い。

 言う通り、いらない心配だったのかも。

 だけど万が一があるのなら、その『一』を潰す方法を私は考えてしまう。

 そうじゃないうと、自分が安心できないから。


 たぶん、ユリのためじゃなくて自分のための選択……だったのかもしれない。

 悪いこと、しちゃったのかな。

 思えば思うほど気が滅入ってしまう。


「詳しいことはあとで話すから……虫のいい話かもしれないけど、今は応援してくれると嬉しい」


 本当に虫のいい話だ。

 だけど、取り繕う言葉ももう出て来なくって。

 それぐらい素直に気持ちを伝えた方が、彼女には良いんじゃないかって。

 だからこれは、希望みたいなものだった。


「うん、分かった。応援する」


 ユリは、笑顔で頷いてくれた。どっと肩の荷が下りた気分だった。


「でも……」

「え?」

「……んーん、なんでもない!」


 何か言いかけていたような気がしたけど、ユリの方から話を切られてしまった。

 彼女がそれで良いって言うなら、私の方から突っ込んで聞く話ではない……のかもしれない。

 ちょっとだけ心に引っかかる所はあるけれど、今は――


「聞いて」


 今はもっと、集中しなければならないことがある。

 そう思うのと同時に、須和さんが手を叩いて注目を集めた。


「今日は、時間の続く限り通しの練習をする。それぞれの演奏が曲の中でどんな役割を持っているのか、繰り返し、耳で聞いてもらう」

「耳ですか……?」


 穂波ちゃんがいまいち理解してない様子で聞き返すと、隣でトランペットを抱えた宍戸さんが神妙な面持ちで頷く。


「合奏で大事なのは、とにかく周りの音を聞くことだから……タイミングとか、ハーモニーとか……そこに自分の音が溶け込んでるってのを実感できれば、それはちゃんと『合奏できてる』ってことになる」

「なる……ほど?」


 理解しようと頑張っていたんだろうけど、無理はできないようで、最後の最後で穂波ちゃんは首をかしげてしまった。

 天野さんがクスリと笑みを浮かべる。


「指揮者がいるなら、演奏中でも軌道修正してくれるんだけどね。今回の演奏はそうじゃないから、それぞれが周りの音を聞いて、自分で合わせて行かなきゃいけないんだ。だから、聞くことがとにかく大事なんだよ」

「なるほどです……でも、できますかね」


 今のところ、自分の演奏をするので精一杯の彼女にとっては、なかなか大変なことかもしれない。

 それでも練習を重ねて行くうちに、少しずつできるようになっていくだろう。

 成長って、そういうことだ。


「あ、じゃあ練習中はあたしが指揮をして――」


 そう言ってあげかけた手を、ユリはしおしおと自分から下ろしていった。

 そのまま反省するように正座をして、バツが悪そうにうつむく。


「静かに応援してます」

「よくできました」


 自重できたことはちゃんと褒めてあげよう。

 とはいえ、やっぱりこうなるんだから、この段階までユリに打ち明けなかったことは正解……だったのかもしれない。

 それもまた自分を納得させるための詭弁だろうけど、うじうじ悩んでいるよりは、よっぽど前に進んだような気がした。

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