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12月13日 白鳥の湖

 昨日、生徒会から呼び出しを受けた私は、昼休みの生徒会室を訪れていた。

 食事してからでいいという事だったので、サバサンドでさくっと済ませた私は、一緒に食べていたユリたちに見送られて目的地へ向かう。


 扉をくぐると、銀条さんがすっかり定位置となった奥の会長デスクに――ではなく、作業用の長テーブルの一角に座って待っていた。

 その隣に、見知らぬ女生徒がひとり座っている。

 少なくとも、私の知っている役員ではない。

 新人か、それとも遊びに来ているだけなのか。

 内履きのラインカラーから二年生だということは分かったけれど、それ以上の情報は持ち合わせていなかった。


「ごめん。待たせちゃった……のかな?」


 入室時にすっかり注目を集めてしまった私は、社交辞令的に謝っておく。


「いえ、私たちも今、昼食を食べ終えたばかりだったので」


 そう答えた銀条さんと、もう一人の生徒は、確かに広げたお弁当箱をたった今片付けるところのようだった。

 話をする準備ができるのを待つ間に、私はパイプイスを引いて彼女たちの向かいに座る。

 一応は私のほうが上級生のはずなのに、なんだかバイトの面接でも受けるようなアウェイ感が漂っている。


「わざわざ来ていただいてすみません。実は、用事があるのは私ではなく、隣にいる彼女の方で」


 銀条さんが視線を隣へ送る。

 女生徒は、一礼してから真っすぐに私を見た。


「二年七組の東海林です。吹奏楽部の現部長を任されています」

「吹奏楽部……?」


 思いもよらなかったワードが飛び出して来て、思わず聞き返すように呟いてしまう。

 流石に呆けているのは失礼なので、すぐに気を取り直して東海林と名乗った女生徒へ向き直る。


「三年の狩谷です。吹奏楽部の方が、私に何か?」


 心当たりは、あると言えばあるし、ないと言えばない。

 例えば、何かと音楽室を使わせてもらっていたり、音楽室の備品を貸して貰っていたり。

 その部屋の主である吹奏楽部の子たちからすれば、あまり面白くはないかもしれないが……一方で、学校の備品である以上は、私たちにも使用する権利は一応ある。

 それも、勝手に持ち出しているわけではなく、顧問である音楽教師に許可は貰っているし。


「前置きでややこしくなるのは面倒なので、単刀直入に言います」


 東海林さんは、初見の先輩相手に物怖じする様子など微塵もなく、ハキハキとしたしゃべり口で語った。


「須和先輩を吹奏楽部に返してください」

「……はい?」


 意味が分からなかった。

 分かろうと短い間に脳みそはフル回転しているけど、どうして今その言葉が私に浴びせかけられているのかが、全く理解できなかった。


「ごめん……事情を説明してもらっても良い?」

「喜んで。今、先輩たちが須和先輩と共に、クリスマスコンサートに向けて練習を重ねていることは知っています」

「うん、まあ」

「ですが本来、須和先輩は吹奏楽部としてコンサートに出場する予定だったんです」

「……そうなんだ?」


 それは初耳だ。

 須和さん、そんな事ひと言も……いや、彼女の性格を思えばきっと、不必要なことは言わなかったというだけのことだろう。


「でも、彼女はもう吹奏楽部を引退しているよね? それで、出るつもりだったの?」

「引退というのは、あくまで『部活に顔を出さなくなる』という宣言のことで、校則上は三月の卒業まで部に籍はあるはずですよね」


 それはもちろんそうだけどさ。

 でも、私はそういうことを言いたいんでなく。


「もちろん大会に出場することはできませんが、外部のコンサートなら別です。本来、須和先輩は、音大の入試に向けたトレーニングも兼ねて、吹奏楽部としてクリスマスコンサートに出演する予定だったんです」


 そういう事か。

 ようやく事情が飲み込めてきた。

 だけど、そういう事なら、こちらにも返す言葉はある。


「だけど、彼女が吹奏楽部で出演しなければならない……なんてことは、ないはずだよね。団体そのものの出演取り消しはまだしも、メンバー個人の出欠は、当日でも関係ないはずだし」

「その通りです」

「そのうえでスワンちゃん――須和さん自身が、私たちと一緒に出演したいと言ってくれているのなら、それは彼女の勝手というか、吹部の子たちが口を出すことでは無いんじゃない?」

「それも……その通りです」


 あちらも、そのことは織り込み済みなのだろう。

 いくらか痛いところを突かれたような苦い顔をしつつも、東海林さんは引かずに、身を乗り出す勢いで言う。


「聞くところによれば、須和先輩、サックスパートだそうじゃないですか。高校最後の大きなコンサートだっていうのに、あのトランペットを吹かせてあげられないなんて」

「それも彼女が決めたことだよ」

「だからこそです! 先輩に、そんな環境を用意するくらいだったら……その〝最後の演奏〟を、私たちに譲ってくださいってお願いしているんです!」


 東海林さんが声を荒げる。

 思わず、と言った様子だった。

 彼女もはしたないと思っているのか、「すみません」と咳払いをするように謝ってから、一度姿勢を正す。


「今年……吹奏楽部は、全国大会出場を逃しました。それは、私たちの未熟さが招いた結果として受け止めています。しかし、事実だけを言えば気持ちは不完全燃焼です。もっといい演奏ができたはず。後輩の指導を頑張ってくれた先輩方に、もっと応えられたはず。単なる代償行為ではありますが、クリスマスコンサートがその機会になるはずだったんです」


 少しずつ、心のうちを吐露するように、彼女は言う。


「でも、先輩が狩谷先輩たちのチームに加わることを決めて、機会ごと奪われてしまいました。昼休みや放課後……学校で練習している音、聞いています。曲はシングですよね? 私たちが全国を逃したのと同じ。あんまりじゃないですか……まるで、当てつけみたいに」


 それに関しては、私は返す言葉がなかった。

 そう思われてしまうのも仕方がないだろう。

 須和さん自身、この曲を選んだ時に「やり残したこと」と言っていた。

 きっと彼女も、大会の結果に納得できてない――不完全燃焼だったのだろう。


 もちろん、このコンサート自体が宍戸さんのためであって、彼女に合う曲を選んだ時にベストな選択肢だったと言うのもある。

 だけど、吹奏楽部の子たちには関係のないことで、私たちが須和さんと一緒にシングを演奏することについて、「当てつけだ」と思われてしまうのもまた仕方のないことのように思える。


「正直な話をすれば、下級生部員――特に二年生たちは、みんなこの話に納得できていません。先輩との演奏の機会だって、これを逃したらもう」

「そんなことはないんじゃないかな。須和さんだって音楽を続けるわけだし。もちろん『このメンバーで』と言い始めたら、その通りかもしれないけど」

「最後の機会ですよ。須和先輩、音大に行くんです。きっと、その後はプロの演奏者になるでしょう。そしたら、私たちと演奏する機会なんてありません」


 それは、言われてみたら、そういうことになるのかな。


「みんながみんな、音楽でプロを目指しているわけじゃないんです。私も志望は一般学部ですし……だから断言してもいい。これが〝最後の機会〟だって」


 単刀直入にと彼女は言った。

 確かに、要件としては単刀直入だったけれど、きっと本当に言いたかったのはそれなんだろうって、言われなくても分かった。

 そんな彼女に、私はなんと言葉をかけるべきだろう。

 きっと、ただ真っ向からこちらの意見を述べるしかないのだと思った。


「言いたいことは分かった。けど、私たちも本気でやっているつもりだし、須和さんの力も必要としている」

「私もそれは、理解しているつもりですが……」

「そもそも私の所へ来たってことは、きっと須和さんに直接言っても無駄だって思ったんだよね?」


 東海林さんは、息を飲んで押し黙る。

 肯定の意思だと理解した私は、畳みかけるように言った。


「二年間一緒に過ごしたあなたたちにできないなら、私にだってできないよ。だって、あの須和さんだよ」


 それがほぼ決め手のようなものだった。

 東海林さんも完全に納得した様子ではなかったものの、ここは引かざるを得ないと言った形で、悔しそうに頷いた。


「わざわざ、ありがとうございました」


 帰り際、東海林さんは部屋に残したまま、銀条さんがひとりお見送りをしてくれた。


「彼女の後のことは、私に任せてください」

「新生徒会長は頼もしいね」


 決して嫌味ではなく、労いのつもりでそう声をかける。

 すると銀条さんは、静かに首を横に振った。


「先代の真似をしているだけです」

「続先輩の?」

「何を言っているんですか。私にとっての先代は、あなたですよ」


 ああ、そう言われてみればそうか。

 自分たちの中では「先代」は続先輩を指す言葉だったので、すっかり勘違いしてしまった。


「だったら、私の任期も無駄じゃなかったのかな」


 そう思わせてくれたことに心の中で感謝をして、私は教室へと戻った。


 それにしても、わざわざ直談判に来るなんて。

 もしかしたら、須和さんにはもっと早く耳に入っていたのかもしれない。

 個人練習室を使わなくなった時、何か変だなとは思ったところだったし……きっかけがあったとしたら、あの頃かな。

 板挟みになって、自分を追い詰めていなければいいけどと思いつつ、さっき東海林さんに言った自分の言葉を反芻する。

 あの須和さんだよ。

 それが何の免罪符にもならないことは、私が一番知っていたはずなのに。

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