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12月14日 キシリトールガム

 吹奏楽部の子と話をしたあくる日、私は三年七組の教室を訪れていた。

 と言うのも、須和さんが昨日の放課後練習を欠席したからだ。


 もともと、心炉の家庭教師の日である火曜日と木曜日は〝自主練〟というスケジュールになっていたけれど、そこは真面目な私たち『D.C.』のメンバーだ。

 集まれる人だけでも集まって、一時間だけでも良いから練習しようとハナから決めてあった。

 集まれる人――つまるところ、心炉以外の全員。

 だけど、昨日はそこに須和さんの姿が無かった。


 もちろん、建前は〝集まれる人〟なのだから、来なかったこと自体を責めるつもりはない。

 しかし、彼女なら間違いなく来るだろうと誰もが思っていたことと、私からしたら昨日の昼休みのことがあったせいもあり、手放しで安心することはできなかった。


 ちなみに、東海林さんとのやり取りは、メンバーの誰にも話していない。

 秘密にしているというよりは、この時期にわざわざ要らない心配を広げる必要はないと思ったからだ。

 だから、こうして様子を見に教室を訪れたのも私ひとり。

 慣れない理系クラスの廊下を歩いていると、アヤセくらいには言っても良かったかなって、少しだけ後悔した。


「白羽ちゃんならいませんよ」


 いざ七組の教室に差し掛かろうかと言う時、後ろから呼び止められた。

 お決まりのパターン過ぎて、今さら驚く余地もない。

 振り替えると、琴平さんが胡散臭い笑顔でひらひらと手を振っていた。


「後ろから話しかけないと死んじゃう病なの?」

「ワタシのゆく先々、たまたまいつも狩谷サンが前を歩いているだけですよ」


 彼女はケタケタと笑いながら私の横を通り過ぎると、そのまま教室の入口のところに陣取る。

 別に通せんぼしているわけではないけど、行く手を遮られたような気分だった。


「正面に立ってみました」

「はあ……まあ、どうでもいいんだけど」

「おや、渾身の返しのつもりだったのにご無体な」

「それで、スワンちゃん休みって? てか、よく私がスワンちゃんのこと呼びに来たって分かったね?」

「そりゃまあ、狩谷サンがここに来ると言ったら、白羽ちゃん以外は有象無象のモブ顔生徒でしょう? なんならCGのコピペで描かれてるかも」

「その例えはよく分かんないけど……万が一で琴平さんかもしれないよ」

「そりゃケッコウ! でも、こう見えて分の悪い賭けはしない性質なんです」


 言いながら琴平さんは、ごそごそと制服のポケットを漁った。

 やがて、手のひらに小分けパックのビタミンCのど飴を一個取り出して、私に差し出す。


「アメちゃんいります? 最近、乾燥がヤバイですし」

「いや、教室にあるからいい」

「あー、じゃあガムならどうです?」


 言いながら彼女は、アメをポケットに仕舞って、別のポケットからキシリトールガムを取り出す。


「大阪のおばちゃんか何か?」

「まさか。ただ、現代人は食生活の影響から、恐ろしいほどに顎の力が弱くなっているようですから。日ごろから顎を鍛えておくことは大事だなと思いまして」


 今ここで、なんで現代人の顎の心配をしてるんだろう。

 いつものことだけど、ちょっとイライラしてくる。

 でも、ここで怒ったら負けだ。

 そう言い聞かせて、気持ちを落ち着けた。


「将来の人間の骨格予想図とか見ました? ほとんどグレイ型エイリアンでしたよ」

「グレイ型ってなに?」

「よくある、銀色でハゲ頭のやつです」


 ああ、アレか。

 ふたりの大人に両手抱えられてる写真のやつ。


「あまりにそっくりだから、界隈じゃ今までエイリアンと呼ばれていたものは実は未来から来た未来人で、UFOはタイムマシンなんじゃないかっていう説もあるくらいです」

「界隈ってどこの」

「ムーとかですかね」


 聞いたところでやっぱりよく分かんなかったけど、とりあえずろくでもない界隈っぽそうなので、それ以上突っ込むのはやめておいた。


「いいかげん本題だけど、スワンちゃんは風邪か何か? 友達ならそんくらい知ってるでしょ?」

「おや、当たりの強いこと……まあ、とりあえず『そうだ』って聞いてますよ」

「『聞いてる』ってことは、本当は風邪じゃないってこと?」

「この際ですけど、何て言ったら狩谷サンは納得してくれます?」


 なんだそれ。

 そんなのこっち聞きたいくらいなのに。


「……スワンちゃん、最近なんか、悩みとか聞いてない?」


 しばらく考えて、ようやく絞り出したのがそれだった。

 それに対して琴平さんは、失望、もしくは観念したかのようにため息をついて、ガムを口の中に放り込んだ。


「まったくもって平常運転ですよ。これは嘘偽りなく」

「じゃあ、なんで休みなの?」

「それは、とりあえず風邪ってことにしておいてあげてください。きっと、明日くらいには、また登校してくると思いますので」

「明日治ることが決まってる風邪なの?」

「そうです。明日治ることが決まってる風邪なんです」


 頑なな琴平さん相手に、今は私の方が折れるしかなさそうだ。

 とりあえず、学校自体が休みだって知れただけでも良しとしよう。

 練習に顔を出さなかっただけなのと、学校自体休んでるのとじゃ、意味合いが全く違うから。


「もしよかったらなんだけどさ、最近何か大変な事とかないか、聞いといてくれる?」

「白羽ちゃんにですか? ご自分で聞かれては?」

「いや、まあ、そうなんだけど。私が聞くよりも、別の答えが帰って来るかなって……友達なんでしょ?」


 琴平さんは、ガムをくっちゃくっちゃする顎に手を当てて、明後日の方向を見上げる。


「まあ、良いでしょう。会長サンには、映画を手伝って貰った恩がありますしね」

「よろしく。あと、『会長』って出てる」

「おっと、これは失礼」


 彼女はピシャリと額を叩くと、そのまま教室へと帰って行った。

 私も戻ろう。本人がいないんじゃ仕方がないし。

 しかしながら、須和さんが居ないんじゃ今日の練習はどうしようか。

 私たちだけでもできないことはないんだけど、ミスのない演奏を心がける以外にやれることは無さそうだ。

 そもそも須和さんにおんぶにだっこで成り立っていたとはいえ、少しは体制を見直さなきゃいけないのかもしれない。

 この時期、何が起きるかわかったもんじゃないんだから。

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