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第114話 もしこれが夢だというのなら、神様に抗議する 2

「私が君たち四人に同じ夢を見せたんじゃないか、って?」

 その退任間近の教師はまるで少年のように無邪気に笑った。

「はっはっは。いやいや、私にはそんなだいそれたことはできんよ。私にできるのはせいぜいくらいだよ」


「いや、じゅうぶん大それたことだよ」

 月島がみんな思ったであろうことを代弁する。


 太陽をのぞく俺たち四人は、初詣を終えるとその足で松任谷先生の自宅を訪れていた。元日そうそう家に押し掛けるのは非常識と言えば非常識だけど、彼は嫌な顔ひとつせず俺たちをもてなしてくれた。みずからの願いを叶えるために我々を利用した、後ろめたさのようなものもあったのかもしれない。


「もし仮にそういう力が私にあったとして」と松任谷先生は古びた椅子の上で言った。「君たちに同じ夢を見せる目的は、いったいなんだね? 私の願いは娘のジュンが命を落とす未来を変えることだった。それを叶えるために“未来の君”の占い師にふんして君たちの前に現れた。そして願いは叶った。ジュンの命は救われた。もうこれ以上望むことなんて、なにがあるだろう? あるとすれば、私の個人的な戦いに巻き込んでしまった君たちが、明るい未来を手にすることくらいだよ」


 先生が嘘をついているようには見えなかった。言われてみればたしかに、この人には動機というものがない。それではあの夢はいったい――? 俺たちは首をかしげて押し黙った。


「君たちの気持ちもわかるよ。それぞれが消えていなくなってしまう夢。うん。そんなものを四人そろって見てしまったら、そりゃあ、不吉だと思うのも無理はない」


「そう、不吉なのよ」柏木は思い出したように声をあげる。「さっきだって、神社でおみくじを引いたら、全員『凶」だったし」


 高瀬はうなずく。「なにか良くないことが起きるんじゃないかって、不安なんです」


「君たちの力になれるものならなりたいが」先生は含みのある声でそうつぶやく。「しかし私にできることといったらひとつしか……」


 彼にできること。たしかにひとつだけある。他の三人も同じことを思い浮かべたはずだ。


「センセに未来を見てもらえばいいんだよ!」柏木がさっそくそれを口にした。「そうすればハッキリするじゃない。あの夢が何かを暗示していたのか。それともあたしたちの考えすぎだったのか」


 彼女以外の三人は顔を見合わせた。高瀬も月島も乗り気じゃない。もちろん俺も。


「なんだかそれは反則技のような気が」と高瀬。

「知らぬが仏という言葉もあってだな」と月島。


 俺はうなずいた。「何も起こらない未来が見えるならいいけど、もしとんでもないことが起こる未来が見えたらどうするんだよ?」


「変えちゃえばいいんだよ!」柏木は一人、張り切る。「ねぇセンセ。もし今の時点で悪い未来が見えたとしても、これからの行動次第でその未来は変えられるんだよね? センセが娘さんの命を救ったように」

「まぁおおむねそういう理解でかまわないよ」


「それなら見てもらおうよ。その方がスッキリするって」


 ますますその気になる怖い物知らずとは対照的に、俺たち三人はなかなか賛同できずにいた。すると松任谷先生が仲裁するように口を挟んだ。

「それではこういうのはどうだい? 私は君たちのほんのちょっと先の未来を見る。ただし、何かが起こっていたとしても具体的なことは明言を避ける。オブラートに包んだ表現で伝える。あくまでもヒントというわけだ。いかがかな?」


「いかがかな?」柏木は偉そうに言う。俺たちは話し合って、それならば、と渋々ながら承諾した。


 先生は椅子に深く座り直すと、占い師として黒マントを羽織っていた時のようにはるか遠くを見る目でこちらを見た。それから口を開いた。

「うむ。夢との関連性があるかどうかはわからないが、君たちにはそれぞれ、試練が待っているようだ。望む未来を手にするための、最後の試練」


 やっぱり何か好ましくないことが起こるんだな、と俺は思った。「最後の試練……」と不安そうにつぶやいたのは、あれだけ威勢の良かった柏木だ。言わんこっちゃなかった。


 そこで先生はかっと目を見開いた。「おっと。どうやらこの後、私自身にも試練が訪れるようだ」

「先生に?」と高瀬は言った。


「60過ぎの一人暮らしは寂しくてね」と先生は言った。「客人が来るとうれしくなって、ついうっかり玄関の鍵を閉め忘れてしまうんだ。今日も例に漏れず、君たちを迎え入れた後、ドアをそのままにしてしまった。それがいけなかった。もうまもなく、藤堂さんがここに上がり込んでくるよ」


 そのわずか数秒後、玄関から物音がして本当に藤堂アリスが現れたこと以上に俺たちが驚いたのは、彼女が右手にナイフを握りしめていることだった。刃先に窓からさしこむ日差しが反射し、禍々まがまがしく光る。


「なんであんたたちがいるのよ!」アリスは金色の髪を振り乱す。


「どどどっ」高瀬はろれつが回らない。「どうしたっていうの、藤堂さん!?」


「あの男に復讐する」とアリスは先生を睨みつけて言った。「“未来の君”の占いのせいでうちは家庭をめちゃくちゃにされたの。占い師の正体があいつだってわかってから、どうやって復讐してやろうかずっと考えてた。どれだけ考えてもこの方法しか思いつかなかった。だからこの世から、あいつを消す」


 月島は柏木の背後に隠れた。「ほら、こういう時は武闘派のアンタが止めなきゃ!」

「バカ言わないでよ!」柏木は俺の背後に隠れた。「向こうは凶器持ってんのよ!?」


 そこで何を思ったか、先生がみずからアリスへ近寄っていった。

「藤堂さん、すまなかったね。君の言う通りだ。私は私の願いを叶えるため、多くの人を傷つけてしまった。そうすることで気が済むのなら、そのナイフで私の胸を刺せばいい。私も未来が見えてしまう人生にいささか疲れた。娘の命を救うという願いを叶えた以上、もうこの世に思い残すことは何もない。お望みならば、君の罪が少しでも軽くなるよう、私が刺すように命じたということにしてもいい。私は逃げも隠れもしない。さぁ、好きにしたまえ」


「神沢君!」高瀬もいつしか俺の背後に隠れていた。「なんとかしなきゃ!」


「なんとかしなきゃ、って言われても……」


 見ればアリスは鬼気迫る表情をしているものの、ナイフを握る右手は小刻みに震えている。どうやら彼女の中のが、一線を越えることをためらわせているようだ。その何かを刺激してやればあるいは――。


 そこで俺の視界の片隅に、あるものが映り込んだ。窓の脇に置かれている木彫りのフクロウたち。先生のコレクションなんだろう。


 フクロウは〈福来朗〉だから縁起が良い。そのアリスの言葉が耳によみがえるのと同時に俺は、自分が今彼女を説得するのにうってつけのものを持っていることに気づいた。例の絵が描かれた画用紙をポケットから取り出し、描いた本人に見せる。


「アリス、よせ! おまえの右手はそんなことをするためにあるんじゃないだろ! このフクロウみたいに素晴らしい絵を描いて人の心を動かすためにあるんだろ! 美大に行って絵画を真剣に勉強するんじゃなかったのかよ? 将来一人前の画家になって、シカゴのオヤジさんに堂々と会いに行くんじゃなかったのかよ!? 俺がどうしてこの絵を持ち歩いていると思う? もし良くないもんが近づいてきても、絵の中でフクロウが羽ばたいて、それを遠ざけてくれるって感じたからだ。言ってみりゃお守りだ。おまえの絵には、そう思わせるだけの力がある。おまえは必ず一流の画家になる。俺が保証する。だから考え直せ、アリス!」


 * * *


 唯と湯川君に続き、今日三人目の来客を玄関のチャイムが告げた。


 ただ今回は前の二人と違って、誰が来たのか僕も娘もすぐにわかった。なぜなら庭と道を隔てる竹垣のすきまから、見慣れた美しい黒髪が見えていたからだ。


 娘は縁側から元気に立ち上がり、「先生だ!」と叫んで玄関へ走っていった。僕もその後を追った。


 娘はドアを開け、先生・・に飛んで抱きついた。


 来客はやさしく娘の頭をなでて、それから穏やかに微笑んだ。

「愛ちゃん、今日も元気だねぇ。その明るさは誰に似たんだろう? まぁ、それはそうと、先生が宿題として出していた、フクロウの絵はきちんと描けたかな?」

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