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最終話信長、生き続ける

「てめえ信長――エムシを利用しやがったな?」

「ふひひひ。やはりおぬしには分かるか」


 京の陸軍省の一室。

 軍服を着た土方歳三陸軍中将が睨みを利かせて、第六天魔王織田信長を問い詰める。


「俺はエムシってガキの演説は聞いてねえが……いろいろと疑問が出てきた」

「言うてみよ。ま、素直に答えるとは限らんがな」

「アイヌの言葉、教えてもらったって言ったが、その実、エムシに日本語を教えることが目的だったんじゃねえか? 拙い日本語じゃ政治家連中を納得させられねえ」


 無論、アイヌの言葉を習得するのも目的だっただろう。

 しかし逆に日本語ではこう表すと教えることも可能だったはずだ。


「アイヌシモリは北海道という具合に、少しずつ日本語を馴染ませた」

「土方は儂のやり方をよく知っているな」

「拷問した相手に道案内させることができる男だ。人を誘導する術を心得ていやがる。それに気づいたのはつい最近だ」

「人を動かすようになったからか? 新選組でも動かしていただろうに」

「俺は戦闘の指揮はできるが、軍隊の指揮はまだ慣れてねえ」


 続けて土方は「人を動かすのは戦国大名の得意とするところだ」と言う。


「陛下すら動かしたのは凄まじい。流石、第六天魔王と恐れられた男だな」

「褒めても何も出んぞ」

「褒めてねえよ。それで、病はどうなんだ? 本当か?」

「残念ながら本当だな」

「……そうか。でも坂本との食事のときは仮病だったな?」


 手の内を見抜かれる快感を信長は覚えつつ「そのとおりだ」と認めた。


「倒れたにしては都合のいいと思ってな。だが病が本当だからこそ、医者にそう診断された……けっ。てめえが死ぬなんて信じたくねえけどな」

「なんじゃい。儂のこと好きなのか」

「気色の悪りぃ。てめえは新選組の厄介者だよ。局長になっても変わらねえ」

「戊辰戦争のときは認めていただろ」

「気の迷いだったよ。子供を利用したと聞かされてやっと目が覚めた」


 信長は「素直じゃないのう」と白湯を啜った。

 茶が飲めるほど回復はしていなかった。


「それで、エムシはどこにいんだ?」

「あの後熱が出て寝とるわい。本土の気候も身体に合わんかったみたいだ」

「ま、大勢の前で話した興奮もあるんだろうな」

「なあ土方。軍を引退して北海道に来ないか? また新選組をやろうぞ」


 土方は目を細めて「死んだ後、局長やれって魂胆だろう」と指摘した。

 信長は悪びれずに「よく分かっているなあ」と感心した。


「永倉とかに任せろよ」

「副長のおぬしが継ぐべきだと思ったんだ」

「意外と筋道を重んじるんだな……断る。俺は俺でやるべきことがあるんだ」

「そういえば、訊いておらんかったのう。どうして軍に入った?」


 土方はにやにや笑って「分からないのか?」と言う。

 それは多摩でバラガキと言われていた頃を想起させた。


「教えてやらねえよ」

「ううむ。気になるのう」

「俺が軍をやめるときに教えてやる。だから――長生きしろよ」


 思わぬ返しに信長は「軍に揉まれて諧謔味を覚えたな」と笑った。


「ふん。お前に応援されたら頑張るしかないのう」


 信長は杖を突きつつ立ち上がって「おぬしに会えて良かった」と告げる。


「今生の別れとなるやもしれん。だから儂も言いたいことを言っておく」

「縁起でもねえ……なんだ? 言ってみろ」

「儂は、新選組に入隊して本当に良かったと思う」


 飾らない本音だと土方には分かった。


「おぬしたちと出会い、共に過ごした日々は儂にとって輝かしいものだった。土方副長には感謝しても足らんな」

「……そう思っているんなら」


 もう一度、長生きしろよと言うつもりだった。

 しかし信長の寂しそうな顔を見て思い留まってしまう。

 だから――


「北海道の美味しいトウモロコシ、食べさせろよ」

「土方……」

「どうせ屯田兵関連で行くんだ。会う機会はあるさ」


 信長は深く頭を下げた。

 土方は軍令に則った敬礼をした。


 部屋を出ると伊藤博文が待っていた。

 信長に「手を貸しましょうか?」と言う。

 一仕事終えたせいか、とても機嫌がよさそうだった。


「要らん。それより約束守れよ」

「屯田兵を含めて、私たち政府は北海道を開拓していかねばなりません。約束は守りますよ」

「そうか。ならば礼に一つ言っておこう」


 伊藤は不思議そうに「なんでしょうか?」と訊ねる。

 口ぶりから教示や忠告ではなさそうだった。


「おぬし――天下取っちまえよ」

「…………」

「今の政府を見て小粒な者しかいないと確信した。大久保たちが死ねば、主導するのはおぬししかおらん」

「馬鹿なことをおっしゃらないでください。ささ、行きますよ」


 信長は動揺する素振りを見せない伊藤に、やはりこやつ危険な男だと認識した。

 自分を動かし内戦を止めたという結果を見れば、伊藤博文という男は優れた政治家である。いずれ大きなことを成しそうだ――



◆◇◆◇



 沖田総司はその後、弟子の中から養子を取り天然理心流宗家の座を譲った。そして五十歳のときに忽然と旅に出ると言い残し行方を絶った。客死したと伝えられる。しかし同時期に日本各地にとある老剣士の伝説が生まれ始めた。それはまるで冒険活劇のように人々の心を揺さぶるものだった。


 井上源三郎は六代目宗家が決まった半年後に亡くなった。妻や子、そして沖田に看取られながらの大往生だった。最後まで自分のいない試衛館道場のことを心配していたが「源さん。私はもう大丈夫ですから。休んでください」という沖田の言葉を聞いて満足そうに笑った。


 原田左之助はしばらく試衛館道場の食客だったが、唐突に「大陸行って加藤清正になる」と言い出し日本を飛び出した。その後の消息は不明。後年、大陸に旅行に行った日本人が馬賊に襲われたとき、颯爽と助けた槍の使い手が原田左之助だと名乗ったと噂が出た。


 斉藤一こと藤田五郎は警察官を続けた。様々な犯罪を未然に防ぎ、晩年は江戸警察の剣術師範を務める。しかし拳銃の扱いが下手で「信長さんはよく扱えたものだ」と愚痴っていた。その後、とある戦争で憲兵として従軍。現地での諍いを解決するために奮戦し戦死した。


 永倉新八は山野八十八、吉村貫一郎と共に北海道の開拓に従事。信長から事業を引き継ぐと屯田兵と協力関係を築き、さらに農地を広げた。北海道の気候に合わせた稲作を開発したのも彼の功績である。そして八十二歳のときに老衰がもとで亡くなる。映画鑑賞が趣味だったとされる。


 土方歳三は五十歳まで軍籍におり退役後は京で軍人を育てる教育機関を立ち上げた。政府の支援もあり卒業生たちは優れた軍人として活躍することになる。しかし土方が五十五歳の時、訓練生が起こした爆発事故から彼らを守るために身を挺して亡くなった。怪我人は出たが土方以外の人間は死ななかった。


 そして織田信長は――


「おーい。信長、生きているか?」

「……まだ死なぬよ」


 御前会議から一年後。

 軒先で休んでいる信長にエムシは獲れたてのトウモロコシを見せた。

 みずみずしく新鮮そのものだった。


「なあエムシ。そろそろ、教えてくれぬか」

「何が? アイヌの言葉なら全部教えたよ」

「一つだけ、教えてもらっていない」


 信長は「おぬしの名は、どういう意味なのだ?」と問う。


「ああ。そういえば言わなかったっけ」

「儂も、ついさっき気づいた……」

「えっと。俺の名は――」


 エムシはにこりと笑って言った。


「刀、って意味だよ。全てを切り開いて新しい世界に飛び込んでほしいって名付けられたんだ」

「ほう。良い名だな」


 信長は感慨深くなる。

 争いの道具だった刀。

 しかしエムシは平和をもたらした。

 なんと素晴らしいことだろう。


「そろそろ、医者が来る時間だよ」

「であるか。今日も苦い薬飲まねばならんのう」

「長生きするんでしょ。ささっと準備して」

「ふひひひ。ならば行くとするか――」


 信長は生きることを選んだ。

 本能寺で死なず、幕末に帰ってきた。

 そして明治の世を迎えることができた。


 これからも信長は生き続ける。

 病に身体が冒されても、決して諦めない。

 生きることは、戦いだからだ。

 信長はそれを魂に刻んでいる。

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