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2・下級聖女ユフィリア



 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*




 目を覚ませば、首筋がぐっしょりと濡れていた。

 夜着の背中もじわりとしけっていて、よほど寝汗をかいたのだとわかる。


 ──またあの《夢》を見た。


 幼い頃から何度か見ている《夢》で、内容はそれぞれ違っている。

 最初は《予知夢》だと思った。

 しかしある時、気づいてしまう。どういう訳だかユフィリアは《やり直しの人生》を歩んでいる──しかも二度目の。


 ──きっとあのいけすかない黒騎士に会ったせいだっ。


 そこに関連性があるとは思えないが、今はなんでもいいから理由づけがしたかった。

 レオヴァルト、と名乗った男につかまれた手首が呪いにでもかかったように赤黒く変色している。


 ──あの黒騎士……むかつく……今度会ったら倍返しだ!


《夢》を最初に見たのは十歳の時で、ユフィリアが聖女として身を置くこの中央大聖堂に連れて来られる、まさに前夜であった。


 孤児であるユフィリアは農家を営む貧しい親戚の家に身を寄せていた。

 食べるものもろくに与えられず一日中飢えていたユフィリアだったが、あるとき天からのギフト《神聖力》──グラシアと呼ばれる──を授かる。


 夢の内容は、ここから。


『その噂は聖都にも届き、立派な修道服に身を包んだ神官がやってきて、ユフィリアを聖女として育てるべく村から連れ出そうとした。

 しかし自分で大きな決断をするには、ユフィリアはまだおさなすぎた。

 激しく拒んで村に居残ったユフィリアを待っていたのは、育ての親からの酷い折檻と、その果ての……死。』


 そんな悪夢を見た翌朝。

 薄い布団の中で震えていると、なんと夢で見たままの強面の神官がユフィリアが住む家を訪ねてきたのだった。


『悪夢の通りに村に居残れば、死が待っている。』


 幼心に察したユフィリアは、恐ろしさのあまりおとなしく応じる。

 そのおかげか、悪夢で見たような悲惨な死を迎えることなく、十八歳になった今日まで聖都の中央大聖堂で生きのびている。


 二度目に《夢》を見たのは十六歳、聖女認定の日の前夜。


『聖女の力を試す場で、ユフィリアは他を圧倒するグラシアを見せつけた。

 ユフィリアの強大な力は隣国の王に切望され、その国の第二王子との婚姻を結ぶことになる。』


 そして──夢の中で見た、あの悲劇が起こるのだ。


 嫁いだ国の名も、夫の名すらわからない。けれど夫はかの国の第二王子であって、ユフィリアを庇って命を落とした事だけが明確だった。


 それなのに絶命した夫が最後に遺した、『愛している』。

 夢の中で自分が『愛してる』と心で感じた時の、心と身体を同時に裂かれるような痛み。

 あれが単なるぼやけた夢であるはずがないと、目覚めた時に初めて気が付いた。


 夢の先に必ずあるもの、それは、《死》だ。

 今まで見てきたは予知夢なんかじゃない。

 神がかった何らかの大きな力が働いていて、過去を生きていた自分が見た光景を、夢という形で見せられていたのだ……と。


 最初に死んだのは、神官の迎えを嫌がって村を出なかったとき。

 二度目はおそらく第二王子が自分を庇って命を落としたすぐ後だろう。

 なのでユフィリアは現在、二度目の人生を生き直している、ということになる。


「……痛ッ……」


 水を一杯飲もうとベッドから立ちあがったとき、昨夜、鞭で打たれた背中の傷が治りきらずにどくどくと痛んだ。

 親友の聖女グレースが癒してくれたものの、傷があまりにも深く、下級聖女のグレースの力では完治しなかったようだ。


を死なせたくない。だから私は、これまで必死で……っ」


 痛む背中をかばいながらピッチャーの水をグラスに注ぐ。

 ひとくち飲めば、気持ちが落ち着いた。


 おぞましい《夢》に争うべく、ユフィリアは今日まで奮闘してきた。

 まずは悲劇の発端となった聖女認定。

 力を示すどころか下級聖女でも簡単にやり遂げるような治癒すらできないふりをした。


 しかし、ユフィリアは他の聖女が持たない『心の病』を癒す力があった。

 ユフィリアがグラシアを注ぐと、鬱症状に悩まされる患者の気分が嘘のようにスッと軽くなるというのだ。これは極めて特殊な力であり、ユフィリアはギリギリ『聖女』として認定された。


 擦り傷さえ治せない者が聖女として認められたのは、今思えば精神の病は王族や貴族が多く抱える病であるため、ユフィリアを金儲けの手段として利用すべく金の亡者レイモンド司祭の思惑が絡んでいたのだろう。


 こうして下級聖女ユフィリア・ダルテが誕生する。


 まず、外的な傷全般を「治せない」と一蹴した。

 それでもグラシアを使って傷を消せと押し切る者は傷口に包帯を巻いただけでお帰りいただいた。

 憤った患者から非難の言葉と治療費の返還を求められたのは言うまでもなく。


 ──我がまま聖女。

 対応に困り果てた神官たちは、ユフィリアを陰でそう呼ぶようになった。


 おかげでユフィリアは十八歳のベテラン聖女となった今でも、かすり傷程度の簡単な傷さえ治せない《無能で我がままな聖女もどき》。

 治癒を求める者を無碍に追い返すことも珍しくないので、聖女認定から半月もしないうちに《無能》の後ろに《クズ》がくっついた。


 無能なクズ聖女ユフィリア。

 だからこそ王族に求められることも、第二王子との婚姻も、夢で見た《悲劇的な未来》も避けられた──はずだ。


「なのに、どうして《まだ》あの夢を見るの……未来は変わったのに」


 ユフィリアが選んだ回避方法で間違いないのなら、なぜ今になって同じ夢を見たのだろう。


 ──このやり方でいいんだよね? 私を庇ったあの人を、死なせずに済むよね………?


 愛している。

 互いの言葉が胸に刺さる。

 自分は彼を、夫である第二王子を、愛していた。


 ──考えていても仕方がない、私は自分にやれることをやるだけ。第二王子との結婚は避けられた。未来は変わる……。誰も死なない。これから先の人生は、きっとうまくいく……!


 窓際に立ってカーテンを開ければ朝ぼらけの空が眩しかった。

 眼前に広がる王都の町を眺めながら、ため息の代わりに「う〜ん」と伸びをする。

 背中が痛むので、いつもよりちょっと控えめに。


 唐突にノックの音がして、隣部屋のグレースの明るい声がした。


「ユフィ……起きてる? 私だけど、入ってもいい?」




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