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104.生誕祭へ



 ……ねぇ。



 …………ねぇ。


 お父様、お母様。


 どうして、フィローゼを置いて行ってしまったのですか。

 なぜ、フィローゼだけを残して、どこかへと消えてしまわれたのですか。


 やっと、あの怖い御屋敷から逃げ出して。

 あの化け物たちに捕まらないよう、追いつかれないようにって。もう二度と、あんな酷いことはされたくないからって。


 ここまでずっと。何日も何日も、暗い夜道を走り続けてきたのに。


 どうして。


 どうして、誰もフィローゼを迎えてくださらなかったのですか。


 そこに、フィローゼの御家があると思っていたのに。

 また、お父様とお母様に会えると、そう思っていたのに。


 どうして、何もかもが消えてなくなっていたのですか。


 ねぇ、お父様。ねぇ、お母様。

 なんで、フィローゼの声が聴こえないの。


 こんなに、こんなに。

 何度も大声で呼んでも、誰もそこにはいないの。


 …………痛いよ、寒いよ。


 お洋服も、髪も。もうずっとボロボロで、汚くて。

 手も足も、傷だらけで。血が流れ続けて止まらないのです。


 許してください。

 フィローゼをどうか、どうか赦してください。


 フィローゼが良い子でなかったというのでしたら。

 なにか、悪いことをしてしまったのなら。


 どうか。どうかごめんなさいと謝りますから。


 お母様。どうか治してください。

 お父様。どうかもう一度、フィローゼを抱きしめてください。


 …………ねぇ


 どうして。

 フィローゼは独りぼっちになってしまったの。


 愛してくださったと。

 あんなに幸せな日々だったというのに。


 なんで、フィローゼだけがこんな目に遭わなければいけなかったのですか。


 会いたいよ。

 お父様、お母様…………。



 会いたい、よ………………。



* * *



「…………フィローゼ。ほら、フィローゼ」


「ぅ、んん…………?」


 ファトゥナ・セレネ子爵家が、王都へ向けて御屋敷を出発されてから丸二日。


 道中の天候は然程に恵まれて。

 晴れ間時々曇り空が続いては、一度も嵐が吹き荒れることはなく。


 森林に囲われる道進まれた最中、獣道から現れる魔物の数も数えるほどであり。

 都度、護衛の者に無事を守られたらば、誰も彼も何事無しに。


「ほら、フィローゼ。見えてきましたよ」


 フィローゼ嬢様方を乗せた馬車は、いよいよ王都手前にまでと迫って参りました。


 森を抜けた先には広々とした碧の草原が皆さまを出迎えて。

 続く一本道の先には、此度の生誕祭が催される王都の城門がお見えになり。


「いやはや……これはまた、戴冠式の時よりも大勢な気が」


 城門前では衛兵の方々が、王都へお越しになられた皆様方を一人ずつ歓迎されておりまして。王都への入場を待つその列は途切れることなく草原上を一直線に、果てしなく果てしなく連なっては。みな、此度の第一王女の生誕を共に祝福し合おうと、意気揚々に馳せ参じておりました。


「これ…………開会式までに入場間に合うかしら……」


「ううむ……こりゃ、馬車を置く場所すら無いかもしれないぞ…………」


 お屋敷からここまでの道のり、ファトゥナ・セレネ子爵家の当主様も夫人様も各々に、この生誕祭を心より楽しみにされておりましたが、いざ乗っている馬車が会場へと近づいてくれば、想像以上の人の多さに圧倒され、期待の表情は徐々に緊張の色へと変わりゆき。


「んぁ…………? えっ! なにこれ凄いっ! すごいですお父様! お母様っ!」


 一方、子気味良き馬車の揺れ心地によって夢の世界へと誘われていた眠り姫、フィローゼ嬢様はゆっくりと。夫人様の声によって眼を擦り起き上がれば、王都城門から続く大所帯の景色を目にした途端にその身を馬車から乗り出して、満天の笑みを浮かべながら両の眼をキラキラとさせます。


 暫くしたのち――。


「ようこそ、ファトゥナ・セレネ子爵様。この度は遥々、レグノ王国第一王女の生誕祭へとお越しくださり誠に感謝いたします。ここから王都内へは、私。レグノ王国軍剣士部隊第三部隊所属、ローミッド・アハヴァン・ゲシュテインが案内を務めさせていただきます」


「わざわざありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします」


「では、こちらへ」


 長い長い待機の列を越えてようやく。

 王都城門前まで辿り着いたファトゥナ・セレネ子爵家様でしたが、そこで彼らをお待ちになっていたのは一人の若き剣士でございまして。

 国王から頂いた招待状を当主様から手渡されると、すぐにその剣士は丁重な対応をお見せして、ファトゥナ・セレネ子爵家様を乗せた馬車を粛々と、城内へとご案内されます。


「わぁ~~~~っ!」


 そうして、若き剣士の合図に再びファトゥナ・セレネ子爵家様を乗せた馬車が移動を始めれば、壮大に聳え立つ城門屋根をくぐり抜けた。


 その先。


「すごいっ! すごいですっ!!」


 その先にて、ファトゥナ・セレネ子爵家様を待っていたのは、まさに夢の国のような景色でございました。


「お父様、お母様見てくださいっ!!」


 橙色に染められる屋根を持つ石造りの建物たち。

 それらは全て、王都の民々によって七色鮮やかに様々な装飾が施されており、石畳広がる道端にはズラリと出店が並んでは、道中どこを見ても沢山の芸者が手を変え品を変えと、次々と王都へと来訪されるお客様を歓迎されます。


 それだけではございません。空を見たらば蒼の世界、そこには幾つもの小さな気球が魔術士たちによって打ち上げられて、さらには召喚士に操縦される召喚獣たちが、純白に煌めく翼を広げて優雅な舞を披露いたします。


「これがっ……。お父様がお話で仰っていた王都の暮らしっ……!」


 右を見ても、左を見ても。


「あれはなんですのっ! それも、これもっ!」


 一周全てを見渡しても、全てが新鮮に輝いて見え。


「こらっ、フィローゼッ! そんなに身を乗り出したら危ないわよっ!」


 どれもこれも、真新しいものばかり。

 心躍る、胸を打たれる…………そんな言葉も安いくらいに、夢見る少女の全てが、宴の世界へと攫われて。


 当主様からのお話でしか知り得なかった世界。

 ずっと憧れ一度行ってみたいと願っていたその場所へ。


 祝福で賑わう歓声に、東西様々から寄越された食の匂い。

 遠く教会から聴こえてくる荘厳な歌声は、微かにそよぐ風に乗っては耳に届いた全ての者への癒しとなり。


 五感全てを刺激する誘惑が、押し寄せる波のように。とうとう現実となって叶えられた瞬間なのだと、彼女へ強く実感させ給います。


「ほらっ、フィローゼ。馬車から降りたら少し王都内を見て回ってあげるから落ち着いて」


 夫人様からの叱責の声に、当主様からの宥められる声。

 ですが、そんな声はもう彼女の耳には届きません。


 それもそうでしょう。もう仕方がないことです。

 当主様、夫人様。


 いまこの時だけは、盛大に、甘やかせて差し上げましょう。


 みなまで言わずとも、ほら。ご覧ください。

 この笑顔、この歓喜を。


 そうです。


 彼女にとっていま、この瞬間が。

 夢叶いし、尊き刹那の時なのですから―ー。


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